Zing0 第十話

【ニィナグゴ村:四肢を伸ばすマーロウ、駆け付けたズィンゴ】


 
 マーロウは星明りの下、巨体を地面に這わせながら、鼻を動かした。染みの跡に残る臭いを感じ、同じ臭いがないかと這いまわる。マーロウは点々とした染みをいくつも見つけたが、鼻息荒く次を探した。マーロウが巨体を蠢かせ這いまわる様を見て、音もなく駆け付けたズィンゴは全身の毛が逆立つほど驚き、跳び上がった。
 
「マーロウ?! 元気そうで嬉しいよ! だけど、一体お前は何をしているんだい?!」
 
 震えるズィンゴの声に、マーロウは地面から弾けるように立ち上がった。マーロウは自分の脚できちんと立つズィンゴの姿を見て、全身を震わせる。目と顔を輝かせてズィンゴに駆け寄ると、その華奢な身体を抱き上げて踊った。
 
「おぉぉう! ズィンゴ! うぉぉう、ズィンゴ! 良かった、すまなかった、助かったのか、どうして、蹴ってくれ、太陽を輝かせてくれ! うおぉぉう! ズィンゴよ! 爽やかな俺の友よ!」
 
 ひとしきり踊ったマーロウの巨体が俄かに止まる。腕に抱いたズィンゴから漂う、爽やかな香りが弱くなっていた。混乱と諦めと憔悴の混ざった臭いが周囲に漂い、ズィンゴの耳は倒れ、四肢は伸び切り、瞳は虚ろだった。口の端から零れた涎がなまめかしくマーロウの腕を濡らすと、マーロウは身体を石にした。
 
「ズィンゴ?! おぉう?! ズィンゴよ! すまなかった、すまなかった、殺してしまったのか?!」
 
 激しく震えたマーロウの腹に、ズィンゴの足の爪先が微かに触れた。力なく、二度、三度と触れた。
 マーロウはズィンゴの身体を地面に横たえると、震えながら様子を見守った。やがてズィンゴが目覚めると、マーロウは跳びつきそうになる身体を石にして、ズィンゴの言葉を待った。
 ズィンゴが四肢を震わせながら身体を起こし、隣で跪くマーロウの腹に向かって脚を振った。置く様に差し出した脚はマーロウの腹を打ち、巨大な身体を弱くする。諦めと怒りと安心が混ざり、ズィンゴはマーロウの硬くなった頭に手を添えた。
 
「ふしっ! マーロウ。俺の無事を喜んでくれて嬉しいよ。だけど、忘れてしまったのかい? 俺はお前に投げられ、針薬を飲まされ、憐れな檻に閉じ込められた。お前を助けた勇敢な男が、俺の所に来る前に逃げ出していたら、どうなっていたと思う?! なぁおう、考えたくもない!」
 
 叫びとは裏腹に、手は穏やかに動く。マーロウは謝り頭を下げたが、ズィンゴの丸い耳は回り、舌打ちを繰り返した。やがて、胸を膨らませたズィンゴは牙を晒すほど大きく口を開けて溜め息を吐きだすと、微笑んだ。
 
「なぉ。これからは、何も言わずに襲い掛かるのはやめろよ。怖いし、寂しいし。なにより、納得できないだろう?」
「ズィンゴよ。約束する。俺は二度と、お前に襲い掛かったりはしない」
「理由があれば、仕方ないさ。でも、その理由は教えてくれるよな?」
「考えたくない。でも、もしそうなった時は、必ず話す」
 
 マーロウの答えに、ズィンゴは耳を寝かせる。立ち上がり、身なりを整え、マーロウの手を引いて立たせた。
 
「約束だぞ。嘘だったら、お前に俺が飲んだ酒を飲ませてやる」
 
 ズィンゴが巨体を見上げて睨みつけると、マーロウは全身を震わせ頷いた。
  ズィンゴがマーロウに奇行の理由を尋ねると、マーロウは地面に四肢を這わせて鼻を動かした。
 
「こうすると、においがするんだ。あの遺体と同じ臭いだ」
 
 マーロウのように四肢を地面に這わせ、ズィンゴも鼻を動かした。ズィンゴの鼻は土と草のにおいを感じ、獣の臭いまでを感じ取った。しかし、マーロウが言う遺体の臭いは分からない。
 
