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0015 海からの呼び声

 なるべく体力を温存したかったため、魔素と命素の濃度が高い鍾乳洞を抜けるまでは、俺は常に『保有魔素』『保有命素』に意識を向けた。

 アルファ以下の走狗蟲ランナー5体にも、負担にならない程度で技能【命素操作】により、その生命エネルギーを充填。
 そしてその分俺の『保有命素』が減った際には、俺自身に【命素操作】によって命素を充填――ただし今度は強引にやりすぎて疲労の前借りにならないように、あくまでも自然な速度でそうすることを意識した。

 鍾乳洞の悪路や急な崖などの難所は、前回と比べて今回は眷属ファミリアが5体いることで、多少無茶なルートを取ることができた。

 アルファとベータ2体では俺を越えさせられない高さの崖でも、ガンマ以下を加えた5体の連携で突破することが簡単にできたのである。

 それは言うなれば「エイリアン組体操」で、種目は「筋肉エレベーター」とでも表現できるか、と俺は馬鹿なことを考えた。
 ちょうどアルファとガンマが並んで"籠"のように俺を下から支え、ベータとデルタが上に回って尻尾を2本垂らす。そしてイプシロンが補助に周り、必要に応じて場所を移動して押したり引っ張ったり支えたりする。走狗蟲ランナー達は的確に崖の窪みに後ろ足の爪を引っ掛け、強靭な筋力で踏ん張って体を固定、さらにお互いに組体操のように組み合うことで、それを実現していたのであった。

 そのおかげで、俺自身が登ったり崖を掴んだりする時に力を込めなければならない場面は意外なほど少なかった。

 「短縮ルート」を見つけたのはベータと連れ回されていたガンマである。
 また、5体を指揮して「筋肉エレベーター」を組み上げてみせたのは、常に俺につきっきりで介添えをしていたアルファであり、おそらくそれで俺の動き方であるとか体重移動の特徴だとか癖を体で覚えてしまったらしかった。
 アルファが十字顎をカチカチならしたり、微妙な視線や鳴き声といった"エイリアン語"で細かい指示を下し、ベータ達もまたよくそれに連携して動く。中には10m近い崖もあり、そこを降りる場面では肝が冷えることもあったが――事前にベータとガンマが登坂ルートを探ってそれを5体で共有していたようであり、柔軟な連携を見せていたのだった。

 果たして、俺達は1回目の時の半分の時間で鍾乳洞を突破。
 "解析酔い"で予定外の時間を無駄にしてしまったと思ったが、それを取り戻して余りある余裕を得た。このルートを今後はメインに、【掘削】技能を持つ労役蟲レイバーの力で"整地"していくのが良いだろう。それもまた、探索を終えて戻った後の「迷宮構築計画」とすることを俺は頭の中にメモした。

 2日ぶりに【闇世やみよ】の黒き太陽とパステルパープルの空を仰いだ。
 相変わらず、陽射しそれ自体が俺を――正確には俺に混ぜられた"魔人族"としての部分を優しく撫ぜてくるように感じられた。
 だが、ゆっくりと日光浴をすることが今の目的ではない。既にアルファ達が樹冠回廊への"降下ポイント"に向けて移動し、鍾乳洞内で見せたのと同じ連携で「組体操:筋肉エレベーター」の陣形を形成し始めていた。

 おそらく群れなす一般的な野生動物であっても、それはあくまで個々の個体の動きが連携するというもの。俺の眷属エイリアン達はそこから一歩進んで、必要に応じて自身が"部分"となって、まるで一個の生き物となることを全く厭わず、疑わない、そういう類の「連携」をするものだと思われた。
 今後、どのような「因子」を獲得していけるかにもよるが――それは俺の迷宮の特徴であり、武器とすることができると感じた。

 そんなことを思いながら、数分ほど待ってアルファ達のところへ向かおうとして。
 薄紫の空から視線を赤い海へ、島の"北側"の入り江の方に何気なく降ろした、その時だった。

