日本語ワードプロセッサの追憶 2.1994年の夏休み

 (引き続き、2011年ころの未定稿。若干のソフトウェアレヴューつき)

 ワープロ専用機程度の紙出力ができるMac用のワープロソフトが欲しい、というのが、1994年の夏休みの私の欲求のひとつだった。

 なにしろ、普及機種とはいえ、MacintoishであるPerforma520は、貧乏大学院生には分不相応な買い物だったから、投げ出すわけにはいかない。しかし、標準添付のクラリスワークス2.0やSimpleTextはとても私の要求を満たすソフトではなかったし、そもそも舶来のMacで自分の要求を満たすワープロソフトがなんなのか、全く見当がつかなかった。国文学畑のPC-98ユーザーの方が、断然綺麗な資料を作成していた。ジャストウィンドウ版の花子と一太郎の組み合わせは、マルチフォント、正確な組版、画像混在など、当時の基準でいえばかなり高度なドキュメントの製作を可能にしていたのである(プリンタなど出力環境の違いがあるので一概には言いにくいが、正確な日本語組版に関しては、2011年現在のWordなどより、当時の一太郎の方が優れていると思う)。創造系PCとして名高いMacを使いながらで、ワープロ専用機はおろか国産機レベルにも達しない印刷物しか作ることができないのは、とても情けなかった。

 そこで、パソコン雑誌やMacのマニュアル本を買いあさり、また、休日に京都の電気街であった寺町京極(最近はあまりそういう印象はないが)や、大阪・日本橋に足を運んで、ワープロソフトについての情報を収集することにした。現在と違い、オンラインの情報源はNifty-ServeやASCIIネットのようなパソコン通信くらいしかなかったので、活字メディアか販売店でしか情報が入手できなかったのである。また、周囲のユーザーに話を聞いたり、試しに使わせてもらったりもした。とにかく、一太郎や文豪にはできない「格好いいドキュメント」を作りたかったのである。

 当時もっともスタンダードなMac用の日本語ワープロソフトはエルゴソフトのEGWordだった。他にもMacWriteⅡとかMicrosoft Wordが比較的多く使われていた。当時Wordと覇権を競っていたWordPerfectの日本語版もあったし、日本語縦書きを必要としなければ、マルチランゲージ対応環境でSolo Writerを使用するという選択肢もあり、また、少し後(1995年)には、唯一のMac版一太郎であるVer.5をジャストシステムが発売しているから、2011年現在よりもある意味選択肢には恵まれていた(Mac版のワープロソフトは、現在でも特徴的なものが多数存在していて、Windowsよりは状況はマシだが)。ただし、一太郎とEGWord以外は縦書対応など日本語独自の機能の実装が怪しかったように思う(実際に動かして確認していないので、記憶違いかもしれない)。

 当時私は、大学や友人の機材を借りてこれらを一通り試して、簡単なレビューのメモを残している。あくまで自分の購入検討のためのメモであり、勝手な印象に過ぎないので、現在の目で見ると正確な評価とは思えないが、当時の気分とか皮膚感覚を思い出す面もある。そのメモには、次のようなことが書かれていた。

・Solo Writer

 長文編集と脚注の取り扱いが得意で、動作も軽く、学術論文執筆には適している。EndNoteと連携することもでき、安定性も持ち合わせている。ただし日本語関連機能はあまり充実していない。書式付きテキストエディタのようなソフト(このソフトは、後にNisus Writerとなった。1994年頃は、それまで主流だったWordを駆逐するような勢いがあったようだ)。

・EGWord

 どことなくMacソフトというよりDOSソフトのような使い勝手。日本語変換は標準よりは賢い。書式設定も日本向き。やや重いがWordPerfectやWordほどではない。

・MacWriteⅡ

 何か日本語の書式設定をやるとソフトが落ちたりOSがフリーズする。機能拡張が多すぎて不安になる。動作は意外と軽い。

・WordPerfect

 見た目が格好いい。高機能すぎてよく分からない印象。長文を扱っていると落ちる。文書ファイルのリソースフォークが消えて白紙アイコンになったりする。カーニング関係の動作が変。