「? どんなにおいがする?」
「興奮した獣と同じにおいだが、それよりも甘く、すえた果物みたいな臭いがする。俺がクロワモリーの首を捻り潰しちまう前、あいつはとても興奮していた。絶頂したのかってくらい激しく興奮していた。目を閉じると、もっとよく分かる」
「……なぉ」
「たぶん、このにおいを探れば、あの死体がクロワモリーだって説明できる何かがある。と、思うんだ。でも、何を見つけたらいいのか分からない」
 
 ズィンゴは身体を起こし、鼻を動かし這いつくばるマーロウを見た。マーロウの言うにおいは分からなかったが、素晴らしい力を持っていることに気づき、目を輝かせる。
 マーロウがズィンゴの方に顔を寄せてくると、ズィンゴはその頭を押しやり、立ち上がった。
 
「マーロウ、君は凄い力を持っている。それは俺にはない特別な力だ。きっとその力で、お前はクロワモリーの住まいを暴くだろう! 住まいには彼の食べ物、彼の寝所、彼の宝物、彼がヒトだというものがあるはずさ。でも、俺がいるとその力はうまく使えないらしいな。俺は向こうで探しているから、ここを任せるよ!」
「住まい。そうか。クロワモリーがヒトであるという証拠を探し出せばいいのか! 凄いぞズィンゴ! お前はやっぱり――」
 
 マーロウが目を開けた時、ズィンゴの姿は遠くなっていた。マーロウは心細くなったが、大きく胸を膨らませ鼻息荒く吐き出すと、においを追って地面に這いつくばった。
 
 マーロウから離れたズィンゴは乱れたローブを整えると、雲が消えた夜空を見上げて目を細めた。閉じた目の上から手の平で覆うと、膝を着き、身を潜める。ズィンゴが自分の吐き出す息を30まで数え、閉じた目を開くと、微かな星明りの夜が太陽の休み始めほども明るくなった。
 ズィンゴは手に木の枝を持つと、耳を立てて地面を撫でる。小石や枝、落ちた葉や植物の茎、動物の糞や虫の死骸に至るまでを分け隔てなく撫で、それらが枝に当たる微かな音を聞き分けた。
 ズィンゴは降り立つ鳥の足音を聞いた。低く短く疑うように鳴いた鳥は、枝が触れた植物の種をついばみ、枝の動きを遮るように近くを跳ね回る。
 
≪夜、多くの鳥たちが休む頃に動く鳥(フィラロ)は、強い縄張り意識を持つ鳥だ。成体はヒトの身体ほどに成長する巨大な身体を持つ。彼らは群れず、自分の縄張りを主張する。『星を抱く鳥』『太陽の眠りを守る鳥』とも呼ばれている。侵入者に悪意を感じなければ周りをうろつき、敵意を感じれば容赦なく襲い掛かるような、気難しい鳥だった≫
 
 ズィンゴが鳥を嫌って立ち上がると、鳥は少しだけ高く飛び上がり、またズィンゴの動きを遮った。ズィンゴは細い息を吐き出すと、鳥を見つめて囁いた。
 
「鳥よ(トゥック)、鳥よ(トゥック)。君の餌場を荒らしてごめんよ。だけど、どうか許してくれないか。私は大切なものを探している」
 
 鳥はズィンゴの囁く声を聞き、首を傾げる。降り立った鳥は羽をついばみ整え、その腹を震わせた。
 鳥が先ほどよりも高く長く、訊ねるように鳴いた。ズィンゴが素直に語る。怪物にされてしまったヒトの住まいに繋がるもの。行方不明になってしまったヒトのもの。それがどんなものなのか分からない。だけど、大切なものなのだ。と、鳥は答えを聞くと、より高く長く鳴き、羽を広げて飛び上がった。
 鳥はズィンゴの頭上で羽を広げて回り、ズィンゴがその姿を認めると、いずこかへ飛んでいった。
 ズィンゴがまた耳を立てて地面を撫で始めると、落ちて来た鳥の羽根がその枝に触れ、音を立てた。
 羽根を拾い、ズィンゴは立ち上がった。耳を夜空に向け、目を凝らし、鳥の姿を探す。彼方に旋回する鳥の姿を見つけ、その下に向かって風のように走った。
 鳥は土に映った自らの影にズィンゴの影が重なると、とても短く鳴き、いずこかへ飛んでいく。
 ズィンゴは身を屈め、足元に転がったヒトの骨を手に取った。細く、華奢な骨だ。それらは獣によって食い荒らされた以上に散らばり、中には、打ち砕かれた様に損壊したものも混ざっている。肉の破片が残ったものがあり、その近くに、娘が好む衣装と、履物、髪を彩る飾り羽を見つけた。
 
