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ピットとウェリントン公:18世紀のビー玉遊び


  1880年に出版されたWilliam Clarke “The Boy's Own Book, A Complete Encyclopædia of Sports and Pastimes“(Crosby Lockwood, 1880)は、19世紀の男の子たちの遊びについて記した本。18世紀・19世紀の歴史書や小説にしばしば登場するビー玉遊びについても言及されており、本書にはいくつかの遊び方が紹介されている。

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  ウィリアム・ピット首相(小ピット)やウェリントン公の伝記などにおいても、子供の頃にビー玉で遊んだことが記されている。男の子が楽しく、夢中になる遊びこそビー玉であり、同時に、喧嘩の原因を作り出すのもビー玉であったと言っていい。
 ウィリアム・ピットは7~8歳の頃、父チャタム伯爵と兄弟と共に保養地バースに滞在したことがあった。子どもたちには家庭教師がつきそい、極めて規則的な生活が行われた。父はそんな息子たちに満足し、あるとき、知人のホーア氏の子供たちをサーカス通りの家に遊びに来させた。
 ホーア兄弟が姿を現すと、チャタム伯家は子どもたちの遊び場となった。
 ところがウィリアムはどういうわけか、ホーア兄弟たちと仲良くできなかった。あまり喧嘩ばかりするので、隣の部屋に連れていかれてしまった。反省部屋に立たされてしょげているのかと思えば、そうではない。引き出しから大きなビー玉を探し出して、報復を図った。遊び場に駆け寄り巨大なビー玉を勢いよく放ち、男の子たちが並べたビー玉をバラバラにしてしまったという 。
 その後ウィリアムが叱られて泣いたかどうかは、定かではない。このエピソードは、1809年、ピットの知人ファリントンが公開した日記に基づくものである。[1]

 ピットがホーア兄弟と喧嘩をしてからおよそ15年後、ナポレオン戦争を終結させた英雄ウェリントン公アーサー・ウェルズリーがビー玉を巡って、友達と喧嘩をした。ラッセル卿の”Extraodinary Men: Their Boyhood and Early Life with Munerous Portraits and Illustrative Engrabings”より当時のエピソードを紹介しよう。
 
 1781年頃、アーサー・ウェルズリーとその兄(後のウェルズリー侯)は、少年時代の大半を北ウェールズのブリンキンハルトで過ごした。ある日、二人は帰宅途上にあった遊び仲間、デヴィッド・エヴァンスとその姉を見かけた。アーサーがデヴィッドにビー玉の勝負を挑んだため、姉は弟をおいて家に向かった。勝負を始めて間もなく、デヴィッドが「アーサーがぼくのビー玉を盗った」と叫んだ。即座に姉がその場に戻り、弟とともにアーサーに襲い掛かった。このときアーサーはおよそ12歳、少女は10歳、弟は2歳年下だった。アーサーの兄リチャードは近くにいたが、殴り合いを傍観するだけだった。アーサーは喧嘩に負け、泣きながらビー玉を返し、急いでその場から走り去っていったという。
 その後、インド総督となったウェルズリー侯は、デヴィッド・エヴァンスに「少年時代の遊びを思い出させる」手紙を書いた。ウェリントン公はまた、1815年にデンビシャーを通過した際、昔の遊び友達デヴィッドを訪問したとのことであった 。[2]


[1] Greig, James(ed.), The Farington Diary, vol. 5. New York: Doran, 1923, p. 141.

[2]Russell, William Clark, Extraodinary Men: Their Boyhood and Early Life with Munerous Portraits and Illustrative Engrabings, London: Routledge, Warne & Routledge, 1862, pp. 238-239.


文・K. O.

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