MTGアリーナオープン2日目7勝をきっかけに自分自身のMTG史を振り返った

 2月20日~2月21日に行われたMTGアリーナオープン、フォーマットはシールド。それを私は1日目を7-2の戦績で突破した。

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 そして続く2日目も、7-1という戦績を残し、MTGを始めてから初めて2,000ドルという少なくない賞金を得た。

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 私のMTGにおける大きな節目の一つだと感じた。そこで私は改めて自分自身のMTG史を振り返ろうと考え、筆を取った。


 ここで改めて私の自己紹介からいこう。

 私のネット上での名前は袁術陛下。私を知る者はみな「へいか」もしくは「陛下」と呼ぶ。

 由来はそのまま三国志の袁術で、当時読んでいた横山三国志などで無様な死に様、そして実は天下をも狙える位置であった事を知り、そこに不思議な魅力を感じたのが始まりだった。

横山袁術

 

 マジック:ザ・ギャザリング、通称MTG自体は数十年前から名前だけは知っていた。奇しくもニューヨーク近代美術館と同じ略称を持ち、まさしく芸術品の如く美しくも幾多の絶望を与えたMoMa、ネクロの夏という漆黒の時代を輝かんばかりの正義をもって打ち破った12Knights――こういった逸話を、ネットの海でたまたま目にしたことがあったからだ。

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 それでも私はMTGをすることはなかった。生まれついて聴覚障害というハンディキャップを持つ私の聴力は110db。目の前に電車が通っても分からず、真後ろで車のクラクションを鳴らされても分からないレベルである。

 生まれついて耳が聞こえないと、必然的に発音もできなくなる。見本となる声が分からなければ、出すべき声もわからないからだ。また私自身も、家族が全員聴覚障害者であるデフファミリーであることも大きな原因だろう。

 よって私は筆談もしくは身振りによるコミュニケーションでしか健聴者との意思疎通が取れないのである。チャットや声の読み取りアプリなどがある現代は本当に便利な世の中になったものだと痛感している。発案者と開発者の方々に、この場を借りて敬意と共に多大な感謝を申し上げる。

 そんな私が対戦相手との密な意思疎通が求められるカードゲームなど、以ての外だと考えていた。故に、MTGという世界最古のトレーディングカードゲームに興味を持ちこそすれども、実際に手にとることはなかった。


▼マジック:ザ・ギャザリング アリーナとの出会い

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 しかし、2018年11月25日。オンラインゲームであるマジック:ザ・ギャザリング アリーナの存在を知った。Magic Onlineの存在はもちろん知っていたが、基本的に英語かつ5ドルという初期費用という壁を前に尻込みをしていた。そんな中で、"基本無料"という言葉と、近いうちに日本語化がされる。この2つがとても魅力的に感じた。触るだけならタダ。では触ってみよう、と考えたこの日が、私の中で燻っていたMTG熱を燃え上がらせる運命の日だったように思う。

 一言で言えば、はまった。これ以上なくはまったのだ。

 それでもテーブルトップのMTGはしないだろうと考えていた。このMTGAさえあれば、耳の聞こえない私でもMTGを楽しめるのだから。そんな考えを粉砕してくれたのが、MTGをしていた友人の「プレリリースに行こう」という言葉だった。

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 プレリリース。先行リリースを楽しむことができるシールドの大会。友人は尻込みしていた私の尻をひっぱ叩き、晴れる屋東京トーナメントセンターというMTG民にとっての聖地へと乗り込んだ。

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 楽しかった。今でも目を閉じれば、あの日の記憶が蘇る。初心者であることを知らせるネームホルダーを受け取り、対戦相手に「耳が聞こえません。初心者です」と恐る恐る伝えた時、ほんの少しの驚きの表情と共に、とても優しい目でプレイの流れなどを手取り足取り教えてもらえた。他の対戦相手もまた、非常に優しく教えてもらった。

 お互いに最低限のルールの理解と知識があれば、身振りでも普通にプレイができることに対して、私は頭を槌で殴られたような衝撃を受けた。こんなにも、簡単でよかったのかと。これまで避けてきた意味とは何だったのかと後悔の念すら浮かんだ。


 耳が聞こえなくても、MTGはやっていいんだ。やっていけるんだ。

 

