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「らしく」のスタートラインに立てない子ども・若者たち

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※令和2年2月に第21回愛恵エッセイにて、専門職の部で最優秀賞を受賞したものです。

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この日本社会は、子ども・若者が「らしく」生きられる社会になっているだろうか。


 私は愕然とした。
 自分「らしく」生きる権利を得られない子ども・若者たちがいるこの状況に。親を頼れなく、後ろ盾のないこども・若者たちが自分「らしく」生きられていない現状に。


 私が“その現状”を知ったのは、児童養護施設で働き始めてからだ。虐待や親の不在などの背景により後ろ盾のない子どもたちと出会い、私の人生は変わった。私はそれまで知らなかった。施設で暮らす子どもたちが、何を考え、何を感じ、今を、これからをどう捉えているかだなんて。


 そこで出会った子どもたちは、今まで私が出会ったことのないような子どもたちだった。彼らは、どこか子ども「らしさ」を無くしていた。大人に対して常に一歩引き、「この人は本当に信頼に足る存在であるか」と問うように、目の前の大人に対して斜に構えていた。そして、社会に対しても常に一歩引き、この社会は自分らにとって信頼に足る社会であるかを常に伺っていた。彼らの経験してきた壮絶な人生を思うとそれも無理ない。彼らは子ども「らしさ」を捨てて来ざるを得なかったサバイバーだったのだ。


 「親とこれからどうやって距離を取っていくことが適切か」。そんなこと、私は若い頃に考えた事はなかった。しかし、目の前の子どもたちはそのようなことに悩み苦しみ、そしてすでに何かを悟っている。私が幼い頃悩まなくても良かったことに彼らは悩み、私が幼い頃心配しなくて良かったことを彼らは心配しているのだ。子ども「らしさ」を捨てて。


 そして彼らは児童福祉法から守られる年齢を抜け、社会に出ていく。そこからも、施設出身者だからといって諦めざるを得ないことがたくさんある。「若者は若者らしく(・・・)いろんなことに挑戦しよう!」、「若いんだから何でもできる!」そういった類の言葉はどこか遠くの、あるいはテレビの中の、自分には関係のない世界のもののように聞こえるのだろう。そう、この社会は彼らが若者「らしく」生きることを保障することはできていないのである。


 だから私は、彼らが生きやすい社会にしていきたいと思い活動をしている。彼らが若者「らしく」周りの若者と同じスタートラインに立てるような社会の実現を目指している。“施設出身者だから”といって多くを諦めなくてもよい社会の実現を。


 本来する必要のない心配や苦労に埋もれて、前に進めなくなっている施設出身の若者に出会うたびに私は心が痛む。そういう若者に出会ったら、「あなたは悪くない。あなたは十分頑張ってきたと思う。一人で悩まないで一緒に考えていこう」と声をかける。


 社会的養護。虐待や様々な理由によって親を頼れない子どもたちのことを社会が親代わりになって彼らを養育することである。社会が親なのである。しかし、社会側はどうであろうか。親である社会は彼らの顔と名前も知らない。彼らの存在さえも知らない。助けを求めていることさえも知らないのだ。今の日本の社会は子を知らない。私はその一人だった。


 だから、この現状を知った時、私は愕然とした。そして恥ずかしさを覚えた。彼らの存在を知らずに生きてきたことを。もっと早くに知っていたかったと思った。そして、そう思っている人はたくさんいる。だから私はこの若者たちのことを伝えたいと思った。親である社会に。彼らを無き存在にしないでほしい。周りの若者と同じように、フツウの若者「らしく」生きられない若者がいることを。


 「親の悪口を言っている、実家暮らしの友だち・・・いいじゃん頼れる親がいるだけ。いいじゃん、帰れる実家があるだけ」


 「同じ世界を生きているはずなのに、すれ違う人たちみんなとすごくかけ離れているように思える」


 「進学したかったけど、経済的な理由で諦めざるを得なかった。相当な志が無いと進学なんてできないし、進学したらしたで、できなかったらどうしようという脅迫にかられる。私たちには気軽にチャレンジすることは許されない」


 「私たちには、失敗する権利が与えられていない」


 若者「らしく」生きることとは何だろうか。


それは、若者たちが挑戦することを保障することである。
失敗しても大丈夫だという保障があることで初めて若者は挑戦できる。


 社会的養護の子ども・若者たちにとっては、まだそのような社会になっていない。彼らの叫びは無い物かのように、社会の隅に追いやられている。


 私は彼らの「声」を聴いた。心が抉られるような、そんな思いになった。そして、また、彼らの「声」の中に限りない可能性も感じた。彼らの声は、誰かを励まし、力づける宝にもなり得る。彼らこそ、日本を担っていく国の宝である。


 そんな若者たちの声が届き、彼ら「らしく」生きることのできる社会の実現を目指している。


   そのために今日も私は彼らの「声」を届ける。 

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