Zing0 第十四話

太陽が働く。朝【ニィナグゴ村:戦うマーロウと村の入り口】


 
 胸を輝かせて猛るマーロウを前に、村ビトたちが作った荷車の壁は無力だった。マーロウが掴み上げた木を一度振るっただけで荷車は砕け、投げつけた岩で潰された。マーロウは岩を踏み砕き、村へ迫る。農夫が泣き叫んで炎の枝を投げつけると、枝は炎を強く燃え上がらせ、マーロウの掴んだ木を焼いた。
 マーロウは燃える木を空に向かって投げ捨て、四肢に力を蓄えて身構えた。村ビトたちは手にした武器を巨体に向かって突き出し、マーロウの脚を村から遠ざけていった。
 マーロウは突き出される武器を砕き、掴み、捻り、奪い捨てながら、退いていく。村ビトの誰かが高らかに叫ぶ。マーロウは彼らの叫びに咆哮で応えると、奪った武器をその顎で噛み砕いた。
 
「キエネトゥ、出てこい卑怯なキエネトゥ! お前さえ捕らえれば、俺は彼らを捻り殺さなくていい! うぉぁおう!! 出てこい月に惚れた男め! お前を捕らえるものがここにいるぞ!」
 
 マーロウの叫びに、村ビトたちがよろめいた。村ビトたちはマーロウの求めを知り、恐怖を慰め、困惑で四肢の力を弱める。マーロウが続けて叫んだ。
 
「出てこい憐れなキエネトゥ! ヒトを怪物のように見せかけ、村ビトたちを騙した術士め! 健やかに暮らすヒトを騙し、怪物にしようとした男。手伝い娘を殺し、獣に食わせた怪物。ヒトでありながら、ヒトを貶めた悪意の化身キエネトゥよ! お前を打ち倒すものがここにいるぞ!!」
 
 マーロウが胸を輝かせて叫ぶと、村ビトたちは立ち止まった。困惑し、キエネトゥを疑い、武器を持つ手は動かない。村ビトたちの身体は石になったわけではないのに、目の前の大男に武器を向ける事が出来なくなった。
 武器を手に、村ビトの一人がマーロウの前に進み出た。村ビトはマーロウの輝く顔を見上げ、手を震わせて聞いた。
 
「マーロウ。お前が叫んだ、それらはどこまで本当なのか?」
「ズィンゴを助けに来た。それ以外は全て本当だ」
「キエネトゥ様は、なぜ」
「それを知りたくて、俺は来た」
 
 マーロウは猛りを鎮め、穏やかに答える。マーロウの輝く顔を見上げた村ビトが、その手に握っていた武器を捨てた。マーロウを取り囲んでいたヒトたちの手から、次々に武器が捨てられる。村ビトたちの半分が武器を捨てた時、村の入り口から空中へ飛び出した何かが太陽を覆い隠した。
 
「怒れる怪物! 捕らえたぞ!!」
 
 キエネトゥが叫ぶ。空を長大な網、縄を編んで作られた網が覆っていた。
 マーロウは四肢に力を漲らせて伸ばしたが、網は巨体と村ビトを捕え、押し潰す。マーロウが巨大な身体の全てを使い、太い縄で編まれた長大な網を持ち上げた。村ビトたちはマーロウの丸太のような足元に縋り、ただ困惑している。
 マーロウの鼻先が歓喜と侮蔑を感じて震える。村の入り口へ顔を向けると、キエネトゥと農夫たちが彼らを完全に包囲していた。
 マーロウは全身を震わせるや、四肢に力を漲らせ、汗の霧を吹き出し、髪を逆立てた。マーロウの叫びはもはや言葉にならず、獣の咆哮と変わらない。地面を揺るがし、風を巻き起こすマーロウの咆哮に、キエネトゥは耳の穴に指をあてて笑った。
 
