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父の人生を変えた『一日』その7 ~アメリカ滞在~
その7 ~アメリカ滞在~
今と同じ様にアメリカ大統領予備選挙が行われていた時であった。田舎の少年は大学生になりイギリスリバプールサウンドいわゆる―ビートルズ―の時代であったが静かな音楽アメリカ系ユダヤ人のサイモンとガンファンクルの歌に魅了されていた。特に歌の歌詞を気に入っていた。予備選挙マクガバン候補の応援にニューヨークマジソンスクエアガーデンは人で一杯であった。その中に日本生まれの田舎の少年がサイモンとガンファンクルの出番を待っていた。ヒット曲―アメリカ―が歌われた。少年は生の音楽しかもニューヨークで聞く音楽に興奮は最高潮に成っていた。これぞアメリカであると酔いしれた。アメリカに来て良かったと何度も何度もうなずいた。感激のるつぼにはまっていた。
サイモンがその後日本公演で武道館に来た。最前列で―アメリカ―をアンコール。リクエストしたのは私であった。
自由を愛する国おおらかで素晴らしい個人主義の(利己主義ではなく)発達した国アメリカは最高であった。この国に住んでみたい。この国で仕事をしてみたい。そんな心の芽生えが自分では抑えきれなく成っていた。大アメリカを一人で縦横無尽に駆け巡った。シナリオの無い旅が続いた。そしてアメリカを満喫し日本に帰る日が近づいていた。―I Shall
return―必ず戻ってくるよと言って帰国の旅についた。もちろん安い飛行機代での帰国であった。隣に同時通訳で有名な鳥越久美子が乗っていた。
~倅の解釈~
期間は定かではないが、父は貧乏ながらも、アメリカの空気、雰囲気に魅了されていた。1960年代のアメリカ。どんなんだったのだろうか。激動の時代。活気あふれる時代。父はいつも車の中でサイモンアンドガーファンカルの曲をパワープレイしていた。幼少期のころから、いつも。今になって考えてみるとはじめて渡米した時の思い出を大事にしていたのだろう。
父は、アメリカで住む、アメリカでビジネスをすることをこの度で新たな目標とした。単にアメリカを見る幼少期からの夢を実現しながら新たな夢を、野望を抱いていた。
このような経験をもっともっと日本の若者にさせてあげたいのが私の夢にもいつの日かなっていた。父やアメリカ、海外にて成功された方々が人生を変える風景に魅了され、日本人としてのアイデンティティーを実感するこのような経験。旅行ではなく、滞在という形での海外冒険。お金をかけなくてもいい。こんなことをサポートできたら幸せ。
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