最近、死の感覚が落ちてくる🌍
こんにちは!
自然・食事・旅行・ダンスがキーワードのたかしぃことマスター参上🌍
今回は、タイトルにもある通り「死」について少し触れていくことにする。
僕は1ヶ月かけて、「死」とは何かという本を読んだ。
ここから先は、380ページもあるこの本を通して、僕が一番伝えたい"2つ"のことをまとめ、ほんの少しだけ自分なりの考察も入れていくことにする。
後日、"僕なり"の「死」に関する考察を書き留めた第二弾を発信する予定だ。
先に告知してしまったことをお許し願いたい。
今回は、僕的にかなり興味深い内容になっているため、ぜひ最後まで読んで頂けたら嬉しい限りだ。
それでは早速💁♂️
①僕らは"いつ"死んだと言えるのか?
まずは①の、僕らは"いつ"死んだと言えるのか?について話を進めていく。
僕は最近、「僕ら人間は、生まれ変わったら何になるのか?今までの記憶は全部消えるのか?」など考えることがある。
しかし数日前から、これについて考えてもどうにもならない気がしている🙋♂️
なぜなら、"おそらく"僕の記憶も存在も消えるからだ。
僕の身体に対して「動け!」と指示を出してくれる脳の細胞が崩壊するから、記憶が消えて"人格"も消える。そして、僕の身体は死体となって腐敗が進み、やがて僕の"身体"も存在しなくなる。
面白いことに、脳細胞が破壊され、思考が停止し、"人格が死んだ"あともなお、僕の"身体は生きている"。
さて、ここで問題となってくることは、
「僕はいつ死んだ?」ということだ。
人格を失った時か?それとも身体が灰になった時か?
これは、僕にとってはとても興味深い問題だ!
これに対する僕なりの答えを述べると、
「僕は人格を失ったときに死ぬ。」だ。
なぜなら、「僕は何者なのか、今どこで何をしているのか。」などの考えを巡らせることができなくなった時、依然として僕の"身体"は存在しているが、実質、"僕"は消えていると言えるはずだからだ。
②なぜ、死は悪いと言えるのか?
次は②の、なぜ、死は悪いと言えるのか?について話を進めていく。
端的に言おう。
なぜなら、死んだらもう、人生が提供してくれるであろう様々な良いことや楽しい経験が出来なくなるからだ。(剥奪説)
また、僕たちは、自分たちが思っているよりも早く死を迎える。だから、死は悪いと言える。
"少なくとも僕"は、この考えには賛同だ。
「人生は、何もしないには長すぎるが、何かをするには短すぎる」
という言葉がある。
"少なくとも僕"は、この世界で経験したいことがありすぎる。
だが、残念なことに僕らのほとんどは100歳までに死んでしまう。(現代における医療技術の発展は)
そのため、「自分にとって最も価値があることは何か?」を判断するには時間が足りなすぎるのだ。
また、仮に自分にとって最も価値があることが見つかったとしても、人生を何度もやり直すことができない"はず"の僕たちは、「どうやってそれを達成するのか?」も考える必要があると言うのだから、尚更辛辣だ。
以上のことが、僕がこの分厚い本を読んでみて伝えたかった内容だ。
最後まで読んでくれた方、とってもありがとう😊
それではまた。
Have a good day✨
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