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【エッセイ】にげるがかち!

一匹の虫が逃げた、標本にする予定の虫だった。

適応障害で休職している私は、自身の状況から目を背けるため、よく友人と散策している。

その散策を続ける中で、たくさんの虫と出会った。
散策の目的は昆虫観察になり、友人も私もそれを楽しんでいた。

そのような日常の中、友人が昆虫標本を作ってみたいと言い出した。
標本として手元に置きたい虫ができたらしい。

標本作成に乗り気な友人とは対照的に、私は消極的だった。

美しい標本を作るには殺生が必須となる。

手に入れた昆虫の寿命が尽きるまで虫籠で飼い、その虫の命が尽きたのちに標本にする……という殺生に消極的なやり方もある。

しかしそれでは採取時のみずみずしい姿ではなく、飼育期間ののちに劣化した昆虫の標本を作ることになる。

知識と経験を持ち適切な世話をすればそれは回避できるかもしれないが、それも不足している今の私と友人には難しい。

美しい標本を手に入れるための殺生を受け入れた友人と異なり、私は虫を自身の欲のために殺す覚悟も、また虫の貴重な時間と本来の美を奪ってでも手元に置いておく覚悟もない腰抜けだった。

適応障害になった理由も私が腰抜けだったからだ。

人の命が左右される現場でミスをして覚えろと言われた。自身のミスではないが、目の前で命が亡くなる瞬間も見た。

私は、命を扱う覚悟が根本的にできていなかったのだ。人間の命ですらない虫の命ですらそうであるのに。

そんな考えを巡らしつつも、友人の昆虫標本作成を手伝うことにした。

昆虫採集のため県立公園の並木道を歩く。
山を切り開かれたこの公園にはペットとして飼育されたのちに捨てられたミシシッピアカミミガメや、山を掻き分けて作った道に度々顔を出すマムシも生息している。

