フェイスブックに疲れた私たちへの処方箋
今年は年賀状をやめて、Facebookでのやりとりもやめてしまった。正確には年賀状には次回から送らない旨を記し、FacebookはIDは残してあるので見ることはある。
キッカケは自分が心のバランスを崩したことで、それはもちろんFacebookが原因ではないのだけれど。少しでもストレスになっているものはみんなやめてしまおうということで、つきあいもかなり限定し、ネクタイもやめて指輪も外したりとか、その流れの中でFacebookもやめた。
やめた理由はありきたりで、きっとみなさんがFacebookにウンザリしている理由とかなり重なる。仕事自慢犬猫自慢ネイル自慢多忙自慢苦労自慢に付き合ってあげるエネルギーが惜しくなったからだ。ごめん。
顔を突き合わせたらたまにはリップサービスするのもやぶさかではないけど、ひとりでくつろいでいる時にまで、そのコキタナイ犬やシワの寄ってきた指先を毎日見たくないんだ。えっなにその鬼の形相。君の言っていたホンネも言い合える仲ってのはこういうのじゃないのか。
でもFacebookにストレスを感じてやめたくても、簡単にやめられない人も多いはずだ。じゃあどうすればいいのか、その対応策はいろいろと考えられる。
まずは「いいね!」を押したりコメントできなくなる「フェイスバカウイルス」を流行らせるのもひとつだ。アノニマスもISISを相手にするより、ウイルスをばら撒いてあげるほうがよほど感謝されるはずだ。
「ちょっとこのあいだのヒルトンでの飲み会の写真、タグ付けしたのに反応返してよ~」
「ごめ~ん、見てはいるんだけど フェイスバカウイルスに感染しちゃってさ~」
トヨタやユニクロあたりの大企業も、公式サイトがクラックされたふりをしてウイルスをばら撒いてあげると、みんな懸命に怒った顔をつくりながら心底感謝してくれるに違いない。
「Facebookは意識低い」というテイで押していくのも一手だ。意識低いとか、オクレテイルということに彼奴らは過敏になっている。
「お前まだFacebookやってんの?これからは逆にmixiだよ?」
まあ「いいね!」とは別の苦労も増えそうだけど。大丈夫、きっと昔より閑散としているし。なにが「逆に」だか知らないが、そう言っておけば相手も話を合わせてくれることになっている。
「今はFacebookよりメール、でもできればそれより手紙がいいよね。わざわざコストをかけて郵送することで経済も活性化するし、相手にも本気度が伝わる」
「郵送もいいけど、矢文はキテますよ。弓矢が届く距離なのにわざわざ手紙にする奥ゆかしさ」
「いいよね、矢文!でもこのあいだうちの営業が手元が狂って取引先の部長の首筋射抜いちゃってさー。いちおう指紋はつけないように注意してたし署名もしてないからバックれちゃった」
「おいおい起訴相当だぞお~」
ところでFacebookで流れてくるニュースフィードには反応しないけれどIDを消さないでいるのはどうしてか。ひとつにはFacebookでしか連絡が取れない人のために一応残しているということもある。でもメインは、みんなの自慢話を黙ってニヤニヤ見たいというイヤラシイ気持ちがあるからだ。
必死に充実した毎日を演出し、またそれに反応してヨイショするのに加わらず見ているだけのわたしをケーベツしてもいい。でもそのケーベツの眼差しに、少しばかりの愛情を残しておいてほしい。わたしのためじゃない。いずれあなたも、こちら側に来ないとも限らないのだから。
そして、賑やかな宴に加わっているあなたたちを、わたしが冷ややかに眺めていると恐れなくていい。わかってもらえないかもしれないしゾッとするかもしれないが、わたしはあなたたちを愛している。といって言い過ぎなら、愛らしく思っている。わたしもついこの間までは宴に参加していたし、今だって、これからも、いつだって、きっとあなたの「いいね!」が欲しいんだ。
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