Zing0 第六話

【ニィナグゴ村:被膜を持つヒトの遺体近く】


 二人は夜を走った。薫り高い花を踏み、棘の生えた草を避け、背の高い草を割り、マーロウが殺めた被膜を持つヒトの遺体に向かって走った。
マーロウが打ち捨てられた遺体を見つけ近づいていくと、不意にズィンゴがそれを制止した。ズィンゴは鼻を動かし頭巾を脱ぎ去ると、背と首を伸ばし、耳の先を立てて周囲の音を探っている。マーロウは開いた口を静かに閉じ、ズィンゴの様子と、自分たちの周りに漂う妙な刺激臭の正体を探った。
獣が遺体を食い荒らしたのは間違いない。星明りで、腸がなくなっているのを見たからだ。遺体の周りに満ちる獣の臭いからも、そこに遺体を荒らしたものが居たと分かる。でも、獣の臭いに混ざって漂う独特の刺激臭は、獣除けの香と同じ臭いだ。
 
「?! マーロウっ! 逃げろ!」
 
 ズィンゴの鋭い叫びに、マーロウは大きく地面を薙ぎ払うと、土埃を巻き上げた。ズィンゴが背の高い草に向かって弾ける様に跳んだのを、マーロウは視界の端に見た。
 次の瞬間、無数の捕縛縄が土埃を突き破り、マーロウの四肢めがけて襲い掛かる。マーロウは全身に力を漲らせ、咆哮を上げて縄を引いた。
 
≪彼の大陸に流通している縄は、蔓や植物の繊維、乾燥させた獣の腸などを編んで作るものが多い。捕縛縄は縄の先端に、石や獣の牙、太い骨、頭蓋骨などを結び付けた投擲具だ。捕縛する対象に向かって投げつけ、縄を絡ませて動きを封じる目的で使用されている。本来、獣を捕縛する為の道具だが、ヒトに対しても使用される≫
 
 マーロウは胴に絡みついた縄を二本、手足に巻き付いた縄を六本まで引きちぎったが、首に巻き付いた縄に力を奪われ、ついに身体は石のように硬くなってしまった。
 土埃が晴れた時、地面に伏したマーロウは揺れ動き、霞む目に見慣れたヒトたちの姿を見た。炎の枝に火を灯し、クロワモリーを見た時よりも酷く慄いたヒトたちの顔を見た。村ビトたちの間には独特の刺激臭と、恐怖と、緊張と、憐憫と、懺悔の臭いが満ちている。
喉が潰れてしまったマーロウは、大きな瞳に涙を溜め、気を失った。
 

【ニィナグゴ村:村の広場】


 
 マーロウの鼻が、芳しい香りに震えた。マーロウは目覚めて四肢を動かしたが、思うように動かない。炎の樹が太陽のように広場全体を輝かせ、ヒトたちが囲む釜の彩りを助けている。村ビトたちは手に芳ばしい香りの漂う椀を持っていたが、マーロウを見て肩を跳ねさせると、椀を持ったまま走り去っていった。
 マーロウは鼻を鳴らすと、村ビトたちの背中に向かって唾を吐き、涙を零した。
 村ビトに腕を引かれた村の長キエネトゥが杖をつき、マーロウの前に現れる。キエネトゥは四肢の自由を奪われたマーロウの姿を見るなり、魔除けの針を揺らす杖を手放して跪き、しわがれた声で甲高く泣いた。
 
「なんてことをする! マーロウにかけた縄を解くのだ! 早く解くのだ! おお、マーロウ。我々の大切なマーロウや。私の失態を恨んでくれ。私たちの愚かな行いを嘆いてくれ!」
 
 キエネトゥはマーロウを縛っていた縄を解かせると、芳ばしい香りの漂う釜から祝祭汁を取り分け、マーロウの口へと差し出した。
 
≪祝祭汁は、ニィナグゴ村で特別な時に振舞われる料理の一つ。根菜(ヌゥム)、葉野菜(イェルード)、家畜(ラオルット)の肉などを水で煮込み、岩塩と甘みを持つ植物の種で味付けした物。根菜は乾燥させ粉末状にし、水と練り合わせパンのようにして食べる方法や、生のまますりおろして食べる方法、短冊状にして焼く方法など、ありとあらゆる手段で食されている。彼の大陸では北部の広い範囲に分布した主流的な食べ物として知られている。葉野菜はヒトが野生にあった葉野菜の種を拾い、育て、栽培しているものもあるようだ≫
≪家畜とは、成体がヒトの上腕ほどになる哺乳類の仲間(こちらの世界ではげっ歯類に分類されている生物とよく似ている)のこと。雑食性の彼らの飼育・繁殖は簡単かつ周期が早いため、食用家畜の役割を果たしている≫
 
