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何十年ぶりに会う友だちがあまりにも普通に話せすぎてびっくりするけど、それがむしろ普通か。

日本に帰国して14日後に、次のハローワークまでの日にちを利用して、国内にいる人に会いに行くツアーに参加しました。参加といっても自分しかいないけど、「旅」とは何かが違う気がしたからとりあえずツアーと言ってみる。一人なのにツアーとかいってるやばい人は私です。

大学卒業して以来とか18年ぶりって、高校3年生すらまだ生まれてないくらい昔

SNSではつながってる、コメントやメッセージのやりとりもある、でもぜんぜん会ってないっていう人がけっこういてて、会いたいなーって思ってたからそれを実現させるツアーの1個目。まずは奈良→大阪→京都(いまここ)というところで、やっぱり一番懐かしかったのは大学のともだち。なんと、卒業してから会ってないってなると、もう18年も経ったらしい。18年て、教え子の高3すら生まれてないやん、っていう超昔。スマホない?あった?くらいのレベル。最近まで会ってた友だちも、離れてしまえば同じくらい久しぶりやなって思ったし、そもそも数回しか会ってない友だちでも、なんか回数なんて関係ないよね、っていうくらい、なんでも話せる人やと思ってた。

会ったら「わー!」て言ってはぐして、元気やったー?からのどこいくー?ってなって、席についてそれから2、3時間とか話しててもぜんぜん話は途絶えない。昔話もあるけど、今の話もして。人生のステージは大きく移り変わったけど、自分たちは相変わらず自分たちで。覚えてることが違うし、体験してることも違うけど、なんかその辺は適当に、お互いに覚えてることや共通してることでうまく埋めあって、お互いの今の様子とかも聞いてアップデートして。

ちょっと変な話、きっと話した内容はメッセージとかでも交わせるとは思うけど、やっぱり対面で会って話をするっていうこと自体がとても楽しいことだなーって思った。それはバンコクやベトナムでも感じたこと。画面越しでも字面でもない、ことばで交わす内容は、多分クソくだらないことも含めてやっぱりカラフルなんだなって思った。ただそれだけでいい時間だ、って思えた。しかしこれもあくまで私の感性。そうじゃないコミュニケーションが劣るわけではない。あくまで今の私の感性がそれを求めるからかもしれない。

そう、生き方は千差万別=超多様。そうだよ、昔からそうだった。千差万別ってことばも昔からあるじゃん。昔からちゃんと物事は多種多様だってみんな知ってる。

千葉で一緒にバドミントンをやっていた友だちはすごい希少で貴重な仕事に従事していて、専門家としてすごくかっこいいことやってる。大学院で博士課程までいって、その展示会も見に行ったけど、バドミントンのときとは違う顔が見れて面白かった。奈良に拠点を移して働く彼の仕事の内容ややり方は、今まで聞いたことのあるどれとも違う感じがあって、すごいなって思う。人生のいろんなことを乗り越えながらも、連れて行ってくれたおでんやさんがめちゃ美味しくて、初めてしゅうまいのおでん食べたし、おにぎりとか素朴なのにすごい美味しくて。

そうかと思えば、今は働いていない友だちもいた。自分は自分で離職してるけど、そうじゃない道もある。大学院で学んだ後にまた、働かずに別のことをしている人もいるし、今は育休中だけどこれからどうしようかなって悩んでたり。女性が職場に復帰しやすい環境を、っていうのはすごく大事だけど、同じくらい全ての女性が職場に復帰したいわけではない。あくまでも「望んだ時にそれができる」環境を当たり前にしてね、っていうだけの話。いや、望んだことが全部なんでも通るわけじゃないやろうけど、望んだことが、性別や国籍の違いによって差別されたらいかんよってこと。

「女性らしく」「男性らしく」とか、〇〇らしく、ってことばは、結構なトゲで、先日みていた「虹色カルテ」というドラマの中でも北村匠海が演じていた男性看護師も言ってるけど、その〇〇らしくってことばがけっこう人を傷つけがち。でも、じゃあ〇〇らしくって何か、って言ったらけっこうcommonly shared values/perspectives of one specific time/place と深くつながっていると思う。そういうのが今は揺らいでいる、というとちょっとネガティブやけど軸は1つじゃないです、っことだよね。この辺を掘り下げると社会学楽しくなってきちゃうからやめよう。

そう、人生の新しいステージにみんな突入しているんだ。

そうなんです。もう大学生じゃない。もう30代じゃない。(あ、俺はまだもう少し30代だけど)もう昔とは違う。それは決して悪いことじゃなくて、今、新しいチャプターに入ってるってこと。昔と違うことが悪いことじゃない。今をしっかりと見つけて、今の自分をちゃんと大事にする。

そのために今、とにかく必要なことは体型の管理(笑いたいけど笑えない!)。アキレス腱切ってからバドミントンも怖いし、だからなおさらウォーキングとかジョギングくらいしか運動してなくて、そのくせ20代よりもお金を稼げるせいで食べ物や飲み物にかけるお金が増えて。まずいです。

昨日久しぶりにESDの勉強会にオンラインで参加したんだけど、「視界には入っているけど意識しないと見えないもの」っていうのを絵画とかを使ってやってて、こういうのは前に自分もやったことあるんだけど、なんか久しぶりに人にやってもらうと、改めて自分も見えなくなっていることがあるんだなってことにすごく気付けた。ESDの概念や考え方は学んだことがあるけど、同じことでもやっぱり時間が経つと、自分の時間も経験も、相手の時間も経験も変わってるから、同じことが同じじゃなくなるんだ、って思う。すごく楽しかった。

ってことで、体型についても自分で意識していかないといけないことに入っているのはずっと前からわかっていたくせに、なんか意識が出来なすぎて、もしくはしたくなさすぎて、今ではもう大変なことになってるから頑張らないとな、って思う。他にも意識できたはずのことを放置してきたので、40歳を前にちょっとちゃんとしよう?って思う。

動く。そこからいろんな発見がある。人と会う。

今の俺にはこれに限るのかもしれない。30歳の10年間で気づいたら固まっていたらしい固定観念を人との再会・出会いの中で気づき、壊し、再構築する。




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