 懐の深さに、思わず感極まってしまった事を記憶している。



▼横浜ミント店、信心亭の親切な店員さんたち

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 そこからはあっという間だった。まず身近なカードショップであったミント横浜店(@mint_yokohama)に飛び込み、そこで出会ったとても親切な店員さんにスタンダードなどの構築からリミテッドの説明などを受けた。そして最後にこの一言をいただいた。


「耳が聞こえなくても大丈夫です! 我々がバックアップします。いつでも声をかけてください」


 とても心に沁みた言葉だった。私がテーブルトップへと一歩を踏み出した大きなきっかけとは何か?と言われれば、このミント横浜店の店員さんの存在をあげるだろう。この店員さんは現在、ミント吉祥寺店で店長をされているそうである。まだ行ったことがないので、是非とも行ってみたいところである。

 テーブルトップで初めて組んだデッキは青単テンポ。とても安価でありながら、トーナメントで幾多の実績を残したデッキだ。初めてのテーブルトップのデッキに金をかけることに対して、躊躇していたこともあっての選択だった。

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 しかし、ここで多少の問題が生じる。《マーフォークのペテン師》はその特性上、アップキープに唱える事がしばしばあるが、そのアップキープを伝える事にかなり難儀した。アップキープに唱えようとしてもドローしてしまった後だったり、そういった事がしばしばあった。

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 それでも親切な店員さんだったり、あるいは寛容な対戦相手であったりと環境に恵まれ、私は楽しくプレイをできていた。ミント横浜店とは違うお店でもやってみよう、と考え同じく横浜駅の「信心亭(@sinjintei)」というお店のスタンダード大会へ参加した。

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「今年から始めたばかりです。耳が聞こえませんがよろしくお願いします」

 そのお店でカードに何やら書き込んでいた男前な店員さんに伝えたところ――"拡張アート"でとても有名な方である金属細工師さん(@yuuhirano0207)と知ったのは少し後の話である。

 そう伝えたところ、目を少し丸くした後、何回か頷くと白紙のカードを取り出し、何やら書き始めた。何かの作業を再開したのだろう、と思い大会が始まるまで待機していた。

 そんな私に、「よろしければ使ってください」と突然6枚のスリーブに入れられたカードを手渡された。

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 衝撃だった。このターン進行カードを指差しながらプレイをすれば、先程のアップキープに《マーフォークのペテン師》を唱えることも容易になるだろう。いや、それだけではない。対戦相手にもわざわざ身振りをしてもらったり、あるいは筆談してもらったり、そういった手間をかけさせることすらなくなる。

 つまり、ジャッジ含めた他人に出来る限り負担をかけることなく、ほぼ対等の関係をもって対戦が出来るということになる。店舗大会への参加を重ねていくうちに、これがどれだけありがたいことなのかを身を持って知った。

 この場を借りて感謝を申し上げたい。ありがとうございます。



▼初の3-0、そしてマジックフェスト横浜2019

 そこから沼へと転げ落ちるのも非常に速かった。週に3~4回程度のペースで横浜ミント店、信心亭を中心に店舗大会に参加し続けた。勝ち越しの回数も増えていったが、どうしても全勝することができなかった。7回連続で2-1ということもあった。

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 そして、灯争対戦が販売された頃、私は無限コンボを内蔵したオリジナルのティムールネクサスで、人生で初めての店舗大会での全勝、3-0を果たすことができた。この時の喜びといったら、今すぐにでも思い出せるほどだ。こんなにも熱くなれたのは久しぶりだった。


こうしてMTGを精力的にこなしていた時、ある知らせが耳に届いた。マジックフェスト・横浜2019。開催会場はなんとあの"パシフィコ横浜"。横浜が誇る港街のみなとみらいだ。

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 出るしかない、そう考えた私は金曜日に有給休暇を申請し、1日目の朝から通うことにした。本戦のフォーマットは残念ながらモダンで、その時の私はスタンダードしかなく、サイドイベント目当てだった。

 一緒に行く友人はいなかったし、本戦ではなくオマケであるサイドイベント。それでもパシフィコ横浜という壮大な会場で、見知らぬ同志であるプレインズウォーカーたちとMTGができる。そう考えると、高揚感を抑えきれなかった事を今でも思い出す事ができる。


 そうして始まったマジックフェスト・横浜2019。人、人、人、人!広大なパシフィコ横浜を埋め尽くさんばかりの人!しかも、このひとびとはみんなMTGをしに来ているのだ!高揚感が天元突破した瞬間だった。