 まるで海鳴りのような。
 遠雷おんらいのような。
 遠く、しかし確かに大気を震わせるような。
 目に見えぬ雷が重く低く響いたかのような、肌までをも軽くびりびりと泡立たせるような"咆哮"が、海の方から響いてきたのだった。

「なんだ?」

 "北の入り江"に視線を固定したまま、俺は動きを止めた。
 技能【精密計測】が勝手に発動して、その"咆哮"が海沖の方、入り江の海岸からも何百メートルも離れた場所であることを突き止め――その箇所を凝視する。いや、まるで凝視「させられた」かのように俺は視線を離すことができなかった。

 爆発するような巨大な水柱が、幾重もの飛沫を派手に伴って、海から天に向かって突き上げていた。
 その直後、何本もの・・・・濃青色のうねる棒状の"柱"が海面へ突き出した。
 否、それは柱ではなかった。濃青色の"胴体"を大蛇のようにうねらせる巨大な「首」であり、頭部に角を何本も生やした「竜の頭」が9つ・・
 モーセも斯くやという、海全体が割るかのような水飛沫を巻き起こし、その9つの竜頭は、天に逆らうように巨大な咆哮を上げていた。遥か遠くの距離にも関わらず、再びその咆哮が俺の肌をびりびりと泡立たせた。

 俺は【精密計測】を今度は自分の意志で発動した。
 竜頭一つだけでも、縦横高さが4~5m立方はあろうかと思われた。
 そしてそれを支える強靭な太い首は、軽く見積もっても20~30mの長さはあろうかと思われた――海上に出ている部分だけで。

八俣大蛇ヤマタノオロチ……いや、多頭竜蛇ヒュドラか?」

 世界認識が最適化され、迷宮外の生物に対しては「名前のみ」を表示する【情報閲覧】技能において、その化け物の名が『多頭竜蛇ヒュドラ』と定義される。
 多頭竜蛇ヒュドラの咆哮は、当初はばらばらだったが、徐々に"輪唱"のようにそれぞれの竜頭が一定の間隔を空けて、規則的なものとなっていった。それはまるで歌っているかのようでもあり、不気味な海鳴りが絶海の孤島の全域に降り注ぐかのようだった。

 ――すると驚いたことに、島の各所でにわかに緊張が張り詰め、騒々しくなっていった。
 その咆哮に合わせて、木々が揺れ、少し離れた位置で樹冠回廊の一部から枝の塊が落ちて"大穴"が空いたのが見えた。
 鳥のようなコウモリのような、翼を持つ小型の生物の群れがいくつもバサバサと飛び立ち、まるで多頭竜蛇ヒュドラから逃げるように島の南側の方へ飛び去っていく。狼に似た高い鳴き声がいくつも響き、樹冠回廊の"葉"という"葉"をざわざわと揺らしながら、何かの獣の群れが駆け抜けていく。枝の道を蹴るその足音は、島の南西の古樹地帯に向かっていった。
 俺が丘の頂から遠目遠耳に観察できたのはその程度だったが、樹冠回廊の下でもおそらくは様々な鳥獣がパニック状態に陥って"避難"しているものと思われた。

「竜……か」

 その存在は闇世Wikiにも記されていた。
 しかし詳細については「爵位権限クリアランス不足」であった。ただ……"歴史知識"の方では、多少の記述を見つけることはできた。

 曰く、竜とは神々の争いにおいて生み出された"兵器"たる究極生命である、と。
 神々の争いの中で【人世】の超大国――黄昏の帝国――が崩壊した後、混沌に陥った【人世】では、空前の『竜が人族を支配する時代』が誕生、名を『竜主国』と言う。その支配は約1,400年にも及んだが――最終的には諸族の反乱が起きて多数の"竜主"が討ち取られ、生き延びた竜の多くは【闇世】落ち・・してきた、ということだった。

