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チャイナブルーとウイスキー
この場所にバーを開いて20年が経った。
横浜の有名店でバーテンダーの下積み時代を過ごし、独立した私は、念願だったこの土地に店を構えた。
毎日さまざまなお客様にお越しいただく。
2018年の冬
カランカラン。
ドアベルが鳴り、一組のカップルが中へ入ってきた。
初めて見るお客様だった。
「今、入れますか?」
男性は彼女を少し気遣う様子を見せながら、私にそう尋ねた。
「どうぞ。こちらへおかけ下さい」
私はグラスを乾拭きする手を止め、ゆっくりとした口調でお客様を席へ案内する。
バーのカウンター前に等間隔に並べられた椅子には、まだ誰も座っていない。
その日、最初の来客であった。
男性は年上のように見える。30代半ばくらいだろうか。
女性は少し幼く見えた。20代半ばくらいであろう。
年の差があるようだったが、2人で目を見合わせ、微笑みながら腰掛ける様子が、とても初々しく見えた。
女性はバーがはじめてなのだろう。
薄暗いバーの雰囲気に呑まれ、少し緊張していた。
2人にお水を出し、私は尋ねた。
「何かお飲みになりますか?」
男性はおすすめのウイスキーを尋ねてきた。ウイスキー好きなようだった。
私は男性の好みの風味や香りの聞き取りをし、3つのボトルを紹介した。
「おすすめはこの3本です。こちらがタリスカー、こちらはアイラのライフロイグ、それからマッカランなども良いですよ」
男性はキラキラした目でボトルを眺め、暫く悩んでライフロイグのウイスキーを選択した。
彼女は会話を聞きながら、少し困った表情をして彼と私を交互に見ていた。
「彼女にはあまりアルコールの強くない、飲みやすいお酒をお願いします」
男性が彼女の代わりにそう私へ伝えた。
「かしこまりました。甘い風味のカクテルと、さっぱりした柑橘系のカクテルなどあります。何かご希望はございますか?」
彼女に尋ねた。
「さっぱりした柑橘系のカクテル……、お願いします」
「かしこまりました」
私はチャイナブルーを彼女に作った。
サービスのナッツのおつまみを小皿に分け、2人の前にゆっくりと置く。
「この辺りはよくいらっしゃるんですか?」
私からの問いかけに、男性は待ってましたとばかりに目を輝かせて答える。
「いえ、今日初めてここまで来たんです。実は僕の友人がこちらのバーに通っていて、おすすめだと聞いて、どうしても行きたかったんです」
「そうだったんですか。それはありがとうございます」
彼からの嬉しい言葉に会釈をしてお礼を伝えた。
顔を上げると彼は上機嫌で嬉しそうな顔をしていた。
彼女も合わせて会釈し返す。
ウイスキーを彼の前に置き、彼女にはチャイナブルーを差し出した。
「ありがとうございます」
一口飲んで男が小声だが高揚気味に彼女に言った。
「美味しい!」
彼女がにこっと笑った。
彼女もチャイナブルーを一口飲む。
「これも美味しいよ。カクテルって美味しいね」
顔を見合わせお酒の味を楽しんでくれる2人の仲睦まじい姿に、私まで嬉しい気持ちになった。
「横浜は夜景が綺麗ですよ。夜、大桟橋の方に行くと海からの景色が一望できるので、お客様にオススメしてるんです」
「そうなんですね!良い情報をありがとうございます」
と彼は意気揚々と答え、彼女と目を合わせニコッとした。
微笑ましい風景だ。
2019年の春
再びあのカップルが来店した。
オシャレをした彼女は以前より大人びて見える。
彼は例のごとくウイスキーを注文した。
彼女はチャイナブルー。
話すと彼の方は相当なウイスキーマニアのようだった。
色々と珍しいウイスキーを置いている店に何軒か通っているようで、専門的なことまでかなり聞いてくる。
ウイスキー好きの人は大歓迎だが、私は彼女の方が気になって会話に集中できなかった。
彼女は、私と彼の2人だけのお酒トークが全く分からない様子だった。
居心地が悪くならないよう、私はグラスを洗うフリをして少し話を早めに切り上げた。
*****
彼女は男性がトイレに立つと、ふと私の方を見てきた。
「すみません。お水、もう一杯いただけませんか?」
作ったカクテルが中々減っていなかった。
「お味合わなかったでしょうか?他のもお作りしましょうか?」
「いえ、美味しいです。好きな味です。でも、こちらに伺う前に、別のバーでも彼と飲んできたので、ちょっと酔いが回ってきてしまって……。すみません」
彼女はお酒が強くないようだった。
彼氏に付き合って毎回連れまわされているのだろう。
少し無理している感じがして、気の毒に思えた。
でも、彼女は彼が席に来るとパッと笑顔になる。
彼が何やらスマホを見せるとクスクスっと笑い、彼女も何かスマホの画面を見せながら、とても楽しそうにお喋りしている。
その後、カップルは1時間ほどでお店を後にした。
「彼女は無理して大丈夫なのだろうか……」
ふと余計な心配が頭を浮かんだ。関係は無いが。
2019年冬
「いつから僕たちはすれ違ってたんでしょうか……」
バーのカウンターの端に座る、30代半ばの男性が私に話しかける。今日は彼女はいない。
私は静かにウイスキーのハーフショット注いだ。
「お待たせしました。どうぞごゆっくり」
*****
彼の話を聞いた。
彼女と別れてしまったらしい。
彼は自分の好きなバーに彼女を連れて行き、バーの良さやウイスキーの良さを伝えたかったのだそうだ。
そして、ここを2人の思い出の地にして、プロポーズをしようと考えていたのだった。
そんな矢先、ある時彼女に「疲れた」と言われたということだった。
こちらとしては、そう考えてくれて嬉しい反面、上手くいかず複雑な気持ちだ。
でも私には少し、ほんの少しだが、はじめから2人はすれ違っているようにも見えた。
もちろん彼には言わない。
彼女の様子は、どうも無理しているように見えたからだ。
この微妙な温度差に、きっとこの男性は気づかなかったのだろう。
「今日はチャイナブルー、飲んでみます」
そう言って男性は項垂れた。
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