 マーロウが祝祭汁の椀を受け取り口にすると、たちまち力が湧いてきた。顔は輝き、身体が熱を発して汗を霧にするほどだ。マーロウはキエネトゥの前に跪き、視線をさ迷わせながらも言葉にした。
 
「キエネトゥ様。俺は一体、なにをしたのだろう? どうして、彼らが俺に縄をかけたのだろう?」
 
 キエネトゥは蹲ったマーロウの脚を撫で、口を開けたが、閉じた。マーロウが答えをせがむと、キエネトゥは遠巻きに見つめる村ビトたちの様子を窺い、声を潜めた。
 
「……マーロウや。どうか、恐れず聞いてくれ。私たちはズィンゴを捕まえようとしたのだ。奴はあの恐ろしい怪物を村にけしかけ、ヒトを食わせていたのだ」
「なに?! ズィンゴだって?! だが、ズィンゴは怪物を」
 
 叫び声をあげたマーロウの口を、キエネトゥはすぐさま杖で塞いだ。魔除けの針を揺らして周囲を見回し、声を潜め、村ビトと仕草でやり取りした。村ビトたちの応えに肩を撫でおろしたキエネトゥは、地面に絵をかきながら続ける。
 
「マーロウや。声を潜めておくれ。ズィンゴに気づかれてはいけない。彼は耳がよく、賢い男だ。私たちの計画を知れば、必ず邪魔しようとするだろう。いや、邪魔だけならいい。もしかしたら、私たち全員を村ごと滅ぼしてしまうかもしれない。……マーロウ、ズィンゴがどうして村から離れた湖の端に暮らしているのか知っているかい?」
「昔、村のヒトたちと喧嘩した。と、それ以上は知らない」
「ああ、可哀想なマーロウや。これから私は、お前に悲しい話をしなければならない。……昔、ズィンゴの家族と私たちはとても仲が良かったのだ。彼らは私たちに、より良い作物の育て方を教えてくれた。より多くの魚が獲れる方法を教えてくれた。私たちは彼らに居場所を与え、彼らは私たちと共に暮らしていた。――しかし、彼らはヒトではないことを隠していた」
 
 キエネトゥの杖が恐ろしい怪物の姿を描く。マーロウの顔を呑み込むほど開いた口に鋭い牙を見せつけ、頭の頂点に丸く大きな耳を持ち、下半身には二本の脚のほかにもう一本の細長い脚を持っていた。
 マーロウの頭が揺らぎ、四肢の力は弱くなった。ズィンゴを信じたつもりだったが、自分が知らないズィンゴと家族の姿を語るキエネトゥの言葉には、マーロウを頷かせる力があった。
 
「彼らは私たちの仲間ではなく、ヒトでなしだったのだ。私がそれを訊ねると、彼らは作物の実りを、魚を奪った。私は焦った。このままでは、村ビトたちが彼らを殺してしまうと思ったからだ。だから、私は彼らを守るため、住まいを湖の端に移させた。……だが、幼いズィンゴにそれが分かるだろうか? 穏やかに暮らしていただけの子どもが、ある日突然、村ビトたちから石を投げつけられた時、どう思うだろうか? それらの石が家族を奪う一撃になった時、どう思うだろうか? 私は、考えるだけで四肢を縮めてしまう」
 
 キエネトゥの言葉に、マーロウは呻く。
 
「だけど、キエネトゥ様。ズィンゴがヒトでなしなら、俺はどうなんだ。俺も村のヒトとは身体が違う。俺の家族や小さな弟妹とも違う。俺は、こんなに巨大になってしまった」
「ああ、マーロウ。お前はヒトではないか。なぜ自分を、家族を、小さな弟妹をヒトでなしのように語るのだ。お前の身体は大きいだけではないか。……しかし、ズィンゴの身体は酒場の主人よりも小さいが、四肢が長く、しなやかに動き、手には隠した鋭い爪がある。骨を持たない蜜虫のように動く、細長い脚がある。家族は私たちの暮らしにさもヒトと言わんばかりに紛れ込み、悪戯に歪ませたのだ。お前は本当に、彼が同じヒトだと思うのか?」
 
