タラオサをめぐる冒険
義実家で出てきたナニカ
お盆に北九州市の義実家に帰省したときの
ある日の朝食にこんな一皿が出てまいりまして☟
見た目はホルモンで
口に入れればしっかりついた甘辛味に
ちょっとしたグミのような噛み応えがあるけど噛み切れないほどでもない
今まで義実家でいただいてきた食事の傾向と明らかに一線を画す見た目と味わい
気になって、何の料理なのか義母に聴くと
なんでもお盆の時だけ作る鱈の胃を使った料理で
名前はそのまんま「タライ(鱈胃)」というらしい
この鱈胃
調べてみるといろいろな謎が込められた料理だということがわかってきた
タラオサの謎①:なぜタラオサ?
調べてみるとこの料理、義実家では「タライ」と言っていますが
「タラオサ」
という名前の方が正式名称らしい
でも、漢字で書くとやっぱり「鱈胃」で、なぜか読みは「タラオサ」
なぜなのか・・・。
農林水産省のウェブサイトによれば☟
とあるから、鱈の胃と鰓の部位をセットで「タラオサ」と言い習わしているのであって、料理名は正しくは「タラオサの甘辛煮」とでも言うべきなんだろうけど、たぶんタラオサの料理バリエーションが他に無いから同一化されちゃったんだろうな
ちなみに、調理前のタラオサのお姿はこちら
エイリアン感満載!
エイの干物とか、オオグチボヤに通じる異形系フォルムである
もっともエイやホヤ諸兄は生き物丸ごとのフォルムであり、あくまでタラオサは胃と鰓だけ摘出したらこんなんできちゃいました、というコンテキストがあるわけだから同列に扱うことはできない、という異形界隈の方からご指導をいただきそうだが、やっぱり通じるものがある
タライでいいじゃん
あまり外見のことをあげつらうのは昨今のルッキズムに関する論争に巻き込まれるリスクがあるので切り上げるとして
しかし、この鱈の胃と鰓をなんで「タラオサ」って言うようになったのだろうか
ってか
タライでいいじゃんタライで
なんでタラオサにしたの
って思ってしまう
鰓の気持ちを考えたことがあるのか、というご指摘はあり得るにせよ、鰓の存在を組んだとしてもせいぜい「タライエラ」に行きつくのが関の山なのではないか。なんかチベット高原に行けそうな崇高な感じはある。
でも現実は「タラオサ」である。
しかも「鱈胃」と書いて「タラオサ」である。
理解できない。
そういう時は数学的に考えてみよう。
Q:鱈胃 = タラオサ を解け。
∴(鱈+胃)=(タラ+オサ)
∴(鱈ータラ)=(胃ーオサ)
∴ 0=胃ーオサ
∴ オサ=胃
A:謎は深まるばかり。
頭を抱えたくなる
が、やっぱり「胃=オサ」なんだろうか
にも関わらず、いくつかのウェブ辞書を引いても「胃」という感じの訓読みだろうが音読みだろうが「オサ」を挙げているものはないのである
「鱈」を「タラオ」と読ませるサザエさん的活用の可能性があると日曜ブルー勢は主張されるかもしれないが、「胃」を「サ」と読むのはさらに無理がある
となると、やはり「胃=オサ」という解釈が妥当なのだろう
が、「オサ」があまりに異質である。タラオサの異質さは「オサ」から来ているといっても過言ではないんじゃないかと思わないでもない。
タラ”ヲサ”なんじゃね・・・?
辞書で全然ヒットしなので、タラオサを解読する視点をちょっと変えてみた
もしかして、その言葉独特の言い回しの当て字として「鱈胃」が使われているんじゃないだろうか
無花果(いちじく)とか、煙草(タバコ)とかたまにあるあれです
辞書からいったらぜったいその読みに到達できないあれですよダンナ
辞書でひいたらこういう当て字の言葉を「義訓」って言うらしいですよ
もしタラオサがそのタイプの言葉だとすると、辞書から引っ張るのは無駄で、オサをひたすら突き詰めていくしかない
ということで、「オサ」を使った言葉を調べてみた
すると・・・なんかそれっぽいのあった!
それがこれ!
そう、もしかしたら歴史の教科書とか、なぜここが修学旅行の目的地のひとつに選ばれたのか謎な「なんちゃら文化センター」とかの片隅とかに置いてある手織り機!
そんな手織り機、の!ここ!