 絶海に囲まれたこの孤島は、そのようないわくと来歴を持つ存在の縄張りの中にあったのだった。

 闇世Wikiから意識を切り離し、固定された視線の先に意識を俺は戻した。
 すると――多頭竜蛇ヒュドラの首の1つが、俺をまっすぐ見ているような気がした。

 5mはある巨大な頭だとはいえ、遥か遠目である。そうでなくとも俺は"竜"の表情なんぞ、わからない。
 しかし、俺に視線を向けた多頭竜蛇ヒュドラの竜頭の一つは、心から笑っているような気がしたのだった。

 5分ほど、睨み合いが続いた。
 その間も"歌"は続いていた。だが、森の中の動物達が避難する気配が徐々に薄れていくや、孤島を覆っていた張り詰めた緊張感に代わって、今度は何もかもが死んだように息を潜めているような、吸い込まれそうなほど重苦しい静寂が島全体を包み込んだのだった。

 やがてヒュドラは満足したかのように、1本また1本と、まるで掃除機のコードが巻き戻されるようにその竜頭を海へ沈め戻していく。
 俺を見つめている竜頭が海へ潜っていったのは、最後であった。しかもそいつは、その頭が赤き海面の下に沈む直前まで、ずっと視線を俺に向け続けていた、そう感じられてならなかった。

 気づけば、心配した様子のアルファが俺のそばまで来ていた。

「……あぁ、大丈夫だ。気を取り直して、探索の続きといこう」

 緊張が解けて、俺は長く息を吐き出した。
 ヒュドラあれが何であるか、この孤島との関係がどのようなものであるか分かるまでは、海岸側には下手に近づかない方が良いだろう。情報収集をする必要があるな、と俺は心の中で念じた。

 ただ、一応は多頭竜蛇ヒュドラの存在をプラスと考えることができる部分もある。
 闇世Wikiの歴史知識によれば、『竜主国』は【闇世】の勢力と交戦したことがあるようだ。
 【人世】との間に『人魔大戦』を引き起こした、初代界巫クルジュナードの治世よりも以前のこと。5つの公爵級の迷宮ダンジョンが連合軍を組んで『竜主国』に界をまたいだ戦いを仕掛けたという。
 『竜公戦争』と呼ばれたその戦いは、数度に渡って繰り返され、『暁月の和議』と呼ばれる停戦交渉に至るまで90年近くに及んだ。結果は竜側の防衛成功であり、参加した迷宮領主ダンジョンマスターのほとんどが戦死したとのことだった。

 【人世】を"支配"して「国」を名乗るからには、竜側の戦力はそれなりの数がいたことは想像に難くない。そして『爵位権限クリアランス』不足であるとはいえ、項目数・・・を数えることはできた。『竜主国』の最上位の統治階級にある"竜"だけでも、数十項目あることを見れば、これがそのまま竜側の数と考えても、そこまで的外れではないだろうと思われた。
 そうすると、ざっくり数十体の"竜"が「公爵5名」を撃退したと考えれば、上位の竜1体は伯爵程度ならば単独で、ひょっとすると複数を迎え撃てるのではないか。多頭竜蛇ヒュドラの竜の中での序列はわからなかったが――たとえ下位の竜であったとしても、下級爵位には骨が折れるだろうし、伯爵クラスであっても手こずることだろう。

 仮に他の迷宮領主ダンジョンマスターがこの孤島に手出しをしてくるには、まず多頭の竜蛇そんな化け物が縄張りにしているあの絶海を突破する必要がある。見方によっては、俺には非常に強力な"盾"がある、とも言えた。

(まぁ、さらに別の見方をすれば、俺を含めて"囲い込まれている"ようにも思えるんだがな)

 たとえそれが取らぬ狸の皮算用であったとしても、俺は"先"を考えてしまう。
 考えること、頭の中の思考を止められない天性に生まれついた。
 もしこの孤島を制覇したとしても――さらにその外へ出ていくことを望んだ場合は、必ず多頭竜蛇ヒュドラとの衝突は避けられない。そんな強い予感があった。