 キエネトゥが四肢を縮ませると、マーロウの四肢も縮んだ。キエネトゥはマーロウの脚に手をあて、柔らかく撫でた。
 
「優しいマーロウや。悲しいが、恐ろしいが、これからの話も聞いておくれ。賢いズィンゴが、一体どうして怪物を操っていたのか」
 
 キエネトゥは地面に、もう一体の怪物を描いた。ヴェール型の腕、膨らんだ腹、平たい脚。被膜を持つヒトの絵だ。キエネトゥは杖で怪物の腹に印をつけると、マーロウの腹を印と同じようになぞった。
 
「ズィンゴは、怪物の腹に呪いを込めた石を仕込んだ。怪物を意のままに操る為、村ビトを襲わせる為」
「う、うぅぅぉう……。だ、だけど、キエネトゥ様。ズィンゴは、彼は怪物が腹に宝石を隠していたのは、習慣だと」
「ああ……! マーロウ、なんて優しいマーロウや! お前は信じたのか。ヒトが腹に宝石を隠すなんてお伽噺を、本気にしてしまったというのか?! そんなヒトがいたのか? お前は会ったのか? どこにいたのだ? マーロウ。お前に私は教えてあげよう。私以外は誰も知らない、術士の技を教えよう」
 
 キエネトゥは石を1つ取り上げると、マーロウの手の上に乗せた。そして、呪いを唱える。
 
「さあ、マーロウ。目を閉じ、手を固く閉じよ。その石が手の平に跡を残すほど、強くその形と熱を感じるのだ」
「……キエネトゥ様。これは、ただの石だ」
「そうだろう。だが、力を込めよ。そうだ。――さあ、ではこれから私がこの石に呪いを込める。すると、お前はこの石から手が離れなくなってしまうだろう」
 
 石を握りしめるマーロウの手に、キエネトゥが呪いを込めて念じた。
 マーロウはキエネトゥに促され石を捨てようと思ったが、呪いが手を封じ、石を捨てさせなかった。マーロウは怯え、焦り、腕を振った。
 
「う。うぉぉおう?! うお、おおぅ?! なんだ、なんで手が離れないのだ?! おお、おお、キエネトゥ様、この恐ろしい呪いを解いてくれ!」
「マーロウ、落ち着くのだ。さあ、手を差し出しなさい。私が呪いを解く。――お前の手は自由になり、石を捨てるだろう」
 
 キエネトゥがそっとマーロウの手に触れた途端、マーロウは自分の手を取り戻し、石を放り投げた。
 マーロウは呻き、全身の力を弱めた。マーロウはズィンゴの賢さを知っていた。村ビトたちが諦めたことを教えてくれたズィンゴなら、キエネトゥのような術を使えても不思議はないと感じていた。だが、それでもズィンゴが復讐の為に村を怪物に襲わせたと、信じられなかった。
 キエネトゥはマーロウの項垂れた頭を撫で、微かに聞いた。
 
「なあ、優しいマーロウや。ズィンゴはお前に少しでも石を持たせたか?」
 
 瞬間、マーロウの脳裏に光が走った。怪物の死体を弄っていたズィンゴ。ズィンゴはマーロウの制止を聞かず、怪物の腹を裂き、奇妙な宝石を取り出していた。石の価値なんて分からない。だが、それが怪物にとって貴重な物だと、ズィンゴ自身が話していたではないか。ズィンゴは石を見せたが、触らせはしなかった。取り出した石を腰帯の隙間に押し込み、隠した。
 
「……触らせもしなかった。……うぉおう。うぉぉおう……っ! おのれ、ズィンゴ……愚かなヒトでなし、月の悪魔め!!」
 
 マーロウの全身が震え、胸は炎で輝きを増し、髪は逆立った。大きな目から零れ落ちた涙が霧になり、丸太のような逞しい四肢に力を漲らせた。
 キエネトゥはマーロウに向かって強く大きく頷き、立ち上がらせる。そして、マーロウの巨大な手に魚の浮袋で出来た薬袋を持たせた。
 
「さあ、勇壮なるマーロウ。輝く胸のマーロウ。ズィンゴを捕えよう。お前は彼を見つけたら、この薬を酒に混ぜ、飲ませるだけでよい。この薬は怪物の四肢を弱らせる。彼はすぐさま気を失うだろう。さあ、共に永遠の安心を得るのだ」
 
 マーロウが猛々しい咆哮を上げると、村ビトたちは四肢を縮ませ丸くなった。しかし、その咆哮が闇に向かって遠ざかり、杖を掲げ持ったキエネトゥの祝言がその音を早めると、炎の枝を掲げて歓喜する。
 
「マーロウ! マーロウ! 輝く胸のマーロウ! おお、我らを安心させるものよ!」
 

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