・Word

 思ったより軽いが、やはり重い。ディスクを食い過ぎのような気がする。動作がいちいち重い。

 余談だが、当時オンライン・テキストの拡張子によく「.DOC」が使われていて、Wordのファイルかテキストファイルか区別ができない場合があった。アメリカ等のサイトにある場合はWordの独自ファイルの拡張子、日本のパソコン通信に置かれていた場合はプレーンテキストであることが多かったようだ。最近の人は知らないかもしれないが、ExcelもWordももともとはMac向けの製品として開発されたソフトウェアである。むしろWindows版の方が、Mac用アプリの移植なのであるが、Windows3.1以降、マイクロソフトはOfficeソフト開発の主眼をWindows版に移行してしまったため、Wordのバージョンアップが一時停まってしまった。それも、WordPerfectやSolo Writer普及の追い風になっていたように思われる。

 当時のプアなメモリ環境(デフォルト4MB、一般的には8MB~32MBが主流だった)では、MacWriteⅡやWordのような大量の機能拡張を伴うアプリケーションは、大きなサイズのデータの取り回しに不安定な印象もあった。MacWrite、Wordについては、ある程度大きなサイズの文書を編集しているとメモリ不足による強制終了によく出会い、最悪の場合データが壊れたりした。あまり信用して使っていなかったようである。Excelも結構良く落ちるソフトだったが、Wordはその比ではないほどよく落ちた。

 一通り試してみた結果、どのソフトも一長一短で、自分の要求を完全に満たすものはなかった。一太郎よりルビ付き縦書きの資料を綺麗にレイアウトできるのはEGWordくらいしかなかった。日本語入力システムとしてEGBridegeを標準装備していたために、漢字変換が賢かったのも印象に残っている。他のソフトではOS標準の「ことえり」を使うか、別にVJEをインストールする必要があった。

 いずれにせよこれらのソフトは、価格が一本数万円する高価なもので、(生協価格でも)購入する踏ん切りが付かなかった。単に貧乏だったからというより、道具としてそこまで投資する必要を感じなかったのである。「たまづさ」やORGAIといった、日本語環境に特化したソフトウェアもあったが、これらを使うくらいなら最初からワープロ専用機を使用する方が効率的なような気がして、あまり食指が動かなかった。そこで、発想を転換し、完全に希望を満たすものではなく、最低限の要求性能を満たす、安価なソフトを探すことにした。

 当時もっとも安価に買えたMac用の日本語ワープロソフトは、カテナから発売されていたFlash Writerという簡易ワープロソフトだった。Flash Writerは縦書に対応し、脚注機能も実装していた。日本語インプット・メソッドが付属していなかったので、別に日本語入力プログラムを購入しない限り、Macintoshに付属する「ことえり」を使うしかなかったが、ワープロで作成したテキストをMS-DOSテキストとして流し込み、縦書き資料を使るのには充分使えそうだった。ワープロ専用機と違い、(「なんちゃって」ではあるが)WYSIWYGで編集ができるのも魅力だった。

 最終的には、このソフトを使おうと決めて購入した。

 では、私はこのソフトで原稿を書き、資料を作りまくったのか?

 そうとも言えるし、そうでないとも言える。

 ガシガシ原稿を書くには、やはり「ことえり」の日本語変換が使えなさすぎたのである。これは、ワープロソフトの責任ではないのだが、どうしようもなかった。思った漢字が出ないストレスは、耐えがたかった。文豪mini7Rで慣れ親しんでいたNEC AI日本語変換以下の変換効率であり、執筆速度がガタ落ちになってしまった。SHARPの書院など、ワープロ専用機の日本語変換の性能は既に現在とさほど遜色ないレベルになっていたので、日本語変換が使い物にならない、というのは致命傷だった。

 VJEやATOKを導入していれば、軽くて比較的安定していたFlash Writerにはもっと活躍の場があったかもしれない。しかし結局、このソフトはさほど使い込まないままお蔵入りさせてしまった。