「だが、今は目の前のことだ。早く力をつけないといけない。早く、早くな――」

 消えた少女の幻聴が耳朶を打つ。
 『できること』を俺はしなければならない。

 その幻聴に急かされるように、俺は首を振って逡巡を頭から追い出した。ヒュドラのことは今は一旦捨て置き、アルファと共にベータ達の元へ足を向けたのだった。

   ***

 【情報閲覧】と【精密計測】の技能連携による"地図作成"を駆使し、俺は1回目の探索で場所を記録しておいた「木漏れ日群生地」のいくつかを最短で巡った。
 道中はアルファとガンマを両脇の護衛とし、ベータとデルタとイプシロンに周囲を哨戒させて、中型や大型の野生動物は事前に追い払うようにさせていた。狩ろうと思えば狩れるだろうが、それは本格的にこの島を掌握した時に行うこともできる。

 小醜鬼ゴブリン狩猟部隊の遺骸がどうなったかを確認し、小醜鬼という種族の知能の程度や、勢力としての規模を確認する手がかりをつかむことが優先。鍾乳洞では走狗蟲ランナーを量産しているため、彼らを複数の偵察班として編成して、島中に解き放すための方針を決めるための情報収集であった。

 そのため、戦闘で消耗することを避けた。あまり大きな獲物を仕留められても、持ち帰る余裕も無いからである。

 ただし、

「丸呑みできそうな小さな生物がいたら、とりあえず警戒の邪魔にならない範囲で食っていいぞ」

 という指示だけは出していた。
 これならば、少しでも多くの因子集めを、因子が解析できる可能性のあるものを取りこぼさずに済むだろう。

 森は不気味なほど静まり返っており、足のある野生動物は完全に巣に引きこもっているようだった。 初回の探索では感じられた、目に見えずとも木々をいくつか隔てた先に獣の気配や枝葉を踏む足音という気配が一切感じられなかった。

 「竜」という存在は、人族だけでなく、あらゆる生物の記憶に脅威と恐怖として刻み込まれている――その咆哮を浴びた生物は、我を失って逃げ惑い、怯え引きこもる。そういう力が"竜の咆哮"にはある、とすら思わせるような威力であった。
 ただ、アルファ達はまったく取り乱した様子は無かった。"竜の咆哮"は、迷宮の眷属ファミリア達には通用しないということもまた、上級の迷宮領主ダンジョンマスターであれば"竜"と渡り合うことができた一因かもしれない。

 「木漏れ日群生地」を巡る目的は、言うまでもなく「因子」の回収であった。
 樹冠回廊から落ちてきた巨大な絡み合った枝の塊を中心に、回廊に空いた穴から差し込む陽射しによって猛烈な生存競争が繰り広げられる、森の植物や菌類達にとっての日光のスポット。そしてそこに生態系を形成する小動物の類にとってのオアシスであり、因子の宝庫である。

 一箇所たどり着くたびに、俺は手当たり次第に、群生する植物や見つけた小動物、虫の類や、中心の枝塊の陰に広がる茸の類に【因子の解析ジーン=アナライズ】を発動していく。そして流れ作業のように、俺が【因子の解析】をした後で、アルファ達に次々に食わせていった。
 この段階では「解析完了」までは求めない。【情報閲覧】と組み合わせて、おおよそどのような生物からどんな因子が採れるかわかれば、後日、本格的に組織した走狗蟲ランナーの偵察班に後から同じものを回収させることも容易だと考えたからだ。

 今はとにかく、数だ。
 ――あるいはヒュドラの咆哮に、俺もまた、俺の中のルフェアの血裔この世界の人族の部分が焦燥させられたのかのように、大自然の森林浴をゆったりと楽しんだり、極めて"効率的"に因子を増やしていったのだった。

 ただ、それでもその中で、かつて蟻の行列をじっと見つめていた三つ子の魂の頃のように、俺は気づけば生態系を観察していた俺自身があったことに気づいた。
 単なる因子の収集で、俺自身の迷宮領主としての力を強化することだけ考えたら、それは無駄な行為だったろう。しかし、風車がくるくる回り、鯉のぼりがはたはたとはためき、蜘蛛が蟻をぐるぐる糸巻きにする様に惹きつけられていた幼い頃のように、俺はいつの間にか、「因子」を抽出することのできる生物達を観察していて、無駄な知識や分析を頭の中に記憶していったのだった。