 サイドイベントに参加した際、アナウンスで呼ばれると知った私は、アナウンスで呼ばれても分からないため、運営であるBIG MAGICの方に「今年から始めたばかりで、このサイドイベントも初参加です。耳が聞こえませんので、ここにいます。始まったら呼んでいただけると助かります」というような旨を伝えた。

 そうすると、何やら話し合いをしたかと思うと、こう告げられた。


「あなたのテーブル番号を一番前に固定します。始まる時は呼びますので、安心してください」


 なんと暖かい言葉だろうか。迷惑ではないだろうか、とそれまでに感じていた緊張感はどこかに弾け飛んでいった。運営として当たり前と言われればそうかもしれない。それでも、この気遣いがとてもありがたかった。

 LoLというゲームで知り合っていた友人とも出会い、その友人経由でMTGの仲間も知り合うことができた。その友人たちとは今も共に遊んだり、家でMTGをしたり、あるいは麻雀をしたり、旅行へ行ったり……かけがえのない友人となっている。

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▼『耳が聞こえないプレインズウォーカー』

 サイドイベントでターン進行カードを並べ、対戦をこれ以上なく楽しんでいる時、カメラを持っているスタッフの方が珍しそうに見ている事に気づいた。私は「耳が聞こえないので並べてます」とジェスチャーで伝えると、「ああ」と納得した様子で、カメラで撮っていいかと訪ねてきた。断る理由がなかった私は快諾し、とても楽しい対戦を続けた。


「インタビューをさせてよろしいですか?」


 対戦後、先程のスタッフの方に声をかけられた。まさか初めてのイベントでインタビューをされるとは! 

「記事が採用されない場合もありますが、ご了承いただけると幸いです」

 その言葉を聞き、それはそうだ、と逸る気持ちを少し抑えながら即諾し、自分がこれまで感じてきた思いを用意してくれたパソコンのメモ帳に書き連ねた。

 しかし、出来上がった記事は私の予想以上に素晴らしい記事で、インタビューを受けてよかったと思えるほどであった。インタビューアーであるアノアデザインのYuichi Horikawaさん(@bossboss13
に心より感謝を申し上げる。ありがとうございます。

 この反響は予想以上にあったらしく、しばらくの間は見知らぬ方からも「記事の人ですよね」と声をかけられ、とても恥ずかしくも嬉しい思いをしたことは記憶に新しい。

 この記事の最後にも書いてあるように、これまでは競技イベントに参加することに対して強い抵抗感を抱いていた。何かトラブルがあったら……という思いを捨て切れることができていなかったのだ。


「私一応ジャッジの資格を持っていて、プレイを見ていましたが競技シーンに出ても全然問題ないです!」


 この言葉は今でもよく覚えている。そのおかげで、競技という舞台へと歩みを進める事を考え始めたからだ。


▼初めてのThe Finals予選 in 晴れる屋TC

 年末に行われるThe Finalsが間近に迫った12月。たまに行っていた東京の晴れる屋トーナメントセンターで、Finals予選が行われるという事を予選の前日に知った。

 そういえばFinals予選は結局1回も参加できていない。あの時、「競技シーンに出ても問題はない」と太鼓判を押してもらった事を思い出し、当日枠で空いていれば初めての参加をしてみよう。そんな軽い気持ちだった。

 早朝、開店と同時にオンドレイ・ストラスキーが配信でよくしていて、興味があった青白コントロールのパーツを20枚ほど購入し、その場でスリーブに入れ、そのまま当日枠での参加申し込みを行った。

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 完全に記念参加である。それでもオンドレイ・ストラスキーが行っていたようなプレイを心がけ、対戦をこなしていったところ、あれよあれよと勝ち進み5勝1敗1引分という戦績を残した。まさか。これはあるのか。

 貼られるTOP8発表。

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 ――オポネントで7位抜け! だが、The Finals本戦への出場権はTOP4以上でなければならない。次で負ければ、本戦には出られないのだ。

 対戦相手はジェスカイファイアーズ。

 当時のメタにおけるトップメタの一角。やや有利であるはずのメインを落とし、崖っぷちからの苦しい切り出し。サイドからは《軍勢の戦親分》や《神秘の論争》が出てきて不利なマッチアップとなる。