「ああ、すまないなぁ。マーロウや。私の耳が汚れていたらしい。お前の言葉を聞きそびれた」
 
 キエネトゥは指先に付いた耳垢を吹き飛ばすと、捕らえられたマーロウを見て謳った。
 
「さあ、これで怪物は捕らえられた! ようやく、村は安心で満たされるだろう!」
 
 農夫たちは歓喜し、武器を振り上げる。農夫たちは太い縄を持ち、網を引きちぎろうと足掻くマーロウへとにじり寄った。
 巨木のようなマーロウに縋りつき、震えていた村ビトたちはキエネトゥに気づくと、困惑と期待の混ざったにおいをまき散らして叫んだ。
 
「待ってくれ、キエネトゥ様! 待ってくれ、友よ! マーロウは、貴方が俺たちを騙していると叫んだ。これほど恐ろしい武器を向けられながら、そう叫んでいた。答えておくれ、キエネトゥ様。貴方は秘密を持っているだろう?」
 
 村ビトたちの訴えに、キエネトゥは羽虫を追うように眉間の皺を深くする。目は落ち窪み、頬の肉は痩せ、顎が骨張り、喉の皺は被膜を持つヒト(クロワモリー)の腕のようにだらりと伸びた。キエネトゥの変貌に、村ビトたちの間に緊張が走る。
 
「ああ、憐れなヒトたち。愚かなヒトたちや。私がヒトでなしたちの呪術から村を救ったことを忘れたのかい? 私が害獣に悩むお前たちの作物を救ったことを忘れたのかい? 私が月の下でヒトを襲う怪物を見つけ、マーロウがそれを打ち倒したことを忘れたのかい? 多くを救った私は一体どんな秘密を持っているだろう。ああ、マーロウ。賢いマーロウや。村の為、多くを成した私が、いったいどんな秘密を持っているというのか?」
 
 足元に満ちる期待と困惑を胸いっぱいに吸い込んで、マーロウは叫んだ。
 
「――うぉぉあぉう!! 今こそ秘密を暴こう! 月の下、俺が捻り殺した怪物の名はクロワモリー。この村から南へ行った先にある、長大な山に暮らすヒト。山の中で果物を食べ、花の蜜を集める穏やかなヒトたち! 俺は彼をヒトとは知らず、愚かにも捻り殺してしまった! うぉぉあぉう! キエネトゥ、獣の針で娘を殺したな!」
 
 マーロウの叫びに、村ビト全てが立ち止まる。網の下で震えていたものが、縄を持ってにじり寄っていたものが、キエネトゥさえも、その動きを止めてマーロウの言葉を聞いた。
 
「キエネトゥ、お前は酒場の手伝い娘を刺し殺した! 杖に飾った針の魔除け。それで娘を刺し殺し、捨て置いた。背の高い草の茂みに隠したのは、放っておけば獣の餌になる。と、殺した証拠は見つからない。と、そこまで考えていたからだ」
 
 村ビトたちはキエネトゥを見た。杖を飾った獣の針を見て恐れた。だが、キエネトゥは目を丸くし、首を傾げる。キエネトゥが萎びた指で針飾りを持ち上げて振ると、それらは軽やかな音で鳴った。
 
「ああ、マーロウ。浅はかな、マーロウよ。お前はこんな軽い針で、老いた私が娘を刺し殺せると信じたのかい? ああ、村ビトたち。こんなか弱い針で、手伝い娘の背中を刺し貫けると思うのかい?」
 
 キエネトゥがマーロウと村ビトたちに向かって問いかけると、風が吹き、爽やかな花の香りを運んだ。
 
「なぁぉう。それがなぁ、出来ちゃうのさ」
 
 香りは彼らの周りを満たし、その心を休ませた。ただ一人、風に針飾りをひったくられたキエネトゥを除いて。
 キエネトゥは周囲を見回し、マーロウが支え持つ網の上に座るヒトでなしのズィンゴを見た。ズィンゴは丸い耳を回して寝かせると、肩を竦めて笑う。異形の耳を晒した胸の前で、ズィンゴの首飾りが白く明滅していた。
 おもむろに、ズィンゴは跳び下りつつ、爪でマーロウたちが捕らわれている網を傷つけた。ズィンゴの爪が網に傷を付けると、マーロウは掴んだそれを引きちぎり、村ビトたちと共に抜け出す。
 ズィンゴはしなやかな指先で魔除けの針飾りを弄び、針を一本摘まみ上げた。
 キエネトゥは全身を震わせ、髪を振り乱して叫んだ。
 
