【エッセイ】石の裏談合
深夜、雨が降りしきる中、助手席に友人を乗せてある喫茶店に来た。
傘も持たず車から出入り口まで一直線に走る。営業終了1時間前に来たにも関わらず、意外にも客が入っている。職場の同僚に似た人影が見えてとっさに肘で顔を隠した。
雨雲に月が覆われたせいでより暗さを感じる外の景色とは対照的に、店内は橙色の照明にあたたかく照らされている。いつも選ぶ席とは違う場所を今日は選んだ。テーブルにはぽつりぽつりと木材の節が空いている。
手提げバッグに無理に入れたノートパソコンをテーブルの上に出す。ログインのための顔認証でタブレット型の画面を顔の前に差し出しながら、横目でメニューを盗み見る。友人も私も期間限定のチョコレートケーキに目を奪われていた。この店の看板メニューである揚げ物の数々も今日は目に入らない。それほど私たちはチョコレートの海に溺れたいと望んでいた。
「ケーキはノーマルサイズでよろしいでしょうか?」
深夜で疲れ目なのだろうか、店員は丸眼鏡の奥のまぶたをしぱしぱと動かしながら私たちに尋ねた。この店のノーマルサイズとは名ばかりで、その実際は他店のラージサイズと同等であることで有名だ。たまにその商品の写真と比較した実際の大きさが大きすぎるとSNSで話題になっている。もちろんノーマルサイズで頼む。チョコレートケーキのほかにチョコレートドリンクも頼んだ。深夜帯で疲れた脳みそは甘味を欲していた。
待ち時間はノートパソコンを手渡して自作の小説を友人に読んでもらう。彼女に読者目線で添削してもらうためだ。
もう店内にいるというのに彼女は深々とキャップをかぶっている。彼女とは、そう、言うなれば隠者仲間だった。
世を忍び各々の趣味……イラスト製作や小説執筆を楽しみ共有する創作仲間でもある。私も彼女も人と関わるのは苦手で、こういった創作のちまちまとした喜びを社会の影で得ていた。さながら石の裏で落ち葉のカスをうまいうまいと食うダンゴムシのように。
こういった雨の日は我々のようなダンゴムシは水たまりで溺れてしまう。そのため昼間はコンビニで餌を得てから各々の好きなように室内で過ごしていた。そうして深夜になりやってきたのがこの店だ。あらゆるものを買って食べたというのに消化は早く、昼時の満腹はもう記憶の彼方にあった。
着ていく服も私は腐葉土のような色、彼女は海外のゼブラダンゴムシのように白黒ストライプの服だった。こういった小さな社会に触れる場において、目立たない格好をするという意識がどちらも群を抜いて高いのだ。
友人が自作の小説を読もうとしたタイミングでもう食事は運ばれてきた。チョコレートの湖が乗ったケーキにホイップクリームの峰が美しいチョコレートドリンク。すかさず銀のフォークをチョコレートの光沢の海に突き刺す。向かいの席の彼女はホイップクリームから攻めた。スプーンの上に乗ったクリームは彼女の口元に入って、キャップの下から細長く笑う彼女の目元が見えた。
ケーキの横のさくらんぼは孤独である。私も彼女もさくらんぼは好きではない。そのため仕方なく私が食べる。味がしない。チョコレートの後のさくらんぼの薄い風味は舌に存在を気づかせることができなかったようだ。
ケーキを食べつつも、彼女は私の小説を読み始めた。
「アイデアだけいっぱいあってさ、下書きばっかだけど好きなのから読んでいいよ」
そう言われて彼女は唇を少し内側に噛んでこくんと頷いた。彼女の品評がはじまる。
「わたしこういうのすき」
「これは?……ちょっとわからない言葉おおいかも」
「もっとインパクトのあるタイトルの方が良いかもね」
様々なコメントが寄せられた。ケーキの上のアイスクリームは品評を待たず容赦なく溶けていく。溶けた部分を再度ケーキに乗せつつアイスごとケーキを口に放り込んだ。
「わたしあんま本読んだことないから良い言いかたわかんないや……」
そう不安そうに彼女は語るがとんでもない、むしろ私のようにひねくれた読書愛がないからこそ彼女に品評を頼んだのだ。
「この前送ったこれは……?」
私はタブレットの中に羅列されたファイルの中から自信作を指さす。
「ああ、前も見せてくれたやつ」
彼女はファイルを開きじっくりと読み始めた。私は崩れてきたホイップクリームを一気にドリンクにかき混ぜ、それを勢いよく飲み込んでその感想を待った。
「……」
彼女は眉間にしわを寄せた。そしてリュックの中から何冊かの本を取り出すと、私の小説の描写と本の描写を見比べているようだった。緊張感から今度はお冷に手を出してコップを傾けすするように口内の甘みを消す。
「ごめん……」
震えた声だった。彼女のか細い声と相まって、蚊の鳴くような言葉が聞こえてくる。
「ちょっとギブ……なんか文字が流れて読めない……」
去年の4月に就職した時点から書いていた小説だった。この反応は意外であったが、正直そう品評されても仕方がないという側面も実はあった。
就職に成功したものはよかったものの、改めて考えると合わない職場であった、ダンゴムシのくせに鳥の巣に就職したようなものだ。
毎日ついばまれながらも自分は鳥です、鳥になりたいです、ともう言を吐きつつ働いていた。そのような環境の中で歯を食いしばりながら書き始めた小説だった。
小説は趣味で元から書いていたが、この小説に関しては何か運よく賞にでも当たれ、私を鳥の巣から解放させてくれるものになってくれという一筋の希望をどん欲に封じ込めていた。
いつしか書く楽しさよりそのどん欲さが勝ち、泥山を砂金が埋まっていると信じ込んで手で掘り続けているような気分で書いていた。
今見ると、ところどころその必死さがにじみ出ているような文章で、私も長くファイルを開けていなかった。体が動かなくなり鳥の巣に行けなくなった日から、ずっとその文章は投げっぱなしだった。
「いいよ、ありがとう」
申し訳なさそうに頭を抱える彼女をよそに、私はノートパソコンを受け取った。チョコレートの海は私の胃の中で甘ったるい渦を作り、ゴロゴロと腹を鳴らしている。
酷評を受けても、こうした時間を持てること自体がとてもうれしかった。
鳥の巣の中ではなく、石の裏で友人と楽しく枯れ葉をつつくことができるこの日常が私にとってのオアシスだった。
もう鳥の巣には戻れないことを直感していた。今度戻ったらもう私は抜け殻を残してすべて食べつくされてしまうだろうということも。
新しい職を探していた。鳥の巣でなければコンクリートブロックの裏面でもミミズのうごめく土の中でもどこでも良い気がした。この石の裏の談合さえ没収されなければそれでよかった。
閉店時間2分前になってやっと重い腰を上げる。じめじめとした外の空気は今日は心地よく感じた。
また品評よろしくね、と言うと彼女はうん、とうなずいた。
また週末になれば石の裏で談合を行おう、それまでは我らダンゴムシはただひたすら、太陽が沈み土の中が湿るのを待つのである。
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