この有名なたとえをどう解釈する?『世界はあなたを映した鏡』
壇珠(たんじゅ)さんのこの記事にインスパイヤされて記事を書きました。https://note.com/michiemiyu/n/n9d408a60ea5c
😎『世界はあなたを映した鏡』などではまったくない。
😱もしそうだとしたら、こんな世界になってしまう💦
安心してくれたまえ。
『世界は社員を映した鏡』である。
これは類似(対応)の法則(というものがあるらしい)からも明らかかと。
我々は、我々の統治する世界(肉体)すら、まともに統治できていない。
という、一つの事実がある。
もし、無意識という名の管理システムがちゃんと働いてくれなかったなら、たった1日とて、我々は生きていけやしない。
よくよく考えてみればわかるのだが、ある朝突然、心臓さんが、
「すいませ〜ん。今日はちょっと休暇取りますぅ!」
と言ったとしたなら、明日の生命なんて無いのだもの...。笑笑
またこれは、
規模を変えて、会社でたとえて考えてみると、わかりやすいかもしれない。
社長は一人。そして、社員は複数。(面倒くさいので、個人事業主は除いて考えてくださいませ)
もし社長一人が働かなくなったとしても、
「システムがちゃんとしていれば」、とりあえず、会社は問題なく回る。
…のだけれども、逆に、
社長一人がどんなに働いたとしても、社員がまったく働かなかったなら、会社は回らない。
そう考えた時、
社員が働いてくれるから、俺(社長)は生きてられるんだな。
ありがとう。
という図式になれば、
それはやがて、社員に対する行動としても現れてきて、そこに絆が生まれてくる。
そうなってお互いの絆が強まり、深い信頼関係が築かれていくと、社長一人では、とても想像が及ばないような規模のことが沸き起こってくる…。
突き詰めて考えてみると、
「この世界はコミュニケーションで成り立っている。」
嘘や技術などでは、本当の意味でのコミュニケーションというものは成り立たない。
そしてこの、嘘や技術でのコミュニケーションが、個人の体内で蔓延したりすると、身体との間に、いわゆるコミュニケーション障害というものが引き起こされてしまい、人はいわゆる、「病気」と呼ばれる状態に陥ることになる。
個人でも集団でも、規模が大きかろうが小さかろうが、それは変わらない。
これをなんでも、「類似(対応)の法則」というのだそうだ。
考えてみれば、
人間というものは、約30兆もの社員(細胞のこと。最近の研究では、約60兆ではなく、約30兆であると訂正された)を抱えた「肉体という会社」を与えられ、保有している存在なのだ。
なのでまず、
その社員一人ひとり(細胞の一つ一つ)に至るまでと、信頼関係を築かなかったなら、いずれ会社は倒産するだろうし、一つの会社すら運営できないようであれば、どうして社外(肉体外)にまで影響を及ぼすことなど考えられようか?
……
世界(という名の会社)は、社長(我々)が、毎日毎日、ダラダラと不平不満を言い、まともに働かなくても、そして、たとえ力不足でも、(今のところ)回ってくれている。
でも、もしそこに、社員に対する感謝がなく、俺が居るから世界(会社)は回ってられるのだ!
などとのたまわり、勘違いをすると、総スカン(ストライキ)を食らう。
ここはよく聞いといて欲しい。特に不労所得、クワドラントの右側で生きている人間は。
君たちが何もしないで生きていけるのは誰のお陰か。
決して、自分たちの能力などではない。働いてくれている人達がいるからこそ、君たちは働かなくて済むのだということを。
うん。
なので僕はまず、
外のことはほっといて、約30兆にも及ぶ、社員のことを優先して考えようと思う。
そして社員(自分)を大切にするがごとく、他人も同じように大切にしようと思う。
そうすればやがて、類似(対応)の法則が、バタフライ効果を生み出すことだろう…(たぶん…)
なんて妄想をですね、
密かに抱いているのでやんすよ。
なので、
『世界は(私を含めた)社員を映した鏡』なのである。
p.s.
裏話をお一つ。
心というものは、皆それぞれが、固有に持っていると勘違いされて久しいが、
スマホが電波がなければ「ただの箱」であるのと同じく、
「心」というものも、実は、その全てが根底では繋がっている。(まるで電波で繋がっているかのように)
なのである意味、一つとも言えよう。
そう考えると、
『世界はわたしを映した鏡』
なのである。
でも、
電波の届いてない「わたし」ではダメだ。
電波が届いて初めて「わたし」は機能する。
そしてその時「わたし=我々」となる。
ここに至って初めて、
『世界はわたしを映した鏡』である。
ということが意味を成す・・・
って、感じでやんすかね?
😉
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