 日が午後に向けて傾き、当初予定よりも2箇所多く7箇所の「木漏れ日群生地」を巡る頃には、こんな生命達から、こんな因子を新たに得ていた。

   ***

――『因子:水和』を定義。解析率35%に上昇――
――『因子:擬装』を定義。解析率1%に上昇――

 命名、『水蜘蛛偽浮草』より。

 木漏れ日群生地のうち2箇所には、崩れた巨大枝塊を受け皿にちょっとした池が形成されていた。
 その中に、本物の浮草に混じって、浮草に擬態する菌類の仲間を偶然見つけたのである。それは数十枚もの浮草が実は、水を含み、水に己の細胞の隅々まで溶け込ませたかのような1株の菌糸であった。
 それがわかったのは偶然で、これもまた別の因子が採れたので後で出てくる『水風船カエル』という小動物が、浮草に身を潜めようとして――この『水蜘蛛偽浮草』に絡め取られて包み込まれ、池の底に引きずりこまれるのを目撃したからだった。

 この『水蜘蛛偽浮草』からは、水が細胞レベルで浸透するイメージの『水和』と、ある生物が他の生物の形態を模倣する現象である『擬装』の因子が新しく定義された。


――『因子:空棲』を定義。解析率3%に上昇――

 獲得元は不明。
 ただ、おそらくは走狗蟲ランナーの誰かが移動中に偶然、小鳥だか何かの「空を飛ぶ小動物」を食ったらしく、それによって得られた因子であった。


――『因子:土棲』を定義。解析率58%に上昇――
――『因子:硬殻』を定義。解析率73%に上昇――

 命名、『鎧モグラ』より。

 多頭竜蛇ヒュドラの咆哮によって樹冠回廊が揺さぶられ、大小多数の枝の塊が落ちていたが、その1つに偶然圧死された生物の死骸があった。
 アルマジロにモグラの鼻とカモノハシの口をつけたような奇妙な生物だったが、労役蟲レイバーよりも硬い殻に全身を覆われており、またシャベルをフォークのように先端を分かれさせた、平べったい前足をしていた。土から這い出て頭を出したところを直撃されていたらしく、モグラのように土の中に生息する生物だと考えられた。

 その硬い殻から、体皮を別物質レベルで変質させるイメージとしての『硬殻』と、土中で生物が生存するために必要な土を掘るだとかいった形質が発達する現象としての『土棲』の因子が新しく定義された。


――『因子:葉緑』を定義。解析完了――

 個別の命名は無し。
 各種の木々や若木、青々とした雑多な草や草木より。

 植物の葉っぱに宿る「葉緑体」が光合成を行う、という現象が「因子」化される、という予想を俺は事前に立てていた。
 そしてここは"森"なので、特に種類を限定することなく、そこら中の目についた緑色のものを片端から【因子の解析】を発動しながら駆け続けたのである。その結果、走狗蟲ランナー達に"食わせる"までもなく直接解析だけで完了に至ったのが『葉緑』であった。

 なお、そんなやり方で直接解析しまくっていたら、ほぼ確実に道中で"解析酔い"が起きるだろうことも当然予測はしていたので、休憩のタイミングまでは90%台に留めておいてから、最悪昏倒しても良いように準備をしてから解析完了させた。
 ただ、鍾乳洞を出る前に倒れたのは、複数種類を同時に"解析完了"したからである。1種類の解析完了ぐらいでは、警戒していたほどのショックは訪れなかったので、そのまま「木漏れ日群生地」巡りを継続したのだった。

 
――『因子:垂露』を定義。解析率54%に上昇――

 獲得元、樹液を出すタイプの樹木より。

 『因子:葉緑』を獲得する副産物のようなもので、たまたま【因子の解析】を発動した木のうち、野生動物の爪などで幹を傷つけられ、樹液が垂れているものがあった際に、己の生体から他の生物の滋養となる物質を分泌する現象としての『因子:垂露すいろ』が新しく定義された。