「なぁう……。噂は聞いていたよ。器量よし。こんな所に隠れていたんだな。お前、年頃の娘だろう? こんなに綺麗な衣装を穴だらけにして、大切にしないと太陽に呆れられる……ぜ?」
 
 ズィンゴは全てを拾い集め、拾い上げた娘の衣装を手に取り、首を傾げた。集めたものを足元に置いて、衣装を星明りに翳してみると、娘の衣装は獣に引き裂かれた跡だけでなく、動物の針で刺されたような穴がいくつも開いており、血の跡がついていた。
 
「――穴だ。これは、針で刺された痕だ。こんなに何度も刺す獣を、俺は知らない」
 
 ズィンゴは針を探した。娘を襲ったのが獣なら、酷く何度も突いた獣なら、どこかに折れたものの一つくらい落ちていると思った。だが、見つけられない。見つかるのは肉を食べた獣の跡と、砕けた骨の破片ばかり。ズィンゴは背の高い草の陰にも踏み入ったが、見つけられず、溜め息を吐き出し遺品に近づいた。
 草の陰から、小さな骨付きの干し肉を転がす異様な音が聞こえた。
 ズィンゴの耳が回る。足元に気を付けて背の高い草の陰に腰を下ろすと、そこに干からびた肉片を見つけた。肉片を摘まみ上げ、その中に刺さった針の先端を摘まみ上げる。
ズィンゴは耳を立て、鼻を膨らませた。
 
「見つけた……。この獣の針は知っているぞ」
 
 ズィンゴは針の欠片をローブの下に隠し、足元にまとめておいた遺品の全てを、ローブで包んだ。背の高い草の陰に零してしまわないよう、また、決して見落とされないよう、見事な洞を持つ木の側に埋めた。飾り羽が見えるよう土の側へ差し込むと、彼は膝をつき、手を組み合わせ、深く二度頭を下げて祈りを捧げる。そして、顔を輝かせ、ローブの袖から楕円形の道具を取り出した。星を見て、時間を知った。距離を見て、位置を知った。目印になりそうな木、岩、群生する植物、ヒトが歩いた道、村の方角など、あらゆるものを記憶する。
 確かめるように胸へ手をやり、首飾りがないことに気づいた。
 ズィンゴは舌打ちする。耳を振り、四肢を振るい、そして項垂れた。だが、すぐに耳を立て背筋を伸ばすと、重ねた土に目をやり、歩み寄った。
 
 マーロウは鼻を動かし、巨大な四肢を這わせて動き回った。背の高い草に顔を突っ込み、小さな木の隙間に指を突っ込み、獣の住処に手を突っ込み、折れて傷ついた木の枝と葉の間に鼻を突っ込んだ。
 マーロウが目を開き、折れて傷ついた木の枝を拾い上げた。その枝に鼻を寄せ、しきりににおいを探った。甘く、すえた果物のようなにおいだ。においを辿り、木を見上げた。マーロウの胴ほどある太い枝が見え、その上に、他の枝よりも影の深い場所が見える。マーロウは脚に力を込めて跳び上がると、腕を振った。細い枝がたちどころに折れ、ひと際太い枝の影を薄くしていく。腕が三度振るわれると、影はその姿を露わにした。それは植物のツル、枝、葉や動物の毛などで作られた住まいだった。
 マーロウは木によじ登り、葉の隙間から住まいの様子を窺った。中は小綺麗に片づけられ、今でも使われているように思えるほどだ。しかし、マーロウの鼻は、住まいに追いかけていたものと同じにおいが満ちているのを感じ取っていた。
 被膜を持つヒトは、ここを住まいにしていたのだろう。マーロウは眉間に皺をよせ、顔を暗くした。巨体が住まいを壊してしまわないよう、四肢を縮ませ、中を覗いた。マーロウの巨大な身体には狭苦しいが、ヒト一人が休むには丁度よさそうだ。
 マーロウの鼻が、瑞々しく豊かに香る蜜のにおいと、すえた果物のにおいを感じて震える。腕をいっぱいに伸ばして小さな絵画を掴むと、それを自分の胸に抱き寄せ、木を降りた。
 星明りに照らし、目を凝らして小さな絵画を見る。それは確かに絵画だった。クロワモリーとその家族だろう。マーロウは絵画を掲げ持ち、輝く胸を膨らませて叫んだ。
 