オサの部分だけさらに拡大してみる
オサいたーーーーーー!!!!!!!
そう。手織り機のこの部分の名前
「オサ(筬、ヲサ)」
って言うらしいのです。
辞書で「筬」を調べると次のような説明が☟
この説明の「櫛くしの歯のように並べ」の部分を見たときに、タラオサの材料時の画像が脳裏に甦ってきてハッとしたんですよね
エラの部分が櫛(くし)の歯のように見えなくもない。いや、むしろ圧倒的に櫛。なんかこれで髪くしけずれそう!何だったら鼈甲で造った櫛とかって言っても通用しそう!
きっとタラオサを取り扱っていた誰かが
「これ、櫛っぽくね?」
って気づいて、タライと言わずにタラヲサと言うようになったんじゃないだろうか。
で、言いやすい「タラオサ」に落ち着いて今に至るも、なぜタラオサというか、というのは織物産業の自動化とともに忘れ去られたというのが何の専門家でもない自分の仮説。いつかこの説が日の目を見たらなんかいいなぁ。
タラオサ ☞☞☞ 鱈の鰓の部分が手織り機の筬(ヲサ・オサ)に似ていることからそのような名前が付いた説
この説どうでしょう。ぜひシェアなどいただいて、タラオサ研究者の方の耳目にのぼるようにしていただけタラ幸いです
タラオサの謎②:なんでこの部位?
ようやく名称の謎が解けたと言っても、タラオサに含まれている謎はまだまだこんなものじゃない
次の謎は、
なぜわざわざ干したタラの胃と鰓だけ使うのか?
というもの
だってあの見た目ですよ
特級呪物扱いで五条先生出てきてもおかしくない外見です
宿儺になる以外の理由であれを「食べれるぞ!」とは思う人いないんじゃないかな・・・
そこには昔の人の食というか、海のものを食べることに対する執念みたいなものを感じませんか
そもそも料理法からしてそーとー面倒な感じです
もっと詳細に作り方説明してくれているサイトだとこんな感じ
食べるのに必死すぎない・・・?
どうやったらこれを食べれるのか、あの手この手工夫してる感がすごい
ふつう独特の臭気がしてる時点で食べないよ。
それを何度も水を取り替えて戻して、さらに濃い味付けて、3時間煮るとか・・・!
なんでここまでタラオサを食べることに執着するのだろうかと調べてみると、これは中世日本の流通事情の影響がかなりあるらしい
タラオサの流通~北海道の鱈が九州にたどり着くまで~
まず、前述の農林水産省サイトではこのような説明が書かれている☟
今では冷凍技術の発達で、干物・塩漬け以外の方法で魚介類を保存できるけど、この保存方法が普及したのは20世紀初頭
ちなみに日本の冷凍保存技術をひろめたのは葛原猪平という人で、1920年前後に北海道で冷凍工場を設立、冷凍魚の生産を開始したらしい。
逆に言うと、それまでは魚介類の保存方法は乾燥・塩漬けぐらいしか手段がなかったということになる
特に九州の内陸部ともなれば生の海産物をみることなど生涯なかったのではなかろうか
だからこそ余計に希少価値が出て魚介類が珍重されたのだと思うが、魚の中でもタラは寒冷な深海に生息するため、九州近海で取れる魚と比べてさらに珍重されたのではないかと思う
江戸時代の上方の料理書『年中番菜録』には
海の魚ので干物あるいは塩漬けで食べられる魚が列挙されている
魚のことはよくわからないけど、九州の人にとっては鱈が一番入手困難度高そう
また、別の料理本『黒白精味集』では、魚のランクを上中下で分類している
子の中で鱈は「上魚」に堂々のランクイン
他の上魚の面々を見ても、北方・深海というフィルタリングをかけるとタラが一番「手に入れにくい=有難い(ありがたい)」魚ということになるのではないか
ここまで見ていくと、九州の内陸部、海とは無縁の生活を送っていた人達にとって、「鱈」という魚はめっちゃ珍しい食べ物だったがゆえに、それを使った料理は超貴重だったと思う
胃と鰓だけが残ったそのわけ
鱈が珍重される理由がわかってきた
でもそこでさらに疑問が生まれる
「なぜ胃と鰓だけなんだ?身を食べればいいじゃん」
普通に考えれば、身の方を食べたいと思いますよね
前述の面倒な調理法を思い出せばなおさら
好んでタラオサを食べたいと思う人はたぶん、いない
このことについて触れている説明としては
「タラの産地である北海道から九州まで船で運ばれてくる過程で、身の部分は売れてしまい、内陸部に運ばれてくるころにはタラオサしか残って無かったから」