――『因子:水穰』を定義。解析率12%に上昇――

 命名、『水風船カエル』より。

 『水蜘蛛偽浮草』に捕食されていた、カエルに似た小動物。水かきなどはついているが、両生類というよりは哺乳類的であり、ネズミをカエルの型枠に押し込んでそういう外見にしたような生物という方がより具体的かもしれない。
 特徴として、全身が3倍近い大きさになるほど体内に水を吸って蓄えることができ、風船のようにぱんぱんな体になるが、この性質が『水穰』として新たに因子として定義された。

 ちなみに別の箇所で見つけた『水風船カエル』は、体内に蓄えた大量の水をまるで水鉄砲のように吹き出して、空を飛ぶ虫の類を水面に撃ち落として捕らえていた。元の世界の"カエル"が長い舌を発達させた代わりに、こういう進化を遂げたんだろう、と俺は考えたのであった。


――『因子:粘腺』を定義。解析率16%に上昇――

 命名、『樹繋じゅつなぎ粘りタケ』より。

 木漏れ日群生地の中心を形成する「落ちてきた巨大な枝の塊」は、複数の太い枝が複雑に絡み合って癒合したものであるため、その形も様々であった。
 それが受け皿として小さな池を形成していることもあれば、丸ごと空洞化していることもあり、その空洞化しているタイプでは、内部にこの菌類が発見された。

 本体となるキノコ株は地面の中心に白い筍のように突き出しているのだが、そこから枝塊の空洞全体に網目状の粘液が伸び広がっていたのである。しかもそれは空気に触れてゴムかワイヤーのように粘度が高くなっており――まるで枝塊全体を内側から「補強」しているように思えた。
 ちょうど鉄筋コンクリートの鉄筋部分、というわけだ。
 なぜそのような生態になったのか、観察時間が十分にはなかったのでそれだけではわからなかったが、おそらくは枝塊が枯れ崩れて倒壊してしまうと、周囲の生態系にとって困ったことになるからそのようにしているのではないか、と俺は予想したのだった。

 そしてその本体の白タケノコから、体内で合成した物質を粘液状に分泌する器官としての粘腺を形成するイメージとしての『因子:粘腺』が新しく定義された。


――『因子:汽泉』を定義。解析率5%に上昇――
――『因子:噴霧』を定義。解析率12%に上昇――

 命名、『蒸気タケ』より。

 複数の丈の高い長草が、ゆらゆらと下から吹き上げる気流によって揺らめくのが見えたため、小さな間欠泉か何かかと思って根本を調べた。するとその空気には、霧吹きのような水蒸気が含まれていることがわかり、周囲の若木や若草はそれで"水やり"をされたように湿っていたのだった。

 原因を探るために根本をかき分けていくと、そこにさらに複数種類の若草や若木に囲まれるような"穴"が地面にいくつも開いていて、そこから霧が上昇気流と共に吹き出していることがわかった。さらにその"穴"を仔細に観察したところ、まるで若草や若木達の苗床となるようにして、パイ生地のように薄く広がったキノコの傘があり――その中心に、水蒸気混じりの空気を吐き出す穴があるという形態であった。

 試しにデルタに命じて1つ掘り起こさせようとしたのだが、俺の想像よりも『蒸気タケ』はずっと深く深く地中に根を伸ばしていたようで、たんぽぽの根を掘り出すような徒労の可能性が頭をよぎって作業はすぐに中断させた。
 おそらくだが、地中の何らか、水分だか養分だかを吸い上げる際に、空気の圧力のようなものを利用する生態で、その副産物として空気を水蒸気として吹き出していたのだろう、と今は考えている。

 この菌類からは、体腔から気体を吹き出す構造というイメージとしての『汽泉』と、体内で形成された水分や液体成分を細かな霧状と化して噴射する現象としての『噴霧』という因子が新たに定義された。


 新たに定義・・・・・された因子については、以上である。
 そしてさらに、既に因子は定義できているもののうち、未解析だったのが解析を進めることができた因子が3種類あった。


