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大事なことはいつも現地のおじいちゃんが教えてくれる

数年前、友人と香港に行った。社会人になりたてでお金もなかったので貧乏旅行。ホテルは中心部ではあったが、ひとり1泊2000円でダブルサイズのベッドがひとつしかないおんぼろホテル。
現地についてから早速ホテルにチェックインすると、旅行の目的であった食を楽しみに出かけた。友達が調べてくれたお店で麺を食べた後、マンゴーやいちごがたくさん入ったフルーツティーを飲んだ。近くに公園があったので、フルーツティーを飲みながらぶらぶら散歩していた。たくさんの人がいて、現地のおじいちゃんに声をかけられた。

「どこから来たの?」
日本だよ~と返し、他愛もない話をしていたときに少し気になることを言われた。
「風が強いね~! 明日から台風がくるからね」
え? 台風? 明日から? 私たちは(あほなので)現地の天候なんて何も確認しておらず、言われたときはおじいちゃんの冗談かと思って、そうなんだ~と軽く流してしまった。
この時香港に来ていた台風は、日本でも「今年最強の台風が香港に上陸」という見出しでニュースになっていたほどの超大型台風。香港では、台風の強さをシグナル1からシグナル10までの数字で表す。そしてその台風はシグナル10。

もちろん、台風という言葉が気になったのでホテルに帰ってから情報を集めた。そしたら本当に来るらしい台風。しかも最強のシグナル10。どどどどうしよう……とはなったが、どうすることもできずその日は就寝。朝起きてすぐ、本日乗るはずだった飛行機がキャンセルのメールが届いた。そうなるよね……。そこから大慌てでせめて次の日には帰れるように飛行機を探した。もう日本-香港の直行便は高くなっていて、ひとり10万円ほどだった。そんな給料の半分ほどの大金、払えるはずもなく、友達がようやくひとり3万円ほどの飛行機を見つけてくれた。マニラ経由の。マニラ経由というのは少し心配でもあったが、もう一刻も早く日本に帰れる確約が欲しくてその飛行機を予約した。

そして次の日は仕事だったので、上司への連絡。
「明日は台風のため香港から帰れません。有休を使います。本当に申し訳ありません」
とメールした。記憶が正しければ、これが人生初めての有休。上司も困惑しただろう。私の上司は人間のできた方で
「了解です。飛んできた看板に当たらないように気を付けてください」
と返事がきた。こちらは一安心。帰国してしばらく嵐を呼ぶ女と言われたが。友人は研修の最終発表があったらしく、上司からは20行ほどのお怒りメールが来ていた。

お昼ごろ、私たちは本当にお腹が空いてた。おんぼろホテルだから、もちろん朝食なんて付いていない。台風だと忠告してくれたおじいちゃんの話を話半分に聞いていたため、食料も特に買い込んでいなかった。
「お腹空いたね……。どこかお店開いてるかな」
そんな会話をしていた。香港では、シグナル8ですべての学校・会社・店舗・公共交通機関は休業する。今回の台風はシグナル10。街のすべての機能が停止すると言っても過言ではなかった。ホテルの人に、もう一泊していいかを聞きに行ったときにも
「シグナル10だから! お店とか全部やってないよ」
と言われた。

それでも私たちはお腹が空いていた。

「とりあえず、下に台風の様子見に行ってみる……?」
私たちの部屋はホテルの6階だった。1階に降りて下界の様子を見ると日本で見たこともないような強さの強風と大雨。
友人は言った。

「さあ、行くか」

まじで!? この強風と大雨の中を!?
私はてっきり、様子を見て部屋に戻るものだと思っていた。でもこの嵐の中、食料を探しに行くぞと気合の入った友人の横顔を見て私も覚悟を決めた。

行こう、食料を調達しに。

お店は本当にどこも開いていなかった。大きなデパート、セブンイレブン、近くの飲食店を見て回ったがどこも休業していた。頼みの綱コンビニも開いていないとは日本では考えられないことだった。大雨に打たれ、強風に吹かれ、温暖な気候の香港とはいえ非常に寒かったのを覚えている。街路樹がなぎ倒されたり看板が落ちていたりするところもあった。もう本当にどこも開いていない。シグナル10怖すぎる。日本に帰りたい……。もう帰ろうよ、と友人と話していたときに、人が集まっている場所を発見した。

そこは、マクドナルドだった。近所の飲食店で開いている店はここしかなかったためか、ずぶ濡れの人が沢山並んでいた。本当にありがとうマクドナルド様。本当にありがとうこんな台風の中働いてくれているお姉さん。そう思いながら日本に帰りたすぎてサムライバーガー(てりやきバーガー)セットを注文した。日本と同じマクドナルドの味がした。

次の日にはすっかり台風は過ぎ去っていて、私たちは無事にマニラ経由で日本に帰国することができた。

最近、香港に一緒に行った友人と下関に遊びに行った際に、唐戸市場の近くで散歩していたおじいちゃんに話しかけられた。

「あの関門海峡のトンネルは私が小学四年生の時に作られたんよ」

私はおじいちゃんが何歳か知らないけどこの言葉を覚えていたい。
現地のおじいちゃんが教えてくれることは、大事なことだと学んだから。

おわり


友人のかっこいい姿を書きたくて書きました。
いまでも、「さあ、行くか」の声が忘れられません。

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