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6年間、東京の組織設計事務所にいて感じたこと


私が大学院を卒業し、6年間東京の組織設計事務所に勤めて感じたことを書こうと思います。
はじめに断っておきますが、私はその会社でしか働いた経験がないので、当たり前ですが、組織設計事務所一般の話ではありません。
あと、この業界に居る方からすると、何を当たり前のことを、、、と思われるかもしれませんし、考えが幼いと思われるかもしれませんが、感じてしまったことはしょうがないので、ご承知おきを。


カルチャーショック

私は、地方の大学院を卒業して上京し、そこそこ大手の組織設計事務所に就職しました。

働き始めて1年も経たないころ、とても印象に残った出来事があります。

入社2,3年目の先輩が、上司に新築マンションの設計の説明をしており、それを目にしました。
先輩は、「この敷地は海が近くにあり、建物にはサーファーの人も住む可能性もあり、バルコニーの手すりを海をイメージしたかたちにしています」と説明していました。
大学で、良い建築、良い空間とは何か、街はどうあるべきか、建築はこれからどうなっていくべきか、建築論を自分なりに考えていた(つもり)であった僕は、先輩が堂々とそう発するのを見て、顔が赤くなるほど恥ずかしく感じたのを覚えています。

海が近いのなら!その眺めとか、匂いとか、音とか、潮風とかを考えて設計すべきではないのか!サーファーも住むような建物なら!海への導線とか、サーフボードの大きさとか、サーフボードしたことないから分からないけど何か洗ったりするスペースとかを考えて設計すべきではないのか!第一、ある程度大きな建物を設計するのだから、もっと多角的に街を分析してヴォリュームを検討すべきではないのか!と、本気で思いました。

当然上司は、安直すぎると部下を窘めると思いました。
しかし上司は、「まあね」といって、納まりとか、具体的なアドバイスをし始めたのです。
僕は、もう、終わってる、、、と思いました。


マンション設計という仕事

今考えると、僕が感じたことは、半分間違っていて、(考え方によっては)半分あっていると思っています。

まず、東京でマンション建てるということは基本的に、床面積の最大化という経済原理を最重要として設計されますし、道路斜線や日陰規制により、建物のヴォリュームはおおよそ自動的に決定されてしまいます。
そして、マンション内の住戸の大きさやおおよその形状、間取り等は、設計事務所も提案はしますが、その土地のマンション需要等からデベロッパーが決定するため、設計の仕事は、敷地に建てることのできる建物ヴォリュームを、解析ソフト等を用いて最大化させる検討と、表面的な仕上の検討が主になります。

私が先輩に思ったことの、半分間違い、というのは、そもそもの建築の建ち方については(ある意味では)検討の余地がほぼないからです。
大学の頃、優秀な人間は設計事務所ではなくデベロッパーとかに行くと、手塚貴晴さんがおっしゃっていましたが意味がわかりました。
どこにどんな建物を建てるのかはデベロッパーが決めるのです。

建築に対する考え方が変わってきた

先ほど、ある意味では、と書いたのは、私が事務所を辞める頃には、少し考え方が変わったからです。
大学の頃は、革新的な空間、街に大きなインパクトを与える建築等、新しいことをしないと認めてもらえないような気がして、ディテールや仕上げ等に興味がありませんでした。そんな中で会社では、高級感がどうのとか議論している、、気持ち悪い、、と思っていました。

しかし、しばらく働いていくと、それはもうしょうがない、その中でどうするかを考えるべき、とならざるを得ません。
法的な制約により崩れてしまっているヴォリュームを、仕上げの切替やディテールによる陰影によって整っているように見せたり、最小限とることを許されたエントランスなどの共用部に対して、どうアプローチをとるか、開口部をどうつけるか、等。
また、特に分譲マンションでは、重厚感や高級感ののある建物を望む人が多いし、その気持ちも分かりますから、高級感というのはどういうところから感じるのか分析してみようとか、そんなふうに今後この会社で設計していくことは、まあある意味有意義だと思いました。給料も良かったですし。

しかし私は6年間ずっとモヤモヤした気持ちで仕事をしていて、一度も楽しいと思ったことがありませんでした。

「建築」という言葉を使いたくない

そのモヤモヤの正体に気づいたのは入社3年目くらいの頃でした。
デベロッパーと何度か打合せするなかで思ったことは以下です。

・設計をブラッシュアップする目的が、建物の“商品”価値を高め、
 高値で売るためであること。

・マンションは設計時に住む人が決まっていないため、
 画一化された“良さ”をものさしとして設計されること

・大概、金持ちのための建物であること

これらは当然なことですが、僕はどうしても嫌悪感を拭えませんでした。
なぜなら、金持ちの趣味は分からないし分かりたくもない、それに最終的にできあがる建物が全くカッコ良いと思えないし、思えるようになりたくなかったからです。
良いと思うものの感覚は絶対的なものではなく、変わっていくものだと思うので、私もそこであと数年働き続け、感覚を矯正し、やりがいをもっていく道もあったと思いますが、それは絶対に嫌でした。プライドを捨てて気持ちの悪いものに自分で向かっていくことは私にはできませんでした。

その頃には「建築」という言葉をあえて使わないようにしていました。
この業務が、建築であるとは思えなかったからです。


パンフレットという悪魔の書

設計に対する考え方が受け入れられないことの他に、マンション設計は業務としても非常に嫌なものでした。
その代表として、分譲マンションを販売する際に作成するパンフレットに関する仕事があります。
分譲マンションの多くは資金回収等の理由から、建物が出来上がる前に販売することが多いのですが、そのために、建物の外観、内観イメージや間取り、仕様等を説明するためのパンフレットが作成されます。これが設計の立場からするとほとんど百害あって一利なしの代物なのです。
顧客はパンフレットをもとにマンションを購入するため、パンフ完成後に何か変更することは許されません。
何十、何百とある住戸の細部までチェックすることが求められます。例えば梁やダクトによる下がり天井の見落とし、ちょっとした壁の位置の変更なども言語道断です。
また、見落とし等とは別で、パンフ完成後に、こっちの方が良いのでは、、、?というような意見が出たとしても変更はできません。分譲マンションは本当に辛い仕事です。
また、働いていた会社では一つの物件につき、担当は1,2人が普通で、上記の業務をほとんど一人で行うこととなります。加えて社内の会議で上から、もっとこういうデザインにした方が良いとか言われ、もう最悪でした。あと外壁のタイル選ぶことをデザインって言うな。


結局は合わなかっただけのこと

つらつらと書きましたが、これはこの会社で設計をして稼ぐ上で真っ当なことであり、結局は私がそれに馴染めなかった、馴染みたくないと思ってしまったということです。
ただ、用途で分けるとおそらく分譲マンションの設計が一番面倒くさくて細かいと思うので、処理能力的な意味合いで力になったとは思うのと、性能的に長く快適に住まうことのできる建物の大切さや、そのノウハウは学べたと思います。

そんな会社を退社し、独立することとしました。
始めたばかりであまり仕事はなくて稼げていませんが、一応充実しています。

料理が楽しいです。


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