――『因子:猛毒』を再定義。解析率41%に上昇――
――『因子:酒精』を定義。解析率22%に上昇――

 命名、『剃刀草』および『夜啼草』より。

 この2つは同時に説明した方が良い。
 というのも、剃刀草と夜啼草は共生関係にあるようで、互いに隣り合って、ちょうど剃刀草が夜啼草の周囲をぐるりと囲むように必ずワンセットで生えている生態であったからだ。

 ちなみに『因子:猛毒』は、小醜鬼ゴブリンの木の槍に対して【因子の解析】を行った時に手に入った因子で、おそらく元となった木が毒を持ったものであるか、あるいは"毒薬"が槍の先端にでも塗られていただろうと当たりをつけていた。
 答えは後者であり、剃刀草に『猛毒』の成分が含まれていたのであったが、剃刀草の特徴はそれだけではなく、葉自体がまるで剃刀のように鋭く、下手な触り方をすれば皮膚が切れて簡単に血が出てしまう。

 特に小さな生物に対する殺傷力は相当のもので、簡易的な百舌の早贄のような、剃刀草に切り裂かれた虫や極小動物などの、血と体液を撒き散らした死体が周囲には散見された。

 ……そのような危険な毒草になぜこの小動物達があえて近づいたかというと、その秘密が『夜啼草』の方だった。酩酊するようなほのかな香りを辺りに漂わせており、こいつが実際に『因子:酒精』の獲得元だったわけだが、おそらくこの香りによって小さな生物を誘引しているのだろう――そして剃刀草の中に誘い込んで、ずたずたにしてしまう。
 おそらく、それで切り裂かれて流れ出た血や体液を直接栄養として、剃刀草と共に群生しているのがこの2種の共生植物の生態だろう。

 罠に使えるかもしれない、と思ったので将来的な回収する植物の候補の一つとして頭の中に俺はメモしておくのだった。


――『因子:水棲』を定義。解析率18%に上昇――

 獲得元、名前不明の川魚。
 木漏れ日群生地を巡るルートにあった小川で、川魚のようなものをベータが見つけて捕まえようと飛び込み、その衝撃で飛び跳ねた魚をそばにいたイプシロンが偶然口でキャッチ、そのまま飲み込んだ結果、新たに定義された因子である。
 例に漏れず川に住む魚の類までもがヒュドラの咆哮によって岩陰だとかに引っ込んだのか、他の川魚の類は今回の探索では見つからなかった。

 以上が「因子」に関する進捗で、俺の予想の倍もの新たな因子が新定義されたり解析率が進んだのであった。
 なお、鍾乳洞での検証では小醜鬼の木の槍から『猛毒』が解析できていたので、念の為ということで無生物からも因子が解析できるかどうかを試すために、適当な石ころを拾ってベータに放ってみた。おそらく好奇心からかベータは十字顎で石ころをしばらくもにゅもにゅしていたが、特に新たな因子が解析されることは無かったため――『現象』ということを考えても、少なくとも普通の石ころでは意味が無いだろうと俺は考えたのだった。

 ちなみに、ベータはその後、何を思ったか口の中の石ころを勢いよくイプシロンに向けて吐き出している。そして脅威の反射神経でイプシロンが避けたために、石ころはデルタに当たり、デルタがイプシロンの仕業と誤解して襲いかかり、アルファが止めに入ったりしていた。

 それを見ながら、

「何をやってるんだお前ら、行くぞ」

 と先導して、俺達は初日に亥象ボアファント小醜鬼ゴブリン狩猟部隊の争いに介入した、赤い泉のところまでたどり着いたのだった。

   ***

 ガンマ以下3体に「青い果実」を食わせて『因子:酸蝕』の解析率を27%まで高めさせつつ――俺は周囲に意識をやる。アルファ達に偵察させるまでもなく、他の生物や小醜鬼ゴブリンの気配も感じられ無かった。

