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福岡ラーメンの裏メニュ~

 福岡といえばラーメンだと人は言う。観光ついでに有名店に足を運び、麺の固さを選んで運ばれてくるまでの間に卓上の高菜を味わう。ラーメンが届けばゴマやコショウを振りかけつつ啜り、注文時とは異なる固さの替え玉を注文する。そういった楽しみ方がまあ一般的だろう。

 ところで皆さんは裏メニューというものをご存じだろうか。一般的には、常連と認められた客だけに提供される特別なメニューのことだ。新たな味付けを試したり、ひと手間掛けたチャーシューが乗せられたり、新メニューの試作品だったりと信頼関係のある客に対してのみ提供される。裏メニューが提供されるというのは、客が店に認められたという事実を示しており、その他大勢との差を見せつけられるものである。

 福岡という土地においても、裏メニューのあるラーメン店は存在する。しかし他の裏メニューと異なるのは、客が店主を応援するという意味合いが強い点である。

 ここまで読んだ読者諸氏がさっそくラーメン店を訪れてこう叫んだとしよう。

「裏メニュー!裏メニュくれ!!」

 しかし店主は首を傾げ、カウンターに並ぶ他の常連客は苦笑いするだろう。なぜならあなたは常連ではないからだ。常連というのは同じ店に十回か二十回通った程度ではなれない。

 毎週三回以上、いつも決まった時間に訪れ、毎回同じメニューを頼む。可能ならば毎回同じ席に着くことも求められるが、昼や夕の込み合う時間は難しいだろう。なのでランチタイムの終わった後や、夕飯には早い時間、あるいは閉店までもうすぐといった頃がよい。そうやって店主に対し自身の存在を印象付けるよう繰り返し通うことで、ようやく常連となる。

 しかし常連となったところで、まだ裏メニューを注文できる身分にはなっていない。むしろ、あなた自身に裏メニューを注文する心構えができているかどうかが問題だ。

 仮にあなたが顔なじみとなった店で「いつもの」と頼もうとした時、カウンターに並ぶ常連が

「おやじさん、今日は『裏』お願い」

 と頼んだとしよう。あなたはその時、「自分も『裏』で」と頼めるだろうか。裏メニューを頼むために足しげく通い顔なじみとなった店だ、今更躊躇する必要はない、とあなたは思うだろう。かすかな勇気を込めて発した注文に対し、店主はあなたに目を向けて「『裏』かい?本当に?」と確認を取り、『裏』を注文した常連は苦笑する。

 ここで「いつもの」に変えてもいい。自由だ。誰もあなたを責めない。だが居合わせた常連と店主は、あなたがいないときにあなたの話をするだろう。そしていつものように訪れるあなたを見て、『裏』から「いつもの」に注文を変更したことを思い出すはずだ。それでもいいというのならば、それでいい。あなたの自由だ。

 では、ここで勇気をもって『裏』を注文したとしよう。そしてあなたは、いつもより長い時間をカウンターのいつもの席で待つことになる。実際に時間は変わらない。あなたが感じる時間が長いだけだ。やがて店主は湯気の立つ丼をあなたの前に置く。

 あなたは湯気越しに丼の中を覗き込むだろう。時間をかけて常連となり、ついに頼んだ『裏』がいかなるものか確かめるために。しかしあなたの目に映るのは、いつもと変わらないラーメンだ。もしあなたの「いつもの」がチャーシューメンだったり野菜ラーメンだったりした場合は、いつもより少なく見えるだろう。

 からかわれているのか?

 そんな疑念を胸に、同じく『裏』を注文した別の常連の丼にあなたは目を向ける。しかしそちらにあるのも、あなたの前にあるのと変わらない普通のラーメンだ。しかし常連はとどいたラーメンを嬉しそうに啜り始める。やはりこれが『裏』なのだ。あなたは箸を取り、目の前の『裏』に手を付ける。

 麺は一般的な細麺。
 具は紙のように薄いチャーシュー、細かく切られたネギ、そしてきくらげ。
 スープは白濁し、油が浮いている。

 麺を啜り、チャーシューを口にし、レンゲでスープを飲んでみたところであなたは内心首をかしげるだろう。

 しかし横目に見た常連も、同じ鍋でゆでられた麺と同じ鍋から注いだスープで出来上がった『裏』を何の疑問もなく啜っている。

 やはりこれが『裏』なのだ。

 あなたは一口、また一口と麺を口に運んでは啜り、時折レンゲでスープを口にし、チャーシューやきくらげの歯ごたえを味わう。よくよく落ち着いて感じてみれば、確かに少し違う。麺に練り込まれた味わい。スープに添えられた微かな風味。ネギ、チャーシュー、きくらげは普段出されるものと少し異なる歯ごたえや風味、味わいをもたらしている。

 これだ。これがこの店の『裏』なのだ。

 あなたは内心でそう繰り返しながら、目の前の丼から麺を啜り、スープを飲み、ついには丼を両手で持ち上げ口をつける。麺の切れ端やネギのかけらがスープとともに口内から喉を通じ胃袋へと滑り落ちていく。

 そして、カウンターに並ぶ常連とほぼ同時に空の丼を下ろした。

 あなたは常連と視線を合わせ、ある種の一体感を覚えながら軽く微笑む。常連も微笑み返してから立ち上がった。そっとカウンターの上に置かれた伝票を手に、常連はレジに向かってそれを差し出す。位置を移動した店主は、伝票を手に取ってからこう言った。

「はい、『裏』一丁XXXX円になりまぁす!」

 威勢のいいその一言に、あなたは肝をつぶす。

 店主の発したその金額は、店に掲げられた最高金額のメニューの数倍、普通のラーメンの十二倍を上回るものだったからだ。

 あなたが目を白黒させている間に常連は財布からその金額を出し、「ごちそうさん」の一声とともにのれんをくぐって店を出ていった。次はあなたの番だ。

 出されたメニューに対してあまりにも差のある金額。
 それを何のためらいもなく払った常連。
 これが『裏』なのか。
 それとも自分に対するある種の冗談なのか。

 あなたはレジに立つまでの数歩の間に頭脳をフル回転させ、様々な可能性を算段し、取りうる行動をとった後の自身の処遇や評価を考慮した。その数秒間の間に私は全身全霊での思考を経て、財布を手にしていた。

 札を差し出し、店主が口にした金額を差し引いたお釣りを受け取って、あなたは店を後にする。閉ざした扉の向こうから、ドッと笑い声が響く。

 今回の『裏』に関する流れがただの仲間内での冗談だったのか。それとも、本当によくわかっていない常連気取りが生意気にも『裏』に手を出し目を白黒させたのを笑っているのか。

 あなたにはわからない。

 ただのラーメンに対し、おおよそ十二倍の値段が付けられた『裏』がお店を金銭的に応援するためのメニューであるということを、あなたは知らない。

 常連を名乗るからには、お店が続けられるだけの貢献をする必要がある。そのことをあなたが学ぶのは、もう少し先の話だ。


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サークルDDSMDの広報担当です。ツィッターとかご覧ください。@twelveth_moon