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ウィリアム・ピットとカースルレー子爵は遠縁であるというはなし

ウィリアム・ピット首相(小ピット)の家系図を追っていくと、イングランド史に名を残すジョージ・ヴィリアーズ(1592-1628)が先祖に登場し、かなり遠縁になりますが作家ジェーン・オースティンもピット家の家系図の中に登場します。
今回は、ピット首相の側近であり友人、その後継者であったた第2代ロンドンデリー候ロバート・ステュワート(前回のおはなしで可哀そうな経験をしたカースルレー子爵)がピットの家系図の中に登場するというおはなし。
二人の間に血縁はありませんが、意外なところでつながっています。

まずピットの家系から。
ピット首相の父方の祖父ロバート・ピット(1680-1727)は国会議員として庶民院に議席を持った人物。ロバートの父トマス・ピット(俗称ダイヤモンド・ピット)はマドラスの総督としてインドに駐在し、そこで巨大なダイヤモンドを手に入れ億万長者となったことで名を残しました。ロバートはイギリスに落ち着き、18世紀初頭に大貴族の娘ハリエット・フィッツジェラルド・ヴィリアーズ(1736没)と結婚しました。ふたりの間に誕生した次男ウィリアムがピット首相の父であり、戦争大臣として活躍した大ピットです。
 ピット首相の父方の祖母ハリエットには、ジョンという弟がいました。正式の名を初代グランディソン伯ジョン・フィッツジェラルド・ヴィリアーズ(1684-1766)と言います。つまり、このグランディソン伯はピット首相の大叔父に当たるわけです。
 この家系はさらに過去にさかのぼることができますが、今回はここまでとします。
 ここで注目したいのは、大叔父グランディソン伯ジョン・フィッツジェラルド・ヴィリアーズの家系です。グランディソン伯は1705年にフランセス・カリーなる女性と結婚し、少なくとも3人の子をもうけました。長女のエリザベス(グラディソン女伯爵エリザベス・フィッツジェラルド、1782没)は1739年にウォーターフォード選出の国会議員アラン・ジョン・メーソン(1759没)と結婚し、1751年に長男のジョージ(第2代グランディソン伯ジョージ・メーソン・ヴィリアーズ、1751-1800)が誕生しました。ジョージもまた長じて国会議員となり、1785年にはアイルランドの枢密院のメンバーに選ばれています。
 ジョージは1772年に初代ハートフォード伯ジョージ・シーモア=コンウェイ(1718-1794)の娘ガートルード(1750-1793)と結婚しました。ハートフォード伯は子だくさんであり、ガートルードのほかに12人もの子がありました。
ガートルードの3歳年上の姉サラ(1747-1770)はアイルランドの大地主ロバート・ステュワート(のちのロンドンデリー候、1739-1821)と大恋愛の末、1766年にダブリン城で結婚。すぐに長男アレクサンダー・フランシスが誕生しましたが、幼児期に死亡しています。1769年には次男のロバートが誕生。翌年には第三子を懐妊しましたが、この際、母子ともに死去しました。
1歳の頃に母と死別したロバートは成長して国会議員となり、やがてピット首相の片腕としてイギリス史に登場することになります。二人は18世紀、19世紀を代表する政治家としてその名を歴史に留めました。


◆大ピットを中心に見たピットとカースルレー子爵の関係図


      次男ウィリアム・ピット大英帝国首相(1759-1806)
               ↑
本人ウィリアム・ピット(大ピット)——妻ヘスター・グレンヴィル
               ↑
父ロバート・ピット——母ハリエット・フィッツジェラルド=ヴィリアーズ
               ↕(ハリエットとジョンは姉弟)    叔父グランディソン伯ジョン・フィッツジェラルド=ヴィリアーズ——叔母フランセス・カリー
               ↓
 従妹グランディソン女伯爵エリザベス——従弟アラン・ジョン・メーソン
               ↓
 従甥第2代グランディソン伯ジョージ——従姪ガートルード・シーモア=コンウェイ
                   ↕(サラとガートルードは姉妹)       従姪の姉の夫ロンドンデリー候ロバート・ステュワート——従姪の姉サラ・シーモア=コンウェイ
                ↓
従姪の姉夫婦の次男 第2代ロンドンデリー候ロバート・ステュワート(カースルレー子爵)


       ※      ※      ※
追記1:ハリエットとジョン・フィッツジェラルド=ヴィリアーズ姉弟の父はエドワード・フィッツジェラルド(第4代グランディソン子爵の息子)、母はキャサリン・フィッツジェラルド。キャサリンは夫亡き後Lt. Gen. ウィリアム・ステュワート(1643-1726)と再婚(3回目の結婚)しました。二人の間に子はなく、ウィリアムは戦死した兄ジェームズの4人の息子の後見人を務めたたとされます。息子の一人ウィリアムはハリエットとジョン・F=ヴィリアーズ姉弟の妹メアリーと結婚しました。

追記2:大ピットの祖父トマス・ピット(ダイヤモンド・ピット)の次男トマスは庶民院議員を務め、1727年にロンドンデリー伯爵に叙せられました。息子2人が爵位を継ぎましたが、第3代ロンドンデリー伯は未婚だったため、爵位は断絶したとのことです。

文・大嶋かず路


参考:

Dalton, Cornelius Neale, The Life of Thomas Pitt, Cambridge: Cambridge University Press, 1915.
Patrick M. Geoghegan, Stewart, Robert.
Hyde, H. M., The Rise of Castlereagh, London: Macmillan and Company, 1933.
The Peerage(http://www.thepeerage.com/)

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