木漏れ日が道を照らす、様々な生き物がこの公園に暮らしている。

自然を愛する心を育む、という人間たちのスローガンによって作られたこの公園。

人間のエゴと自然本来の姿、そしてそれを楽しむ人間含む生き物たちが相まみえている。

様々な虫を発見した。水分不足で私の手汗を吸おうとするアカタテハ、草陰で一休みするガガンボ、ツツジの花を狂ったように旋回するクマバチの群れ。

公園の展望台から見下ろす街は緑に囲まれその姿を満足に眺めることができない。それほど生い茂った緑の中を私たちは歩いた。

お目当ての虫は夕方まで見つからなかった。
歩き疲れた私たちは、もう帰ろうかと荷物を持ちそこを立ち去ろうとした。

その時だった、私の目の前を飛ぶ羽虫がいた。
それはまごうことなく友人が欲しがっていた昆虫だった。

「あ、いた」

私は指差してその虫の位置を友人に知らせると、大きな虫取り網が小さなその羽虫を捉えた。

羽虫は自身の何倍もの網の中で何が起きたかわからぬように動き回り困惑している。

私は友人のバックの中で揺れる大瓶の除光液を見て、その存在を友人に伝えたことを後悔した。

私が存在を教えなかったら、この小さな命は明日もこの豊かな緑の中を飛べたのだ。

1匹いるとわかると友人は標本が失敗した際の保険にと、あと数匹捕まえようと決めた。

友人は羽虫のいそうな並木道の中を歩いた。友人のお気に入りの羽虫は個体数が少ないわけでも珍しいわけでもない。季節になれば見かけるようなありふれた虫である。

そのような虫でも、友人は保険用であってもそれ以上に捕獲しないよう気を遣っていた。しかし、それでもできれば見つかりませんように、と私は祈った。

命を奪う罪悪感という体を持ったエゴだった。

何匹もの羽虫が私の無駄な祈りも虚しく、無防備に友人の目の前に現れた。

数匹捉え終わったのち、私たちは虫かごの中を見た。
種類は同じでもその大きさ、性別、動き方は異なる。

その個体差が私にさらに罪悪感を抱かせた。

しかしよく見ると、数匹の中にその容貌が大きく異なるものが1匹混じっていた。

くりっとした目を持つ羽虫たちの中に、やたら細長い目の贋作がいた。

調べてみると完全な贋作というわけでもなく、科は同じの別種のようである。

ただその羽虫たちよりは小さな体で、その表情はなんとなく胡散臭く感じられる。

せっかくなのでこの虫も標本にしようと友人は宣言した。
贋作の羽虫はせわしなく別種の羽虫の飛ぶ中を動き回っている。

私たちも歩き回って疲れたため、山の中のレンタルビデオショップで休息を取ろうと車内に戻った。

レンタルビデオショップの照明に寄った虫の中に、珍しい種類のものがいないか調べたいという目的もあった。

店外の照明に照らされていたのは美しい木の皮を被ったようなカミキリムシの死骸であった。この死骸も状態が良かったため、標本にしようと持ち帰ることになった。

私は妄想した。このカミキリムシの一族は人間に捧げる贄として一匹の同胞の死骸を差し出したのだ。
あの数匹捕まった羽虫の一族もそのような知恵が働けば、と私は無駄な妄想をして友人と車内に戻った。

状態の良い死体が標本用にすぐ見つかれば良いのに、そうすれば殺生や捕獲の必要性も無いのに、と甘ったれた考えをしつつ車のドアを開く。途端に友人は何かに気づいた。

「1匹いなくなってる!」

虫籠の隙間をぬって1匹の羽虫が脱出したらしい。
確認してみるとあの細長い目の贋作がいなくなっていた。

元々標本にする予定のなかった虫であるためか、友人は気にせずケロッとしていた。車内に小さな羽虫が解放された事実を知った私の方が焦っていた。

車内のライトをしばらく照らし、その虫を誘引しようとするものの姿が全く見えない。

スマートフォンのライトを使って車内隅々まで照らしてみるも、元の体が小さいのもあって痕跡すら見つからなかった。

とりあえずその場はその虫を尻で踏んでいないことを確認しつつ、そのうち出てくるだろうということで、一度友人の家に戻った。

友人は家に戻った矢先、100均で購入した紙コップと透明な容器、そして除光液の瓶を取り出した。

羽虫たちを殺すための簡易的な装置を作成するためだ。

友人が事前に調べた方法に従い、透明な容器に除光液を浸したティッシュを入れ、装置を組み立てていく。

虫籠の中の数匹の羽虫は、友人が容器を取り出した時に何が起きるかも知らずに、互いにぶつかりながら羽ばたいていた。隙間なく羽ばたく彼らのうち1匹がふいに動きを止めた。

まるで何かを察知したように。

容器の中に除光液の貫くような香りが充満していく。友人は羽虫を捕まえると、次々に装置の中に放り込んでいく。

羽虫たちの羽音が一つ、また一つと弱まっていった。彼らはそれでも必死に動き回るが、やがて羽ばたきをやめ容器の底にポトリと落ちていく。

足はばたつき首をせわしなく動かし、何が起きたかわからないままに、ひっくり返って次第に動かなくなっていった。

私も心を痛めたが、殺生を覚悟していた友人はそれ以上に心を痛めたようだ。ボソッと「きっといつか毒で苦しんで私も死ぬのかな」と言った。

体液を出しながら苦しんで死んでいく様子とは裏腹に、その死骸は美しかった。

眠るようなその死骸は別の容器に差し替えられ、乾燥剤と共に部屋の隅に置かれた。

乾燥のために別の容器に移された虫たちは、かわいらしいくりくりとした目のまま死んでいる。ふと逃げたあの虫のことが気になった。

友人がメモ帳に採集した昆虫の情報を書いている横で、私は落書きをした。あの逃げた虫が手を振っているイラストを描いた。
漫画の吹き出しをそのイラストに添えて。

「にげるがかち!」

そうその虫に言わせた。その時突発的に自身の置かれた状況を思い出した。

閉鎖的な労働環境で精神を病み働けなくなってしまった。

適応障害となり悶々とした日々を過ごしていた。
休職はできたものの、これでよかったのだろうか、逃げるべきではなかったか、そんな思考が強風のように吹き荒れる日もあった。

その思考から逃げるために友人との散策も始めたが、それでも貫くような風は私を逃がさなかった。

今もその強風に吹かれている。でも、自身が描いたイラストを見て、そして、あの時逃げた虫のことを思い出して、やっと何かが治まった。

逃げてよかったんだ。

その考えが吹き荒れていた強風を止ませ、心に凪を作った。
閉じ込められた空間の中で生きてきた自分を、逃げた虫の存在が慰めた。

私はあの時逃げてよかったのだ、だからこそ生きているのだ。

帰る時刻となり、容器の中で美しく永眠する昆虫たちを見送りつつ、また車内へと戻った。

あの時逃げた虫をまた探したが、やはり見つからなかった。

まあ見つからなくても良いさ、そう思いながら友人の家を後にした。

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