日本語ワードプロセッサの追憶 1.世紀末の唄

(メディア発表済原稿がデータで残ってないので、データ化できるまでしばらく未発表原稿が続きます。このシリーズは、電子処理で人文系の原稿を書き始めたころから2005年頃までの「日本語ワープロ」に関わるエッセイです。未完ですが1話単位でも読めるので埋め草としてアップします。なお、執筆は2011年頃。)

 私は、文科系人間である。それも、骨の髄からの文科系である。

 したがってパーソナル・コンピュータなどというものには割に遅くまで(少なくとも20年前まで)ほとんど縁がなかったし、その利用方法は現在でもメール・ウェブ・ブラウジングを除けばほぼ文書作成に限られている。画像データや図面、ちょっとした見栄えのデザイン、表計算ソフトを使った簡易データベース、プレゼンテーション・ソフトを使ったスライドショー程度は余技に行うが、文書作成の比ではない。ほとんどワードプロセッサ専用機に毛が生えたような使い方しかしていないわけだ。

 ワープロ専用機を初めて使用したのは多分1987年頃で、2行モノクロ液晶表示のEPSONのポータブル機だったように記憶している。同人誌(『戦闘妖精・雪風』のファンジン)用のパロディ小説を入力したのが初体験だった。内蔵熱転写プリンタのインクリボンがすぐなくなってしまうので、途中から感熱紙を使うようになったが、ワープロと言うより電子日本語タイプライターのような使い勝手だった。

 その後しばらくは、大学入学後はワープロさえも使わず、手書きで原稿や調査カードを書き付ける日々が続いた。1988年頃はまだ、図書館学を履修すると統計処理のためにBASICを教えられるような時代だった。私の通っていた京都の某私立大学の図書館には、日立の独自アーキテクチャのDOSパソコンが大量に導入されていたが、それらの機械には、ジャストウィンドウ版の一太郎とLotus1-2-3がインストールされていた。

 そのときの図書館の文献検索システムはUNIXで、工学部で独自開発していたらしく、とっても使いにくい代物だった。その頃、CRT画面のついたNECのワープロ専用機・文豪mini7Rを親が購入し、私もそれをサークルやゼミの資料作成に使うようになっていた。文豪mini7Rは、3.5インチ2DD対応で、PC98互換のDOSディスク(640KB)を扱うことができた。それまで使っていた液晶2行表示とは比較にならないほど見やすいディスプレイがあり、キーボードも現在の基準でみれば鬼のように剛性が高く、打ちやすかった。私はこの機械で大学3、4年生の時のレポートや卒業論文を執筆した。ただし、当時私の母校はプリントアウトでの卒論提出を認めていなかったので、ワープロで書いた原稿をプリントアウトし、400字詰め原稿用紙に自筆で転写するという、あまり意味のない作業をやらなければならなくなってしまった。

 大学院に進学してからもしばらくはこのマシンを愛用していたが、私の周囲の人々は、次第にワープロ専用機からパソコンに乗り換えはじめていた。学部のリーダーであったK教授は、既に1988年頃にはMacintosh DTPで概論用テキストを自作していたが、それまでは機材が高価過ぎて学生や院生の手には届かなかった。理系では、既にNECのPC9801シリーズやSHARP X68000などが使われ始めていたが、文科系の学生には(DOSのハードルが高かったためもあって)まだPCがさほど広がっていなかった。DOS系のPCには冷淡だった文科系学生が、パソコンとしてMacintoshを導入するようになっていったのは、1994年頃のことだったと思う。

 私も、大学生協でApple のPerforma520を購入し、ワープロ専用機からPCに移行することになった。

 当初、コンパックのWindows3.1サブノートと、どちらを購入するかで非常に迷ったのだが、周囲の勧めが強かったので結局Macintosh系に落ち着いた。後で思えば、「DOSも分からないのにDOS/Vとか無理でしょ。教えるのも面倒だし」という判断だったのだろう。

 パソコンを購入した当初は、分からないことばかりであった。まず、PCはワープロ専用機のような単目的の道具ではなく、多目的なプラットホームである。したがって、アプリケーションを導入しなければ道具として使えるようにならない。当たり前なのだが、最初はそのことすらなかなか理解できなかったのである。

 Performa520は、通常のMacintoshと違い、いくつかのソフトウェアがプリ・インストールされていたので、まだマシなほうだった。

 キッドピクスやクラリス・ワークス、ハイパーカード(ランタイム)などが付属しており、一応すぐに使える水準には達していたのである。

 ところが、私の学んでいた「文化史学」の研究で使うためには、「縦書き」や「ルビ」のような日本語独自の表現の機能が不可欠だった。賢明な読者にはおわかりいただけると思うが、Performaに付属していたクラリス・ワークスには、縦書機能がまだ実装されていなかった。ワープロ専用機である文豪Miniやシャープの書院には普通に搭載されていた日本語表現に、より高価なMacintoshが対応していないことに、私は大きなショックを受けた。MacWriteとかWordとか、日本語化されたワープロソフトの一部にはその機能も装備されていたようだが、高価過ぎて手が出なかった。K教授は当時まだアドビではなくアルダスが販売していたPagemakerを使っていたが、そんなものは夢のまた夢であった。WYSIWYGがウリのMacでちゃんとした資料を作ることができないというのは、とてもショッキングだった。クラリス・ワークスは、ワープロとドローと表計算と通信機能をセットにしたソフトで、通信以外の各環境をシームレスに使って文書作成ができる優秀なソフトだったが、Performaに付属していたバージョンでは、まだインライン日本語入力さえできなかった。Windows版も併売された4.0まで、日本語ソフトとしての完成は待たねばならなかった。

 私はなんとか、自分に必要な機能を正規な手段で入手すべく、購入可能な範囲でワープロソフトを物色しはじめた。

 ……と、この辺りから、私のワープロソフト遍歴が始まる。

 最初の動機は、「ワープロ専用機と同じ程度の結果が欲しい」だったのである。

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