というのがあって、購買力の差が感じられてとてもリアル
江戸時代初期は、北海道の海産物は北前船で日本海側を通って運ばれていたらしい
九州に行きつくまでに新潟、京都、大阪、金沢など多くの消費地に接続されていたうえに、九州にたどり着いても博多や小倉などがあり、美味しい鱈の身の部分(当時は保存がきく棒鱈)は買いつくされてしまい、タラオサが残った、というのが実態だったんじゃないだろうか
さらに調べてみると、鱈の流通は江戸時代初期(1700年代くらいまで)はタラを乾燥させた「棒鱈」が主流だったけど、その後1800年代になると、塩漬けにする「新鱈」が流通し始め、江戸で消費されるようになったという記述も見つけた(函館市地域資料アーカイブより)
時代が下るにつれて、どんどん鱈の希少性が高まり
「身は食べれなくとも、なんとかタラオサだけでも食べたし・・・!」
と考えた人達が、前述の料理法を生み出して生まれたのが冒頭の「タラオサの甘辛煮」だったのだろう
タラオサの謎⓷:なぜお盆?
タラオサについてだいぶわかってきた
ここまでわかってくると、タラオサがお盆の料理として出されているのかについても、なんとなく予想がついてきます
農林水産省サイトにもこのような説明がある
タラオサ、あまりの貴重さにお盆の精進ルールを突破!
義母はタラオサがお盆だけ出されることについて
「昔はこの辺りはあまり食べるものがなくて、困っていたときに鱈の胃だけあったので、飢餓状態を救ってくれた大事な食べ物としてお盆でも出してよい料理になったと母(義母にとっての母、私からすると義祖母)から聞いた」
と言っていたけれど、説としては希少性からのお盆ルール突破説から派生して生まれたストーリーなんじゃないかと思う
お盆の時期に先祖が戻ってきたり、親類縁者が集うめでたい席だから、一番のおもてなしで、普段食べることのない海の幸を提供したい
流通環境や地理的制約もある中で一番ありがたいもの
それがタラオサだったと考えれば、なんか21世紀になって食べる自分にとってもタラオサが貴重なものに思えてくる
タラオサこのさき
今は流通事情も変わり、九州の内陸部といわず、どこでも海産物を新鮮な状態で食べられるようになった
当然、九州内陸部の食生活も変わる中でタラオサの価値も変わる
様々なものが手に入りやすくなればタラオサを日常的な料理として食べようと思う人は多くないだろう
なんせ調理に手がかかる
でも”過去の歴史や記憶の中での価値”が残っているからこそ、九州内陸部のお盆の料理として今でもご馳走の食卓にのぼってくるのだ
とはいえ、お盆の慣習が徐々に薄れていく中で、タラオサがこれからも提供され続けていくかはちょっとわからない
調理の大変さと市場の小ささから、民間の事業者が進出してくるとも思えないから、数十年くらいしたらデータでしか見られない状態になっているかもしれない
言ってみれば「絶滅危惧種」の料理を食べるという機会に出会えたのはなかなかありがたい機会だったと思う。
まさか帰省した義実家で出された一皿からここまで色々な世界が広がるとは思わなかったし。
そういう意味で、江戸時代の人とは違う「ありがたみ」を感じたお盆でした
ここまで読んでくれた方でタラオサにご興味を持たれた方、一念発起して料理作ってみようと思われた方
そもそも材料のタラオサは今では北海道の一部の業者さんのみしか取り扱いがないようですので、リンクはっときますね!
料理法(大分県 たらおさの煮しめ)
タラオサはじめ、様々なコンテキストを包含した地方の郷土食が、未来の食卓でもサバイブしていけるように、一人でも多くの方の目に触れてくれたらいいなと、料理するのも食べるのも好きな一個人として思います
興味が赴くままに調べて考えたことを書いた話ですが、周囲にこういう食べものや話が好きな方がいらっしゃいましたらシェアしていただければと思います
たぶんそういうのが地方の特徴的な食事を次につなげていくことにも寄与すると思うので
ということで、タラオサをめぐるハナシはここらでおしまいにしたいと思います
最後までお読みいただきありがとうございました!
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