「見つけた! 怪物は確かにヒト。クロワモリーだ! きっと、ズィンゴはこれを探していたんだ!」
 
 マーロウは住まいの木の側に払い落とした木の枝を積み上げると、四肢と背筋を伸ばして周りを見回した。鼻をしきりに動かし、爽やかな香りを探し、遠くにある香りに向かって声を上げた。
 
 ズィンゴの耳が左右に動き、マーロウの呼びかけを聞いた。ズィンゴはローブに隠していた両手を晒し、風のように走った。
 マーロウがズィンゴを見つけ、巨大な腕を振り手招く。マーロウは歩み寄ったズィンゴを労い、小さな絵画を差し出した。
 
「ズィンゴ。この木の上に、クロワモリーの住まいがある。これはそこにあった」
 
 ズィンゴは目を丸くする。マーロウが顔を輝かせ、はっきりと語った言葉をうまく飲みこめなかった。ズィンゴは軽やかに跳ね、木の上にある住まいを確かめてくると、足音小さく降り立つ。そして、差し出された果物を観察し、微かに唸った。ズィンゴは指先で唇に触れ、見上げた巨体が本当にマーロウなのか探り始める。
 
「マーロウ? たしかに、木の上には住まいみたいなものがある。これは家族を描いた絵画に違いない。だけど、どうしてそこまで自信たっぷりにクロワモリーの住まいだと……。なぁう、におうのかい? 俺には果物のにおいばかりで、分からないよ」
「おぉう! 間違いなく同じにおいさ! あいつの身体から感じた興奮と絶頂のにおいと同じものが、はっきりと、濃く、甘いにおいの中に咽るほど漂っていた! もう一度、住まいに行こうズィンゴ。俺と一緒に行けば、そのにおいがわかるはずだ!」
 
 ズィンゴは詰め寄るマーロウの股下を潜り抜け、マーロウを褒め称えた。
 
「なぉう、雄のにおいをかぐのはごめんだ。こう見えて身持ちが固いのさ。とにかくお手柄だぞ、賢いマーロウ!」
 
 ズィンゴはマーロウの巨大な頭をぐりぐりと撫でながら、自分が見つけたヒトの骨について語った。
 
「酒場の手伝い娘だ。娘は、キエネトゥ(ケーナトゥ)の針で刺し殺されていた。針はここに。穴の開いた衣装、靴、肉片は、洞の木の側に埋めてある」
「キエネトゥ様が、うぉおう、キエネトゥが……!」
「なぁお。顔を上げろよ、優しいマーロウ。お前が悲しんでも、娘は帰ってきやしない。お前が嘆いても、キエネトゥは捕まらない。それよりも、四肢を伸ばせ。力を漲らせろ。俺たちはあの男を捕まえて、全てを聞かなきゃならないのさ。なぁ。いつまで胸を隠しているつもりだ。お前は輝く胸のマーロウじゃないか!」
 
 全てを語り終えると、ズィンゴは顔を暗くしたマーロウの頬を掴んだ。マーロウの萎んだ眉間を引き延ばし、穏やかな声で笑ってみせる。
 しかし、マーロウの心は休まらなかった。ズィンゴの手が微かに震え、耳が倒れていることに気づいていた。マーロウはズィンゴを励ます言葉を探して唸る。喉は震えるばかりで、零れ出す息は音にしかならない。
 マーロウは四肢を伸ばして立ち上がり、ズィンゴを自分の肩まで担ぎ上げ、その上に座らせた。マーロウは自分よりも目線を高くしたズィンゴに耳を塞がせると、胸が星に届くほど大きく膨らませて咆哮した。
 マーロウの咆哮が風を起こし、雲を吹き飛ばし、星明りを一層輝かせる。ズィンゴは明るくなった夜空に目を瞬かせた。細い指が夜空へ伸び、星をそっと掴んだ。二人は楽しい気持ちになって笑い、四肢に力を漲らせた。
 

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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