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ウィリアム・ピット関連

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#ナポレオン

オペラ《王様の会議 Le Congrès des rois》(1794)

オペラ《王様の会議 Le Congrès des rois》(1794)

 1794年、イギリス首相ウィリアム・ピットはジャコバン派の台頭したフランスの状況について語る中で、こう述べた。

「(パリでは今)ローマ教皇の結婚など、あらゆる茶番が上演されている」

 理性崇拝を掲げ、キリスト教教会の破壊に及んだ国民公会は、国王ルイ16世を断頭台で処刑したのみならず、公共のモラルや社会的常識までをも覆した。
 こうした中、劇作家や音楽家は時世の要求する作品を猛スピードで書き上

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スピットヘッドのイギリス海軍の叛乱(1797年)

スピットヘッドのイギリス海軍の叛乱(1797年)

1797年、ヨーロッパはフランス革命戦争の戦火に包まれていた。フランス軍が勢いを盛り返す中、第1次対仏大同盟は劣勢となり、1796年にはスペイン軍がフランス軍に撃破されて同盟から離脱した。スペイン海軍を手中に収めたフランス海軍がイギリスにとって大きな脅威となる中、ジョン・ジャーヴィス提督指揮下のイギリス艦隊が、サン・ヴィセンテ沖でスペイン艦隊を撃破した(1797年2月)。この戦勝の報は、イギリ

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「この世に永遠の敵は存在しない」:小ピットの言葉とオペレッタ《コシチューシコ》

「この世に永遠の敵は存在しない」:小ピットの言葉とオペレッタ《コシチューシコ》

 1786年にイギリスとフランスが長年の敵対関係を解消して通商条約を締結したとき、当時のイギリス首相ウィリアム・ピットは「この世に永遠の敵は存在しない」と議会で述べました[1]。イギリスとフランスは非常に長い間敵対関係にあり、両国の間に灯る憎悪の炎は消すことができないと思われていました。ところが、ピット首相は通商条約によってこの関係を改善させ、共にに財政危機を乗り越えることを目指し、議会に承認を求

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カースルレー子爵とネルソン提督は遠縁であるというはなし

カースルレー子爵とネルソン提督は遠縁であるというはなし

前回、カースルレー子爵とウィリアム・ピット首相は遠縁であるというお話をしましたが、今日は、カースルレー子爵とネルソン提督が遠縁であるというお話です。

まず、カースルレー子爵ロバート・ステュワート(第2代ロンドンデリー侯爵)の母方の家系を遡ってみます。カースルレーのお母様サラ・フランセス・シーモア=コンウェイ(1747 - 1770)はロバートが1歳の頃に亡くなり、ロバートは祖父母のもとで可愛がら

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ウィリアム・ピットとカースルレー子爵は遠縁であるというはなし

ウィリアム・ピットとカースルレー子爵は遠縁であるというはなし

ウィリアム・ピット首相(小ピット)の家系図を追っていくと、イングランド史に名を残すジョージ・ヴィリアーズ(1592-1628)が先祖に登場し、かなり遠縁になりますが作家ジェーン・オースティンもピット家の家系図の中に登場します。
今回は、ピット首相の側近であり友人、その後継者であったた第2代ロンドンデリー候ロバート・ステュワート(前回のおはなしで可哀そうな経験をしたカースルレー子爵)がピットの家系図

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ピットとウェリントン公:18世紀のビー玉遊び

ピットとウェリントン公:18世紀のビー玉遊び

 1880年に出版されたWilliam Clarke “The Boy's Own Book, A Complete Encyclopædia of Sports and Pastimes“(Crosby Lockwood, 1880)は、19世紀の男の子たちの遊びについて記した本。18世紀・19世紀の歴史書や小説にしばしば登場するビー玉遊びについても言及されており、本書にはいくつかの遊び方が紹

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