 なぜなら、中古で入手したEPSONの「国民機」ことPC-98互換ノートパソコンであるPC-386WRがあまりに使いやすかったために、原稿執筆にはこちらを主に使うようになってしまったからである。このPC-386WR、もともとは図書館などでのノート取りのために買った低スペックのノートパソコンで、HDDは20MB、メモリは640KBしかなかった。HDDにはATOK7とMS-DOS3.0、Vz-Editorしか入っていなかった。このうちDOSとATOKはもともと入っていたか友人のディスクを譲ってもらったかの怪しい代物だったが、当時はあまり深く考えないでそのまま使っていた。この機械は、安かったがPerforma520の数倍は使い込んだ。VzーEditorで原稿を書き、バイトで学部生の卒論梗概百数十人分を入力し、研究機関がDOSベースで配布していたテキストデータベースをGREPとVzで使い倒した。

 Performaはもはやレイアウトと印刷にしか使わなくなってしまい、それすらも研究室のPageMakerでやるようになると、完全にインテリアと化してしまった。

 このとき私が学んだのは、ワープロソフトに自分が求めていた機能が、執筆環境と出力環境に切り分けられる、ということだった。

 Vz-Editorは、動作が軽く安定していて、マクロによる機能拡張やカスタマイズによって原稿執筆に必要な機能をほぼ揃えていた。複数文書を開いてのコピーペースト、脚注、目次の生成、ファイルのマージなど、違和感なく使うことができた。ATOKの変換も賢く、文房具として理想的だった。

 一方、PageMakerは簡単なソフトではなかったが、一応思った通りの製版ができた。ただ、Windows版の一太郎にテキストを流し込む方が簡単だった。

 「ことえり」とFlash Writerしか入っていないMacに勝ち目はなかった。

 翌1995年の夏に、私はPeformaをSofmapに売り渡し、DOS/Vのサブノートに買い換えることにした。

 キャラベルという周辺機器メーカーが発売していた、台湾製のOEM製品だった。Windows3,1とDOS/V5.0を搭載し、インテル486SX/25MhzのCPU,メモリは4MB、HDDは120MB、モノクロSTN液晶だった。

 私はこのマシンで、DOSとWindowsを切り替えて使おうとした。DOS/V上のVzエディタで原稿執筆を行い、書き上がったところでWindowsを立ち上げて、WYSIWYGのワープロソフトで仕上げと印刷を行う、という使い方を想定したのである。日本語入力システムも、WindowsではなくDOS/Vをメインに考えて、あえてWindows版ではなくDOS/V版WX3をチョイスしたくらいだ。レイアウトソフトには、当時まだマイナーだった「パーソナル編集長」を使うことにした。

 翌年、Sofmapでたたき売られていたSotec WinBook SCに買い換えるまで、このマシンはかなり使い込んだ。使っている間は何の問題もなかったのだが、後で考えると「パーソナル編集長」のチョイスは失敗だったようだ。Wordや一太郎で読み込めないファイル形式のため、この頃作ったファイルの大半が(テキストファイルを除いて)再利用できないのである。マイナーなソフトで作ったファイルは、RTFかTXTにしておかないと他人に渡せないし、いつ再利用できなくなるかわからないという問題がある。現在ならPDFにしておく方法もあるのだが……。

 この環境は、私にとってエプソンのノートとMacを統合した理想的なものになるはずだった。しかし実際には、使用効率はむしろ下がってしまったように思う。DOS/V版Vz-Editorの画面表示が、98版に比べて綺麗でなかったため、使い勝手に想像以上の差ができてしまったのである。これはVzのせいではなく、DOS/Vのマルチランゲージの取り扱い方法の問題だったので、どうしようもなかった。V-TEXTによって表示文字数を増やせるというメリットもあったが、どうしても書き心地の面でPC-386のレベルには及ばなかった。手になれたツールを、深く考えずに他のものに置き換えると、だいたいこういうことになる(分かってはいるのだが、今でも同じような過ちを繰り返してしまう)。

 それでも、この時、私の執筆環境は、一旦実用的な状態に落ち着いた。

 Windows95という歴史を変えるOSが発売されたのは、その年の初冬のことだった。

 それとともに私の執筆環境は大きく乱れ、再びワープロ逍遥の日々が始まるのであるが、それはまた別のお話しである。

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