問:気を感覚的に感じ取ることの意味。

(引用はじめ)

神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たる働きを持つこの霊妙なる気は、いわゆる超微粒子で、形容のできない小さなものである。しかも普通の場合絶対に感覚的に認識できない。しかし感覚できないからないとはいえない。一切の、ものというものが作られ、存在し、この雄大な宇宙が作られている厳粛な事実を考えると、自分に感覚的に感じないからないという議論は成り立たない。

(中村天風、運命を拓く)

ふむ。天風さんは、素粒子である気は、普通の場合絶対に感覚的に認識できないと考えていた。でもね。気功や、レイキや、ハンドヒーリングなどのちゃんとした指導者に付けば、誰でも、気は感じ取れるよ。手のひらは、とても性能の良い気の検出器だもの。チャクラも疼くよ。

天風さんも気を感覚的に認識できれば、こんなに強い言葉ばかりを並べて説く必要はなかっただろうね。指導を受ける人たちも、ともかく天風さんの言うことを信じなきゃという姿勢を強制されることもなかった。だって、感じ取れるのだから、自分で実験して、判断できるもの。

気を感じ取るための指導、受けておくといいよ。物理学の初期のテーマだった「熱」も、最初は手のひらが検出器だったんだよ。温度計が発明されたのは、ずいぶん後のことなんだ

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