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競技マジックをする理由

  上記のツイートをしたところ、少々反響があったので私なりに「競技マジックをする理由」を書いていこうと思う。


楽しいから。



 この結論に至るまでの過程をつらつらと書き連ねていく。

 以下は自分語りとなる。


 私は耳が聞こえないという聴覚障害を持つ。生まれつきのものであり、何が正しい発言なのかすらわからない。故に私は声で話すことができない。

 こうした障害を持ち、このマジック・ザ・ギャザリングのみならず遊戯王、ポケモンカードなどの「人と対面する」紙のカードゲームを避けていた私が今こうしてどっぷりと競技マジックに浸かったのはなぜだろう。

▼2019マジックフェスト横浜でのインタビュー

 過去を振り返ってみると、やはりこのインタビューが原点であると言えるだろう。

 2019年に行われたマジックフェスト横浜。当時の私はMTGを始めて半年にも満たない初心者であった。
 大規模な大会に出る勇気すらなく、ただ会場の雰囲気とサイドイベントを楽しむためだけに会場へ向かってスタンダードを楽しんでいた私に対してインタビューの申込があった。

 インタビューアーの堀川氏からかけられた「私一応ジャッジの資格を持っていて、プレイを見ていましたが競技シーンに出ても全然問題ないです!」という言葉が、恐らく私自身が『競技マジック』へ踏み出す一歩を後押ししてくれたように思う。

▼2019グランプリ名古屋

 2019年11月、グランプリ名古屋。始めて競技の世界へ飛び込んだ舞台だ。とはいえ使用していたデッキは愛機である5cニヴで、勝利よりもグランプリという雰囲気を楽しむためだけの記念参加であり競技思考からは程遠いものだった。

 当時は後世で"オーコの秋"と呼ばれる一強環境である。
 当たるデッキはもちろんスゥルタイフード、シミックフード、バントフード…………2勝3敗という成績でドロップし、残りの時間は一緒に参加していた友人たちと共にサイドイベントを楽しんでいた記憶がある。

▼The Finals 2019

 それから1ヶ月後。晴れる屋東京トーナメントセンターで行われたThe Finals 2019への最後のチャンスである104人規模の予選。
 それに私は気まぐれでなんとなく当日枠で参加した。

5-1-1の7位通過、SE1-0

 これが私にとって初めて誇れる実績を残した瞬間だった。

 SEでの権利を懸けた戦いで、ジャッジや観戦者たちに見守られながら相当な緊張感を以てプレイしていた記憶は今でも鮮明に思い出せる。
 勝利した後の対戦相手の方の「おめでとうございます」という言葉と、固く交わされた握手は未だに忘れられない。

 私のMTGに対する価値観の大きな転機となったのはこの出来事だろう。

当時のデッキ。大会が始まる前にカードを20枚ほど購入し、スリーブに入れていた思い出がある


▼2021年12月テーブルトップ復帰

 あれから2年。世界規模の感染症により、私はテーブルトップから離れていた。とはいえほぼ毎日のようにアリーナでリミテッド漬けの日々を過ごし、腕は衰えるどころかさらに磨きがかかったように思う。

 感染者数が落ち着き、ちまちまと紙のドラフトイベントに少しずつ参加するようになった。

 グランプリなどは開催されないままだったが、その一方でストアチャンピオンシップなどの構築イベントが開かれるようになった。
 その時、アリーナでオルゾフミッドレンジという初めて「紙で揃えたい」と思えるデッキと出会っていた。

個人的ベストカード。今でも使いたいけどなかなかね……

 いい機会だ。そろそろテーブルトップの構築に復帰してみよう、と思ったのが2021年12月だった。

 復帰初戦が2021年12月4日のミント横浜店で行われたストアチャンピオンシップのスタンダード。ここでTop8に残り、目玉の賞品だった店舗名入りの《集合した中隊》を得た。

 そこからは快進撃だった。

 この2021年12月4日からネオ神河が出る前の2022年1月22日までの成績が29勝3敗。決勝ラウンドがある大会では常にSEに残り続けるハイアベレージを維持し続けていた。
 《アールンドの天啓》を擁するイゼット天啓、それに対抗する緑単と白単の三すくみに横からオルゾフミッドレンジで殴りつけた形だった。オルゾフミッドレンジがほぼ意識されていなかった点も大きかっただろう。

ただ感染症の影響もあり人数は多くはなく、猿山の大将と言われてしまうと否定できない

 自分でも言うのも何だが、この時は正直負ける気がほぼしなかった。絶好調という言葉がここまで似合う期間はなかったと言える。
 とはいえ、この期間で優勝は1回、準優勝2回と決勝ラウンドでは勝ち切れないのが課題でもあった。

▼日本選手権予選

 そして発表される数年ぶりのテーブルトップ競技である日本選手権の開催
 この絶好調の波に乗らない手はない、やるしかないでしょ。当時の私はそう考え、自信をもって予選へ参加していく事を決めた。

