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開頭記念日。|2020/12/19

手術からまる一年。
一年前の今日は、人生で二度目の開頭手術を受けた日。

サラッと手術と言ってきたけれど、振り返ってみてやっぱり大事だ。
乗り越えて一年間過ごしてきた身体を、褒め讃え、感謝の意を込めて人生二度目の開頭手術を記録したい。

手術の選択

再発を告げられ、考えたくもない再手術が迫ってきた2019年7月。
セカンドオピニオンを聞きに、東京女子医大まで行き見解を求めた9月。
そこで提示された覚醒下手術は、一度全身麻酔で眠って開頭した後、覚醒(目覚めている)した状態で会話や運動をしながら脳の運動野、言語野を傷つけないギリギリを攻めて取りきれるところまで取る、とても積極的な選択肢だった。
想定される手術の時間は15時間ほど。槇さん体力ありそうだしイケるよ、と。

一度目に受けた全身麻酔のみでの手術は、術中寝ている状態なので脳への電気刺激での反応しかみれない。再発にあたって主治医である湘南鎌倉総合病院の田中雅彦先生からは設備と技師の関係から、全身麻酔のみしかできないと言われている。
気持ちは、東京女子医大での覚醒下手術にだいぶ揺れていた。

それでも、最終的に主治医を選択したのは、田中先生のひと言。
「どんなに攻めても、これ以上取れないってところは一緒なんだよね。」

覚醒下では、運動野を傷つけようとすると突然動きが鈍るんだそうだ。
一方、全身麻酔の下でも、同様に触れていけないところまでいくと、電気刺激に身体が反応する。
どちらを選択しても、ある一定ラインを超えて摘出しようとすることは、四肢や言語機能いずれかに支障をきたすことを意味する。
半身麻痺や失語を覚悟するなら、腫瘍の周りをごっそり取ってもらえばいいのだが、僕はまだ29歳。これから先の人生もある。

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先生との2年半の信頼関係、術後のフォローへの通いやすさなどを考慮し、2ヶ月考え抜いた挙句、主治医に戻ることに決めた。

入院して渦巻く感情

そして手術前日、通い慣れた湘南鎌倉総合病院へ入院。
病院に慣れる間もなくバタバタと翌日の準備で過ごし、あっという間に夜を迎える。
頑張ってねと伝えにきてくれた仲間たちの存在がどれだけ心強かったことか。

「ああ、朝が来たら手術なんだな。」

恐れることとはまた違う、現実を受け入れるための覚悟。
心の準備が整ったのか、すんなり眠れたし、目覚めもすっきり。

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手術着に着替えて、準備万端。妻と弟が病室に到着して、いよいよだなあと思っていたが、救急対応が入ったらしく病室で暫く待つことになった。

この時間がどれだけ長く感じたことか。

ようやく呼ばれ、看護師さんとフロアを移動する無言の時間。
きっと彼女にとっては毎日のことだから何も特別なことではないんだよなあと考えるほど、気持ちには意外な余裕があった。

フロアに到着し、手術室への扉を一枚二枚と通り抜ける。
いよいよ姿が見えなくなるところで、振り返って妻と弟に手を振る。
応えてくれるふたりはやたらと冷静に見えたけれど、きっとそんなことないよね。

生年月日と名前を告げて、いよいよ手術室へ。

と、意気込んでいたところに陽気な声で「槇さ〜ん!」
なんの巡り合わせか、その日担当になった麻酔科の先生は保険のお客様。
緊張の入室のはずが「ぼく、槇さんから保険入ってるんです〜」「こんな出会いだったんですよ」なんて手術を担当してくださる皆さんに紹介しださり、団欒モード。

それでも、手術台に上がれば僕の気持ちも高まるし、周りのモードも一変。
諸々確認し、点滴も繋いでもらい、いよいよ。

「安心して僕に任せてくださいね。」

やっぱりココで手術することを選択してよかったなあと思った以降、記憶はない。

集中治療室での目覚め

「槇さん、終わりましたよー。」
何度呼ばれたかわからないが、ぼんやり目を覚ました時に聞こえてきた声。
時間を聞くと約4時間の手術だったそう。二度目だから切るところもアプローチするところもわかっていて少し早まったらしい。
ただ、そんな話を聞いていた次の瞬間、寒さを自覚して身体の震えが止まらなくなった。
自律神経の乱れで体温調節が効かなくなっているとのことだったが、ICUの温度管理された部屋の中でガタガタ震えるなんて、正直恐怖だ。

実は、2年半前の一度目の手術。
この際にはICUに戻って、暑さで発汗が止まらなくなって20時間ほど苦しんだ。
加えて、全身麻酔への副作用で吐き気が止まらず、二度とICUに戻りたくないと思ったほど。

今回はその真逆。
どうなることかと思ったが、震えは意外にも30分経たずに治まり、吐き気もなし。
最悪を想定していたため、地獄は見ることなく過ごせた。面会に来た妻や両親、弟と会話を楽しむ余裕もあった。なにせ、ICUの看護師さんは天使のようだ。
ただ、そうは言ってもスマホは見れず、水も飲めない24時間。リクライニングベッドを起こして、往来する看護師さんを眺めながらひたすらボーッとするだけの時間は、天国とは言い難い。

こうして、2019年12月19日は終わりを迎え、病室に戻りリハビリを中心とした入院生活に移っていくことになる。

認めたくない自分

入院生活では、脳内の血の滲み・浮腫によって右半身が麻痺し右腕と右手は全く機能しない期間が10日ほど続いた。
歩くのもギコちなく、言葉も出てこないため会話が成り立たない。
今だから書けるが、お見舞いに来てくださる気持ちは嬉しいのに、どこか会うのが億劫な部分があったことは事実。
手が動かないことに対する恐怖、うまく話せないことへの申し訳なさ・不甲斐なさ。この状態で人に会いたくないというもどかしさ。

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それでも、会いに来てくれた人がいたから、メッセージをくれた人がいたから。
絶対に戻ってやろう、全部ネタにしてやるぞって決意そのままにリハビリできたし、2週間後の退院時にはなんの支障もないレベルまで回復できた。

乗り越えた事実

まる一年が経過したのに、この日のことは今でも鮮明に記憶している。
恐らく、本能的に覚えているんじゃないかと思う。

でも、人間は忘れる生き物だ。きっと来年には薄れている。
不安、高揚、期待、恐怖、興奮、様々な感情が渦巻いたこの日のことを、どうしても記録しておきたくて、今日しかないと思い、一気に書き上げた。

僕の身体があの日、物凄い負担に耐えたこと。
術後の経過も乗り越えて機能を取り戻したこと。

すげえ頑張った。
この感情は、この解釈は。
不変の事実として残したい。

仮に僕の心がどんなに強くとも、強い心だけじゃどうにもできないことだってある。
僕は乗り越えようとしたし、身体はそれに応えてくれた。
こうやって全部繋がっていま生きてることが、奇跡だと思う。

ありがとう。

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