職場で起きた差別やハラスメントや学校のいじめなどを司法を通さず当事者間の示談で解決すべきか、それとも司法を通すべきか
最近では、斎藤知事のパワハラ疑惑事件を日本語の先生から教えてもらって、このような方が元々どうやって知事になるのかはさておき、
職場で起きた差別やハラスメントや学校のいじめなどを司法を通さず当事者間の示談で解決すべきか、
という課題についていくつかの考えを洗い出したいと思う。(これはまだ、無数のケースバイケースしか言えない社会難題の一つ。)
結論から言うと、現在の司法構造はまだ完璧な解決策がないため、どっちも良くない
競争社会で弱い立場の人々を守るための理想的なあり方を根本からもう一度検討する必要がある。
現代社会におけるいじめとハラスメントの特徴は閉鎖される環境で起き、毎日やり取りをする相手はほぼ同じこと。そしてヒエラルキーシステムが存在すること(学校では外見、発言力)。必ずしも閉鎖の環境でハラスメントが発生するわけではないが、閉じられている空間であることで、もしかして私たちが知らない多くのハラスメントが闇に伏せられたかもしれない。
ハラスメント問題を根本的な予防のためにも、ハラスメントに対する認識を高める必要があると考えている。
現代においてハラスメントの解決方法は主に二つの種類がある:
当事者間の示談
利点:
コスト的に低い
法的な手続きはいらないので、時間とお金はかからなく済む。被害者にの負担は最低限に抑えられる。
コミュニケーションで関係修復する可能性
個人間で示談すると、お互いの事情と思惑は比較的伝えやすい。特に学校のような持続的な関係が必要な場合(職場と比較し、学校の被害者はこの状況から抜けにくい)、コミュニケーションで和解し、関係修復の見込みがある。
プライバシー保護
話を当事者間に絞ると被害者のプライバシーが守れると言われている。情報が溢れている現代社会では個人のプライバシーは命ほど大事と言っても過言ではない、法的裁判によって被害者の顔なりとも個人情報が公開されると二次被害になりかねない。
欠点:
不十分な解決(公平性がない)
公共性低い示談では、立場が弱い被害者側は何も弁償してもらえない可能性がある。理不尽な条件が出ても仲裁してくれる人もいない。
再発の可能性
ハラスメント事件が世間に出
さずに済むと、同じ事件を何度も繰り返しても社会に何も影響が出ない。潜在的な被害者を守れない。
法的責任が曖昧
示談は法的な制裁や責任を明確にしないことが多く、悪質な行為が罰せられないまま放置される危険性があります。
司法を通す
利点:
公平性
裁判を通じて、システムに頼る最大の利点は公平性。被害者が納得できる結果を貰える可能性は個人間の示談より遥かに高い。
社会全体へのメッセージとして
司法を通じて問題点が明るみに出ることで、ハラスメントや差別が社会全体の問題点として認識され、特に深刻なケースでは、法律システムの改善に繋げることができる。
欠点:
コストが高い
裁判を通す場では、時間的そして金銭的のコスト両方がかなり高い。被害者にさらに必要がない負担がかかる恐れがある。
プライバシー
裁判所に行くと被害者の身分が公開され、それによっての連帯被害が恐れべき。個人情報だけではなく、裁判上の尋問とかトラウマを暴くような行為になるかもしれない。
しかし、この二つの案は想定通り機能できるようにするためには、特定の条件が必要だ。
司法を通すと「信頼できる完璧な法律システム」が必要。
大手企業が予算があるのでいい弁護士を雇える。逆にハラスメントを受けた被害者個人の資源が企業と比べられないから、公平の結果が出ない可能性は十分ある。
当事者間の示談を通すと「被害者と加害者両方は理性で相談できる状態」が必要だ。
そもそも加害者が自分がいじめの加害者であることを意識してないケースは多めと言われている。加害者と被害者間の冷静な示談は難しい、ゆえに理想的な結果が出ない可能性も十分ある。
「信頼できる完璧な法律システム」「被害者と加害者両方は理性で相談できる状態」どっちでも無理な話、つまり理想的な解決策を追求するのは困難だ。
解決策はあるか?
筆者の未熟な考えでは、ハラスメント対応するため専門の機関を設立すべきだと思う。
つまり人力で解決。関わる人が多ければ、心理的な支援と法的な支援をうまく活用し、両者をバランスよく取り入れることができるはず。
例えば、被害者が心理的な安定を取り戻した後、法的なアドバイスを受けて冷静に判断を下すという形です。また、示談や訴訟の過程でも心理カウンセリングを継続することで、被害者の精神的な負担を軽減し、適切な結果を得る可能性が高まります。
被害者にとって専門的なサポートを得ながら解決を目指すのが現実的なアプローチで、加害者にとってもいい抑止力だと思う。