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父の人生を変えた『一日』その85 ~経営と技術に優れた企業づくり~

その85 ~経営と技術に優れた企業づくり~
 「ライオンさん業界の会長・理事長さんとはどういう風に選んでいくべきですか?」
ある電気業界の人から聞かれた。
「業界で実力のある人が業界を引っ張って行くべきだと思います」
とライオンは答えた。
「新潟県で一番売上のある電気工事業社は何処ですか?」
「T社です」
ところがこの会社の社長さんは電気だけでなく他の業種もあり電気業界は役員の人が代行で業界活動をしていた。次に売上のある会社はTK社であった。
「その会社がなるべきではないですか?それでいいのでは?その社長は人格者ですか?」
「慶応大学卒業で人格者でありロータリマンであり商工会議所でもリーダー的存在です」
そういう人が会長、理事長になるべきですとライオンは答えその人は結果的に会長になった。
 新しい電気業界の幕開けであり人事も若返り業界の再スタートが切られた。ライオンは副会長として建設的具申を提案し副会長として会長を支えた。社会貢献・地域貢献を通じての業界活動ISOの取得奨励や建設CALSの導入やら電子入札への対応やら新しい時代への会員の移行を進めていった。旧態依然の業界が新しいモットー『経営と技術に優れた企業づくり』を標榜し業界に活気が出始めた。


~倅の解釈~
 弊社の先代は電気工事組合を通じて業界の発展、技術力の向上にかなりの力を入れていた。戦後日本の復建はこのような『組合』的な協働体制で社会に変革を促す動きが主であり、「お互いを助け合う」=「お互いを磨き合う」そんな社会であったかと思う。今や違法になり、コンプライアンスが主となる社会になっているが、当時は各業界には倫理と道徳を基盤とした「仁義」が各業界、マーケットを動かしていた。
 時代は変わり急ピッチに高度経済成長を遂げる日本。特に官庁関係の仕事がすさまじい勢いで増えて建設業界そのものは潤った。バブル崩壊までは、過去の産物で建設業界は食べてきたように思う。戦後の復建・復興の勢いで。しかし、バブル崩壊とともに、様々なジレンマを抱えていた建設業界がリセットされた。1991年~1993年。平成不況や複合不況とも呼ばれた時期に突入である。そこからは連続するダウンヒル。日本経済大変な時期を迎えた。 建設業界もこの時代の流れの中、仕事は激減して、生き残りをかけた時代に突入。
 親父はちょうど、この時代に水澤電機の社長を継承している。社会が変革、改革をしなくてはどうしても、生き残れない時代の中、親父も日々考えていたのだと思う。業界団体のあり方もこの時代から変わってきた。新たな市域のみならず県域の業界団体の設立であった。
 あらためて、2020年、オリンピックイヤーにこの状況を分析するのもまた面白い。業界内の企業が連携、協力、協働しながら『経営と技術に優れた企業づくり』をモットーとして、活動する意味と意義はあるのか?このような業界の動きはどのような方向へ向かうのか?親父が生きていたら、会社経営の一線から外れて業界をどう考えたのだろうか?

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