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愛すべき生活

 3ヶ月前、母になった。心肺も足腰も強い元気な女の子を出産した。1年前の自分は、自分がこんなに早くにお母さんになるなんて、思ってもみなかった。

コロナ禍、仕事が忙しい、結婚式と新婚旅行の延期…。ほんとにそんなことしか考えてなかった。

 はじめての妊娠、はじめての妊婦生活。不安と希望が入り混じり。不安の方がずっとずっと大きくって。最大限に拡大してやっと影が映る程度の小さな命。そこから全てが始まった。

 つわりがあまりにも酷く、ベッドから立ち上がれない日が何日もあった。食べても食べなくても吐いてしまう日もあった。体重が4キロ減った。

健診の初めの方はとにかく、「標準範囲内やけど小さめ」と言われた。そのうち、逆子状態が何週間か続いた。

とにかく腰が痛い、重い。階段では息切れ。譲ってもらえない優先座席、飛んでくる走ってくる人が怖かった駅の下り階段。

後期に入ると精神的にガタガタで、泣いて帰る日も何日もあった。とにかく辛くてぎゅっと縮こまっていた。

頻尿のために、朝まで続けて寝られる日がなくなってきた。寝苦しいし、起き抜けに足がつった日もあった。

切迫早産気味なので安静に、と言われて駅からタクシーで通勤した産休直前。

臨月は背中が痛すぎておそばせながらストレッチを始めるもむなしく、とにかく身体が痛かった。

年明けの病院に貼られた「出産立ち会い中止」のお知らせに、目を疑った。急きょ、一人で闘うことになった。

もう、不安しか残ってなかった。

景気づけに焼肉に行った次の日、定期検診を無事に終えて帰り際に聞いた一言がきっかけで、破水していたことが発覚。即入院の流れになった。

緊張して寝れずに翌朝を迎えた。そこからバルーンを入れ始めて、最終的に32時間闘い続けた。

誘発分娩は不安しかなかった。薬を飲んでは祈って、痛みの波を乗り越えて。でも、ダメで。

翌早朝に痛みで耐えきれなくなったものの、点滴をすることに。

点滴が本当に怖かった。120上限で、10ずつ目盛りを上げていく。過重陣痛になる可能性もあると言われていた。

目盛りはどんどんどんどん上がっていく。それとともに不安もどんどんどんどん増長していく。

助産師さん、看護師さん、たまに見にくる先生に見守られながら。

ここに家族が1人でもいてくれたら、どんなにか安心しただろう。

体力不足な上に体力を使い果たしており、限界を感じていた。

そんな私をよそに、お腹の中の子どもはバタバタと足を動かし、最後までしゃっくりに余念がなく、心拍は不変でとにかく元気だった。

破水後、長時間経過しており、そこから入院して誘発もしていたので、長丁場だったにもかかわらず。

最終的に分娩台に乗ってから3時間半後に産まれた我が子。

妊娠中も出産も痛いししんどいし、とにかく大変だった。そんな印象。

 とにかく大変だった思い出が沢山、頭に思い浮かぶけれど。

元気で明るくて、穏やかで動じず、活発な娘が楽しそうにしている姿を見ていると、そんな日々すらも愛おしく懐かしく思ってしまう。

 不安、心配、葛藤…闘ってきたものは挙げればキリがないけれど。子どもが無事に生まれてきて、今も健やかに育っていることで全部チャラになってしまう。そういうものなのだ、と知った。

 母に「母親になって、子ども育てる喜びや苦しみをぜひ知ってほしい。」と大人になってからたまに言われていた。

自称・放任主義を貫いてきた母らしからぬ言葉だが、本音だったのだろう。

 母親になってみて、もちろんわからないことだらけで、不安や心配もたくさんある。けれど、今の私にとって、この生活がどうしようもなく、愛すべき生活なのだ。

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