「お前、ズィンゴ?! なぜ、お前が、そ、針を、こ、お。お前は、誰があそこに、喉を、どうして?!」
「ふっなぁおん。そんなにたくさん聞かないでおくれ。なにを聞きたいのか分からないよ」
 
 ズィンゴは針飾りを握りなおすと、ローブの下から村ビトたちがよく知る干し魚を取り出した。ズィンゴは空中に放り投げて弄んだ干し魚を地面に置き、針を煌めかせる。
 
「この針は確かに軽い。だけど、決してか弱くない。こうして、硬くなった魚にだって突き刺さる」
 
 ズィンゴが腕を振り下ろすと、針は干し魚の硬くなった皮と肉をやすやすと貫き、骨の隙間を縫い、地面まで達した。
 農夫たちは唸り、悲しんだ。キエネトゥが唾を吐き出した瞬間、ズィンゴは言葉を続ける。
 
「俺の力だから出来たのだろうって? なぁう。あんた、試しにやってごらんよ」
 
 ズィンゴが針飾りを適当な農夫に握らせた。針飾りを受け取った農夫は恐れたが、震える手で干し魚を貫いた。真っすぐに振り下ろされなかった針は半ば折れ、先端を干し魚の身体に残してしまう。
 農夫は四肢を縮ませ針飾りを放り棄てると、丸くなり、石になった。農夫は石になりながら、叫んだ。
 
「ああ、ああ……。なんて容易いことだろう、震える手が干し魚を貫いた! その針は、ヒトの肌さえ貫くに違いない!」
「おお、おおお……! おのれ、ズィンゴ! 呪いでヒトを誑かす悪意の化身め!」
 
 キエネトゥが呪いを唱えるが、ズィンゴには効かない。ズィンゴがローブの下から折れた針の先端を取り出してみせると、農夫たちは干し魚を拾い上げ、その身体に残った針の先端を摘まみ出して比べた。
 
「この針は娘の肉片に刺さっていた。その干し魚の肉に残った針と同じように。この針は打ち捨てられていたぞ。穴だらけにされた衣装、傷だらけの靴、泥に汚された新しい飾り羽と同じように。彼女の肉片に刺さったまま、折れ、捨てられていた」
「知らん。私は何も知らん。そんなものは見たこともない」
「これはあんたが大事にしている針飾りだろう。それに、お前は村ビトたちに聞いていたな? か弱い針で、手伝い娘の背中を貫けると思うのか。と、確かに聞いていた。なぁ、どうしてそんなことを聞いた? 行方不明になった娘が、背中を刺されて死んだと、どうしてそう思った」
「はて。そんなことは言っていない。ズィンゴや、お前の耳は汚れているのだろう」
 
 ズィンゴは牙を剥き出しにした。
 
「耄碌したふりをするなよ。見苦しいだけだぜ」
 
 獰猛な牙が煌めく。キエネトゥと農夫たちの首を噛みちぎらんばかりに見せつける。ズィンゴは舌を打ち、唾を吐き捨てると、白く明滅する首飾りを強く握りしめた。
 首飾りの足跡が金色の光を放つ。ズィンゴが飾りを指先で摘まみ、なぞると、震えだした首飾りがマーロウの叫びと、キエネトゥの問いかけを語りだした。
 
『キエネトゥ、お前は獣の針で酒場の手伝い娘を刺し殺した! 杖に飾った針の魔除け。それで娘を刺し殺し、捨て置いた。背の高い草の茂みに隠したのは、放っておけば獣の餌になる。と、殺した証拠は見つからない。と、そこまで考えていたからだ』
『ああ、マーロウ。浅はかな、マーロウよ。お前はこんな軽い針で、老いた私が娘を刺し殺せると信じたのかい? ああ、村ビトたち。こんなか弱い針で、手伝い娘の背中を刺し貫けると思うのかい?』
 