 それでも諦めず、最善のプレイを心がけていったところサイドで2連勝。

 人生で初めてのThe Finals予選出場にして、望外の本戦への権利を獲得した瞬間であった。

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 今思えば、今コントロールを好んで使っているのはこの青白コントロールによる成功体験からかもしれない。



▼The Finals本戦、夢のような時間

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 ここでは多くは語らない。ただ、夢のような時間であった。配信や記事でしか見たことのなかった有名なプレイヤーがそこら中にいる、天上の世界であった。思わず記念撮影をお願いしてしまったほどである。

 結果は2-3ドロップ。メイン戦では全勝したものの、サイドで落とした事を考えると練度不足の面も大いにあったように思う。またこの舞台に上り詰めたい、その思いを強めた一日だった。



▼リミテッドに目覚める

 時は流れ、2020年7月頃。新型コロナウイルスの大流行により、ろくにテーブルトップのMTGが出来ず、モチベーションが少しずつ減ってきた頃。

 とあるディスコードのサーバーでドラフトが流行り始め、これを機にドラフト初心者であった私も「17lands」というドラフトツールを導入し、ドラフトをし始めた。最初はわけがわからないまま弱いカードをピックしたりしていたが、だんだんと楽しさに目覚めてきた。

 上家はどんな色を中心的にピックしているのか。下家にはどんな主張をしていくか。カードの流れを掴み、その上でピックしたカードによって変わるカードの評価。適切なピックをするために、無数の経験と知識量が求められる。

 その奥深さは大海のように深く、広い。その大海に飛び込んだ。

 大海を何とか泳いでいる最中で、突然あるサーバーへの招待をされた。

 「ゆる速@リミテ部屋」――それがこのサーバーの名前だった。

 今思えば、これこそが運命の出会いの一つだと言えるだろう。そこには私のような初心者から、リミテッド巧者――悪い言い方をすれば、リミテッド狂いまであらゆる人種がいた。

 そこは非常に盛んで、ドラフトのデッキや譜を貼って意見を仰げばすぐ「ここは自分ならこうする、何故ならば……」「これはあれに変えたほうがいい、そうすると……」という的確なアドバイスをもらえる。

 配信をすれば、「ここはこのプレイをした方がいい、そうするとこういう展開になったはずだ」という指摘もいただける。その中で印象に残った言葉がある。


「どんなプレイでも、ちゃんとした理由、理論があればいい。結果的に間違った選択でも、次に活かせばいい」


 MTGに100%の正解はない。

 だからこそ、自分なりの理由、理論をもってプレイをすることが重要なのだと、MTGの真理に身を持って感じた瞬間だった。

 元々私は他人と一緒にわちゃわちゃしながらプレイするのが好きなこともあり、毎日のように配信をこなした。時として軽口を叩き合いながら、何より楽しくドラフトをやり続けた。

 するとどうだろう。初めてミシックランクに到達し、アリーナ予選の権利を獲得することができた。その予選に向けて、練習もこなすようになった。これまではお世辞にもチャレンジできていたとは言えない状態だったが、これをきっかけにチャレンジする事に対するハードルが低くなったように思う。


▼MTGアリーナオープン

 そうした中で、初めてリミテッドによる競技イベントが始まった。フォーマットはシールド。7月から始めたリミテッドは総数1400ゲームを超えており、経験値は十二分だと感じていた時期だっただけに、千載一遇のチャンスだと考えた。

 そのために準備をこなした。1週間前に実装されたBO1シールド・BO3シールドを配信しながら、意見の交換・共有を行った。

 時として17landsのトロフィーデッキ(全勝デッキ)からプールを取得し、自分なりに組む練習をこなすなど、これ以上無くMTGアリーナオープンのために取り組んできた。

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 また、アメリカ時間を元にしているため、夜中に行われたMTGアリーナオープンは仮眠をとって万全の体制で臨んだ。

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 その結果は、最初に伝えたとおりだ。

 "練習と知識は裏切らない"――この言葉をこれ以上なく感じた二日間だった。

 リミテッドに関する成長の結果、MTGアリーナオープン2日目7勝という成果を得られたのも、ひとえにこのゆる速サーバーの方々のおかげである。この場を借りて、感謝を申し上げる。本当にありがとう。

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 以上が、2018年11月25日のMTGアリーナから始まり、2021年2月22日のMTGアリーナオープン2日目7勝という、私がこれまで歩んできたMTGの歴史だ。この歴史がまだまだこれからも続く事を強く願う。



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