 ここで以前から顔見知りだった方に誘われ、競技思考のコミュニティに入る事になった。
 大会の情報などが共有され、耳が聞こえず電話が出来ない私の代わりに代理で電話予約をしてもらったりと大変お世話になった。この場を借りてお礼を申し上げる。

 今思えばこれが本格的に競技の世界へと踏み入れた瞬間と言える。

 こうして毎週末に各地で行われる日本選手権予選に足を運ぶ日々を2ヶ月過ごした結果……

 抜けられなかったのである。


 当時、感染症対策として決勝ラウンドは存在せず、「スイスラウンドで全勝した人物」に本戦の権利が与えられるというものだった。

 そんな中で私はあと一勝が届かず今日の男になれない日々が続き、とうとう勝ち切る事が出来ないまま日本選手権の予選が終了した。
 先述した通り、"勝ち切れない"という課題にぶち当たってしまったのだ。これはひとえに私の実力不足である。
 ここで友人から「シルバーコレクター」という称号も得た。これはこれでアベレージの高さを象徴しているともいえるので、個人的には好きだ。

並ぶ1敗の数字

 しかし、悔しさよりも楽しさが上回っていた

 確かに予選こそは抜けられなかったが、予選に参加し続ける中で同じ立場である方々と顔見知りになり友人も増え、対面する方々はいずれも真剣に権利を狙う猛者ばかり。
 そんな方々との戦いに加え、環境に対する考察や議論などを重ねたり、人生で初めての調整会への参加であったり……こうした日々は「楽しい」の一言でしかなかった。

 余談だが、私はかつてLeauge of Legends(リーグ・オブ・レジェンド)を初期からやり続けており、その過程でプロシーンにおけるメタ──いわゆる環境を解説する記事を書いていた時期があった。

 MTGでもどのデッキが隆盛し、その有効策といったアプローチは何なのか……といった試行錯誤に対して、LoLで培った経験が活きた形になったのだろうと改めて思う。

▼衝撃のプロツアー復活

 そしてプロツアー復活。

 やるしかないでしょ(反復)

 しかしながらフォーマットはパイオニア。Twitchの配信などで見てきたものの、一切触れてこなかったものだ。当然ながら2019年から始めた新参である私にはデッキを構築できるだけのカード資産もない。

 まずは相棒とするデッキを探すところから始まった。

 そんな中で真っ先に思い浮かべたのが青白コントロールだった。私を始めて競技イベントでの実績をもたらしてくれ、The Finalsという舞台へと導いてくれたデッキ。
 《ドミナリアの英雄、テフェリー》を快く貸していただいたマチカネゴブサンビ氏には多大なる感謝を。

初心者だった私にとっては悪夢の象徴。
今の私にとっては欠かせない相棒。

 初めて出るパイオニアの大会で優勝し、その流れで晴れる屋横浜店のパイオニア狂い達が集うPower House Clubに誘っていただいた。

 そこからはひたすらパイオニアを擦り続ける毎日を過ごした。当初の私は様々なデッキを触れていくことになるだろうな、と思っていた。
 しかしそういった気持ちにはならず、ただただこの青白コントロールを極めてみたいという気持ちになった。

 不合理と言われてしまえばまったくもってその通り、としか返せない。
 競技マジックをしていく上で欠かせないのは環境読み、そしてその環境に対して有効なデッキ選択だからだ。

 しかし、私にはどうしてもコントロール以外のデッキを使う気にはなれなかった。
 パイオニアという環境は様々な角度での押し付けが非常に強く、環境を読まねばならないコントロールでトーナメントを勝ち抜くには茨の道であると言えた。

エリア予選に向けて走り続けた記憶が蘇る

 それでもコントロールには魅力があった使っていて楽しい。これが一番大きかった。
 環境を読めるならば、それに適応した構築にすることで勝ち抜けやすいから……と、自分に言い訳する毎日を過ごした。

 最初のプレミアム予選を5-0-2、そして1没。別のプレミアム予選では2-4ドロップという散々たる結果となり、敗者として終わる日がほとんどだった。
 それでも仲間たちと調整や議論を交わし、今の環境に対するソリューションは何かと試行錯誤する日々は楽しく、私の支えとなった。

 そうして青白コントロール(60枚)、エスパーコントロール(60枚)、青白コントロール(80枚)、エスパーコントロール(80枚)とコントロールを擦り続けた果てに、エリア予選を突破することができた。

 しかし、これらの経験は同じ志を持つ友人たちと歩めたおかげに他ならない。私一人だったらとうの昔に心が折れていたことだろう。

 聴覚障害を持つ私でも、常人と同じようにマジックを楽しめている最大の理由は「人」だ。親切な対戦相手の方々、適正な判断を下してくれるジャッジの方々。そしてかけがえのない仲間たち。

 私自身を取り巻く環境も含めて「楽しい」から競技マジックを続けていられるのだ。

 そういった意味では私は環境にとても恵まれているともいえるだろう。

 楽しいから。

 これが私の「競技マジックをする理由」である。


 この場を借りて、関わってきた皆さんに多大なる感謝を。
 ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。


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