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いい天気は晴れだけじゃない

4月のある小雨の日。寒くもない、暑くもない日でした。私は日本でトルクメン人の仕事仲間と外出していました。車から降りると、彼はポツリと言いました。howasy gowy.「天気がいいな。」

「えっ!?雨やん!」と一瞬思い、私の尋問が始まります。どうして雨なのにいい天気なのか。聞けば、雨が降っているのはいいことだと言います。そういわれるとなんか納得しました。というのも、トルクメニスタンでは年間通じて雨がとても少ないのです。

冬には雪が降りますが、雨が降ることはあまりありません。特に、春から夏にかけては気温がグンと上がって、最高気温は50℃を超えます。草木が青々と茂っているのは3月の末から4月のほんの限られた期間のみです。

話を言語に戻すと、トルクメン人は晴れに(特に猛暑の日差しに)うんざりしていますから、「いい天気」と言った時に雨の日を思い浮かべたわけです(確かに50℃のカンカン照りの日に「いい天気」とは私も言いたくはありません)。では「いい天気」が晴れの日に使えないのかというと、決してそういうわけではありません。晴れの日でもその人が「いい。」と感じていればいい天気なのです。

私たちが日本語で「いい天気ですね。」というとき、雨の天気を想像する人はなかなかいないと思います。でも、よく考えてみると「いい」という言葉は主観的な話者の判断を表すわけですから、文字通りにとらえるとトルクメン語の使い方の方が自然で、もしかしたら「いい天気」の「いい」は日本語では慣用的な特別な使い方だと考えるべきなのかもしれません。

自分の感覚がユニバーサルなどとは思ってはいけないというお話でした。

今この記事を書いていて気になったのは、このトルクメン語の現象は言語によるものなのか、それ以外によるものなのかということです。トルクメニスタンのロシア人がトルクメン人と同じ「いい天気」の使い方をしているのか、また、ロシアのロシア人はどう使っているのか、気になってきました。もし知っている人がいたら教えてくださいね。