 ズィンゴがもう一度首飾りをなぞる。首飾りは再び震えだし、キエネトゥの問いかけを繰り返した。
 
『手伝い娘の背中を刺し貫けると思うのかい?』
 
 しわがれたキエネトゥの問いかけに、村ビトたちは四肢を強張らせ、立ったまま石にされた。キエネトゥは口を開け広げ、解けた顎の奥に零れ落ちそうな歯を晒している。
 ズィンゴは舌を打つと、首飾りを握りしめた。首飾りは光を落とし、足跡の意匠を浮き上がらせる。
 ようやく四肢に力を取り戻したキエネトゥは全身を震わせ、口を閉じ、地面を踏み荒らした。空いた手と、ズィンゴを見比べ、俯いたマーロウと、自分を取り囲もうとする村ビトを見回した。
 
「おお……、恐ろしい事だ。ヒトでなしのズィンゴ。お前がこの私を縛ろうというのか」
 
 地面の底から影を縫い付けようとする声で、キエネトゥは問いかけた。ズィンゴは弄んでいた網の破片を放り棄てる。
 ズィンゴは萎びた老人を見下ろし、手を広げて宥める。そして、子どもに喧嘩の理由を問うような声で答えた。
 
「慌てるなよ、賢いキエネトゥ(ケーナトゥ)。俺は愚かなのさ。縄の縛り方が分からない」
「おお……。おお……。おお! なんてこと! ズィンゴ、お前を、小さなお前を、両親諸共あの時……。ああ、小さなお前を憐れまず、殺してしまえばこんなことには!」
 
 キエネトゥは叫び、弾けるように周囲を見回した。キエネトゥに従っていた農夫たちの眼は虚ろで、武器を持つ手に力は入っていない。切り裂かれた網を抜け出した村ビトたちが触れると、武器から手を離し、四肢を丸めた。
キエネトゥは立て続けに呪いを唱えた。再び村ビトたちが立ち上がるよう、ありとあらゆる呪いを唱え、杖を振り上げる。だが、もはや誰一人として、キエネトゥと共に戦おうとはしなかった。
 村ビトの一人が縄を持ち、キエネトゥへ歩み寄る。
 
「キエネトゥ様。少し私たちに話し合わせてください。あなたの行いを、正さなければいけません」
 
 キエネトゥは叫んだ。
 
「ほう、正す。愚かなヒトよ! 正すだって? お前まで老いた私を縄で縛ろうというのか」
 
 杖を捨て、キエネトゥは逃げ出した。足取りは軽く、若者のようだ。しかし、ふと空を見上げ、脚を止める。キエネトゥは全身を震わせ、顎を揺らすと可笑しそうに笑い出した。
 
「太陽が……。おお、高く昇っている! く……くこかかか!! ああ、尊き彼らは私を見捨てなかったのだ! 愚かな獣共よ、見上げ、平伏せ! 今まさに太陽は高く昇った! 湖を渡り終えた尊い彼らが、私に代わってお前たちを焼き滅ぼすだろう!!」
「湖だって?」
 
 ズィンゴはキエネトゥに向かって首を傾げ、マーロウに向かって首を傾げた。マーロウも同じように首を傾げる。キエネトゥは口から糸を引く唾を吐き出し、叫び、罵った。
 
「愚かな怪物! 悪意の化身ども! 最早惨めに首を垂れても救われぬ。尊い彼らが、銅と硬い皮を持ち、額に太陽を輝かせる尊い彼らが! 我らの先祖三代子孫七代先までをも呪い殺すのだ!」
 
 キエネトゥは絶頂し、太陽を抱くように胸を広げて謳った。全身を歓喜に痙攣させていたキエネトゥに向かって、マーロウは鼻をつまんで答える。
 
「湖の上は渡れないぞ。ズィンゴの指示で、俺が木を浮かべた」
「は、くこ……?」
「マーロウの大手柄さ。舟で来るつもりなら、あれをどかしてからになるだろうなぁ。4回は太陽が休むだろうね」
 
 ズィンゴの答えに、キエネトゥは翅が縮れた鳴虫のような声で吼えた。口の端から泡を吐き、膨らませた鼻から水を滴らせて吼え立てる。だが、それはもはや言葉とも、咆哮とも呼べない、ただの泣き声だった。
 

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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