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「この世に永遠の敵は存在しない」:小ピットの言葉とオペレッタ《コシチューシコ》

 1786年にイギリスとフランスが長年の敵対関係を解消して通商条約を締結したとき、当時のイギリス首相ウィリアム・ピットは「この世に永遠の敵は存在しない」と議会で述べました[1]。イギリスとフランスは非常に長い間敵対関係にあり、両国の間に灯る憎悪の炎は消すことができないと思われていました。ところが、ピット首相は通商条約によってこの関係を改善させ、共にに財政危機を乗り越えることを目指し、議会に承認を求めました。
 「この世に永遠の敵は存在しない」——首相の言葉は、当時、なかなか理解されませんでしたが、長い目で見ると、その言葉がいかに正しいものであったか認識させられます。歴史を見ると、そのことを証明する事例にいくつも出会います。
 その一例として、19世紀に人気を博した《コシチューシコ》というオペレッタの上演についてお話します。
   今年(2020年)の11月29日、ワルシャワで独立蜂起(11月蜂起)が勃発してから190年を迎えます。190年前——1830年のその晩、ロシア帝国の支配下にあったポーランドのワルシャワで、若い将校たちが祖国の独立を掲げて蜂起を起こし、ポーランド総督コンスタンチン大公とロシアの総督府軍の追い出しに成功しました。その後、蜂起は対ロシア独立戦争へと移行し、ポーランド軍はロシア軍の反撃に屈し、独立の夢を絶たれてしまいます。
 大量のポーランド人が西側諸国に亡命したことから、この事件はヨーロッパ中の注目を浴びることとなりました。この際、ポーランドをテーマとした文学作品や歌が書かれ、各地で大変な人気を博しました。ショパンの名曲が次々と生み出されたのもこの時期です。こうした中でドイツ各地で上演された劇作家カール・フォン・ホルタイによるオペレッタ《コシチューシコ》(原題は《老いた将軍》Der Alte Feldherr)は、当時非常に人気を博し、劇中歌が巷で歌われました。
 タイトルの通り、このオペレッタはポーランドの独立戦争の英雄タデウシュ・コシチューシコの晩年を描いた物語です。ホルタイは1820年代にこの作品を書き上げて自ら舞台に立ち、11月蜂起を機に改作して大成功を収めました。
 内容はパリ郊外に暮らすある母娘がナポレオンの配下にある外国人の軍団(実は、フランス軍からはぐれて放浪するロンバルディアのポーランド軍団)の急襲を受け、略奪されそうになります。そこへ近所に隠遁していた老いたコシチューシコが駆け付け、母娘を助けます。老将軍は兵士たちがポーランド人であることを知るや大激怒。兵士たちも天下の英雄を前に驚いてひれ伏し、赦しを請います。
 果敢に戦う男装した少女、祖国への思いを吐露する英雄、自由のシンボルとして登場するナポレオンなど、19世紀ロマン主義時代を象徴する様々な要素のちりばめられた作品です。
 この作品には当時の流行歌や軍歌、革命歌の旋律が劇中歌として使用されており、聴衆参加型の音楽劇として構成されています。コシチューシコのアリア《Denkst Du daran》はドイツ各地で大ヒットしました。詩人テオドール・フォンターネは後年、この旋律を耳にする度に1830年代を思い出し、胸が熱くなると語っています。この旋律はセントヘレナ島でのナポレオンとその部下ベルトランとの別れを歌ったフランス語の歌《Te souviens-tu?》の「替え歌」でしたが、ホルタイのドイツ語の替え歌は原曲以上に知られる結果となりました。

 1830年代にドイツ各地で大変人気を博したオペレッタ《コシチューシコ》は、1840年代に舞台をロンドンに移して上演されました。この上演のために英語版の歌詞と台詞が書かれ、新たな旋律と台詞が盛り込まれた新版が作られました。「外国の新しい作品」として上演され、大成功をおさめました。
 ドラマの最後でコシチューシコは死に、ナポレオンになって帰ってきます。初演時にはコシチューシコとナポレオンは同じ役者(ホルタイ自身)が演じましたが、ロンドンでは別の役者がそれぞれ演じたようです。ナポレオンの登場とともにラッパが鳴り、ラ・マルセイエーズの合唱が始まります。Marchons ! marchons ! Qu'un sang impur abreuve nos sillons ! と劇場中が大合唱する中で幕となります。
 イギリスとフランスはかつて戦争をしあった仲。フランス国民公会がピット首相を人類の敵と呼び、イギリス人たちが必ず倒さなければならない敵としてナポレオンを名指しした時代から、およそ40年。ロンドン市民がホルタイのオペレッタ《コシチューシコ》に熱狂し、《ラ・マルセイエーズ》を口ずさんだというのが、歴史が物語る事実です。
 時代は変わるものです。「この世に永遠なる敵は存在しない」と言ったピット首相の言葉の正しさが、この小さなオペレッタの上演史に示されています。

 余談になりますが、1794年にタデウシュ・コシチューシコはフランス国民公会より「名誉フランス市民」に選ばれました。これを受けてコシチューシコは晩年にフランスに移り住むことになりました。そこでポーランド軍団の腐敗した姿を目撃し、叱責したとの逸話があります。その意味で、このオペレッタは史実に基づきます。「名誉フランス市民」にはイギリス人のジェレミ・ベンサムやピットの友人で奴隷貿易廃止運動を行っていたウィリアム・ウィルバーフォースも選出されました。ウィルバーフォースには当然、批判が集中しました。ピット首相はそれについて何も語らず、何事もなかったかのように友に接していたとのことでした。

文・K. O.

[1]Davenport Adams, William Henry, English Party Leaders and English Parties, vol. 1, London: Tinskey Brothers, 1878, p. 464.

【参考】

Hague, William, William Pitt the Younger: A Biography, London: HarperCollins Publishers, 2005.

Reilly, Robin, William Pitt the Younger: A Biography, New York: G. P. Putnam’s Sons, 1978.

大嶋かず路『カール・ホルタイの音楽劇《老いた将軍》:その実像と歴史的意味について』名古屋:三恵社、2009年。




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