 多頭竜蛇ヒュドラの咆哮は、一応は人型である小醜鬼ゴブリンに対して、通常の野生動物よりも遥かに脅威を与えるのかも知れない。そのあたりは、おそらくもう少し俺の爵位権限クリアランスが上がれば「竜が人を支配した」ことの意味が調べられるようになるのだろう。
 あの酷薄な蛮族たる小醜鬼ゴブリン達がヒュドラの咆哮に恐れおののき、逃げ惑う姿をなんとなく想像しながら俺は、わざと残してきた亥象ボアファント狩り部隊の遺骸のあった方を見た。

 そして、それらがすっかり持ち去られていることを確認したのだった。
 まだ血が流れているうちに運ばれたらしく、引きずったような血の跡と、肩に担いだ際にその担いだ者の足に垂れた血が"血の足跡"を形成しているのが、アルファ達の"嗅覚"によってさらに見つかったのだった。

 赤い泉から北東に、俺の拠点である丘の頂きの大裂け目からはちょうど北側。
 ヒュドラが歌って・・・いた入り江とちょうど間の辺りの方角が、この小醜鬼ゴブリン達の住処であることが窺えた。

 さて、と俺はそこで選択を迫られた。
 日の傾きにはまだ余裕があった。行こうと思えば、血の跡をたどってもう少し深くまで探索をすることもできたのだ。
 だが、今戻れば労役蟲レイバー走狗蟲ランナーの第1陣がちょうどいい具合に誕生して、俺の帰りを待っている頃だろうとも思われたのだ。

 走狗蟲の数がひとまず揃うため、複数の偵察班を編成することができる。
 そうすれば、解析未完了の因子に関しては彼らに取りこぼしの回収をさせることができ、さらに小醜鬼達の拠点を探らせることもできる。その間、俺はエイリアン達の新たな「進化先」と「胞化先」を確認しながら次の進化方針を練っていくことができる。

 副脳蟲ブレインがまだ獲得できていない今、複数回の進化と胞化の指示はいちいち俺が戻ってしなければならないのだ。特に揺卵嚢エッグスポナーのような「第2世代」のエイリアンやエイリアン=ファンガルに関しては、自然に進化するのにかかる時間も非常に大きい。

 ――と、そこでベータ、デルタと交代で周囲の警戒をしていたイプシロンが、音もなく駆け戻ってくる。そして俺に何かを訴えかけるように、十字顎をぱくぱく開けたり開いたりさせた。
 それを見てベータが喜んだように森の奥を見やり、イプシロンの意に気づいたアルファが俺の顔をじっと見つめ、まるで指示が下されるのを待っているかのようだった。

「何か見つけたか、イプシロン」

 彼らがここまで興奮しているということは――事前に俺が伝えていた最優先目標ゴブリンを見つけた、ということに他ならなかった。そう考えた俺の表情を読み取ったのか、その通りです創造主様、とでも言わんばかりにアルファが十字顎をぱくぱくさせ、ベータもそれにならったのであった。

 島中の野生動物の全てが縮みあがった、あの多頭竜蛇ヒュドラの咆哮にも恐れをなすことなく、森をやってくる個体がいた、ということであるか。小醜鬼ゴブリンにしては気骨があるじゃないか――すなわちそれは『因子:血統』持ちであるか、はたまたその他の『属性適応』持ちであるか。

 期待に胸を踊らせつつ、俺はアルファ達と共に森の奥へ音を立てぬように退りぞく。
 そしてイプシロンが示す方角、その"気骨者"がやってくるであろう方角に向けて、包囲するように走狗蟲達を伏せさせ、俺自身も藪の中に息を潜ませて待ち構えるのだった。

   ***

【因子解析状況】
・解析完了:強筋、葉緑、魔素適応、命素適応
・肥大脳:12.5%
・伸縮筋:20%
・硬殻:73%
・重骨:6%
・血統:3.6%
・拡腔:25%
・擬装:1%
・水和:35%
・空棲:3%
・水棲:18%
・土棲:58%
・垂露:54%
・噴霧:12%
・粘腺:16%
・汽泉:5%
・酸蝕:27%
・猛毒:41%
・酒精:22%
・紋光:5%
・水穣:12%
・風属性:5.8%

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