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カースルレー子爵とネルソン提督は遠縁であるというはなし

前回、カースルレー子爵とウィリアム・ピット首相は遠縁であるというお話をしましたが、今日は、カースルレー子爵とネルソン提督が遠縁であるというお話です。

まず、カースルレー子爵ロバート・ステュワート(第2代ロンドンデリー侯爵)の母方の家系を遡ってみます。カースルレーのお母様サラ・フランセス・シーモア=コンウェイ(1747 - 1770)はロバートが1歳の頃に亡くなり、ロバートは祖父母のもとで可愛がられました。

母方のお祖父さんである初代ハートフォード侯爵フランシス・シーモア=コンウェイ(1718-1794)はフランス大使、アイルランド総督、宮内長官などを歴任した大政治家であり、孫のロバートの才能にいち早く気付いた人物です。下の画像はヒュー・ダグラス・ハミルトンによる肖像画。どことなくロバートに面影があるような気もします。

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孫のロバートは……

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カースルレー子爵の母上サラの肖像画は残念ながら、見つかりません。参考までに、弟(カースルレーの叔父)ヒュー・シーモア卿の息子ジョージ・フランスシスの幼少時代の肖像画を載せておきます。カースルレーの母方の従弟です。

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話しを戻します。カースルレーの祖父初代ハートフォード侯爵は、初代コンウェイ男爵フランシス・シーモア=コンウェイ(1679– 1732)と、その妻シャーロット(旧姓:ショーター、生年不詳-1734)の長男として、1718年にロンドンで誕生しました。母シャーロット・ショーターには姉妹がいまして、その一人キャサリンはサー・ロバート・ウォルポール(1676-1745)の妻となりました。二人は、1700年に結婚しました。

つまり、カースルレー子爵の曾祖伯父が、かの第一大蔵卿サー・ロバート・ウォルポールだということです。

ウォルポール第一大蔵卿(首相)には、18人もの兄弟姉妹がいました(9人は死産もしくは早世)。すぐ上の姉のメアリー(1673–1701)の曾孫が大英帝国の英雄ホレーショー・ネルソン提督(1758-1805)です。母キャサリン・サクリング(1725-1767)の家系を遡るとメアリー・ウォルポールにたどり着きます。

メアリー・ウォルポール&チャールズ・ターナー → 娘メアリー・ターナー&モーリス・サクリング → 孫キャサリン・サクリング&エドマンド・ネルソン → 曾孫ホレーショー・ネルソン

カースルレーがネルソンと遠縁であることを知っていたかどうかは不明です。陸軍・植民地大臣であったカースルレーは、ネルソンを軍人として尊敬していたました。トラファルガーでの勝利の報と、ネルソンの戦死の報を同時に受けたカースルレーは、妻に宛てた手紙に「今日は泣いていいのだよ」と繰り返し書いています。下の絵は、トラファルガーの戦いを前に、カースルレー、ピットらに戦略を説明しに来たときのネルソンを描いたものです。左の人物については異論がありますが、私の知人のピット・ナポレオン戦争研究者の方のご指摘通り、カースルレーである可能性があります。

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ウォルポール第一大蔵卿の妹ドロシー(1686–1726)は第2代タウンゼンド子爵チャールズ・タウンゼンド(1674-1738)と1717年に結婚しました。これはタウンゼンドにとって、二度目の結婚。最初の妻エリザベス(旧姓ペラム、1711没)との間には、何人か子がいました。次男のトマスの息子(初代シドニー子爵トマス・タウンゼンド(1733-1800))は、小ピット政権時に内務大臣を務めています。ピット首相の兄の第2代チャタム伯(1756-1835)はシドニー子爵の娘メアリー・エリザベス(1762-1827)に恋をし、二人は1787年に晴れてゴールインしました。

カースルレー子爵の母方の祖母イザベラ(1726-1782)は第2代グラフトン公爵チャールズ・フィッツロイの娘です。グラフトン公の家系図を下ると、お馴染みの政治家の名がたくさん登場します。これについては、またいずれご紹介いたします。

文・大嶋かず路

[参考]

The Peerage(http://www.thepeerage.com/)

Hyde, H. M., The Rise of Castlereagh, London: Macmillan and Company, 1933.

Patrick M. Geoghegan, Stewart, Robert.(Ireland's national biographical dictionary:https://www.dib.ie/biography/stewart-robert-a8311






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