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沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修 評伝


それにしてもとんでもないボリュームの本。二段組550ページ。文字数にすれば新書4~5冊分は優にあるはず。目次の章立てを見れば、各テーマで1冊の本が構成されていてもおかしくないことを感じる。ただ、それぞれがいったいどのようにつながって1冊の本を構成しているのか、最初はピンとこない。「日本初の格闘技プロモーター」「若槻礼次郎暗殺未遂事件」「山口洋子との出会い」に、いったいどのような共通項があるのか。

これらを貫くのがこの本の主人公、取材対象者となる『野口修』である。著者の細田昌志氏が3カ月の取材後、1年で書き上げるつもりが出版までに10年かかったというのも、読み進めていく途中に理解できるはずだ。野口修のバックグラウンドには常に右翼の存在があり、彼の足跡を追う作業は日本の右翼の歴史を紐解くことにも通じる。それは芸能、格闘技問わず「興行」の歴史でもある。

日本ボクシング黎明期

長年ボクシングをたしなんだ自分にとって、日本ボクシングの黎明から勃興までの話には耳目を奪われた。冒頭からの丁寧な取材・描写は日本ボクシング史の一冊であるかのごとく感じたほどだ。
私の師である沼田義明会長は、当時のテレビ局にとってキラーコンテンツだったボクシング番組から生まれた世界王者だった。北海道日高から出てきてTBSのある赤坂に住み世界を獲った。初の日本人同士の世界タイトルマッチを戦った王者である。この本にも登場する。
現在たまに顔を出すジムの会長は、シンデレラボーイこと西城正三氏。この本ではキックボクシング転向の話で出てくる。「キックのことは語らない」というのは関係者であるならば誰もが知るところではある。
たまたま縁のあるお二人がこの本に登場していることに不思議なものを感じた。

極真空手と沢村忠

キックボクシングの誕生に極真空手が関係していたのは知らなかった。格闘技マニアであれば知っていて当然なのかもしれないが。極真対ムエタイといった異種格闘技戦、今のMMAの源流とも言うべきものが行われていた事実。またそれがその後のキックボクシング誕生へとつながっていることなど格闘技興行の変遷でもある。その中で「興行」と「勝負論」といった常に付きまとう二元論の世界が繰り広げられる。のちのUWFが直面したまさにそれだ。虚実皮膜ともいうべき二元論世界に10年間身を置いたのが沢村忠、その人である。

子どものころ、テレビで毎週キックボクシングを観るのが楽しみだった。30分番組にもかかわらず、ほぼ毎週「真空飛び膝蹴り」で沢村は相手をKOした。真空を飛ぶその姿は、華麗で美しく、なによりカッコよかった。何ら疑問を抱くことなく、テレビの前にくぎ付けとなった。アニメの『キックの鬼』も欠かさず観ていた。そんな沢村がどんな気持ちで10年間真空を飛んでいたのか。テレビの前から姿を消した沢村はいっさい公に顔を出さなくなった。そのため本人に直接取材はされていないが(既に鬼籍に入っていた)、多くの関係者への取材で様々な顔が浮かび上がってくる。それは驚愕すべきことばかりであり、この本の面白さ、凄さはここにあるといってもいい。

沢村をプロデュースしプロモートした野口修への取材は刺激的だ。時にうそを重ねる野口に対し、著者の細田昌志氏はあらゆる手段で話を引き出そうとする。取材する側、される側の微妙な立ち位置、関係性が、長年の取材で徐々に変わっていくさまもこの本からは読み取れ興味深い。基調に「信頼」があることが何より読後に重厚感を与えてくれる。

芸能プロダクションと賞レース

五木ひろしをデビューさせ、日本レコード大賞を受賞させたのも野口である。子どもの頃、大みそかまで繰り広げられる賞レースにはわくわくさせられた。野口の仕掛けは格闘技だけではなかったのだ。日本国中、野口の手のひらのうえで歓声を上げていたわけだ。
昨今頻繁に見聞きする、芸能界におけるタレントの独立問題も、この本を読むとその仕組みがよくわかる。五木ひろし、真木ひでとのスカウトから独立まで、この本では描かれている。真木ひでと…デビュー曲の『夢よもういちど』も好きだったけど、ジャイアンツの選手がみんなで歌うオロナミンCのCMソング『元気の星』もよかったなあ。この本では真木は取材に応じている(五木は取材NG)。

最後に賞レースについてひとつ。『日本プロスポーツ大賞』って、いつも不思議に思っていた。市民権を得ているスポーツとそうでないと思われるスポーツ(?)の選手が一堂に介し表彰される賞。NPBの選手とプロレスラーが同じ舞台で表彰されるのは、謎以外の何物でもなかったけれどたしか行政が関与しそれなりにオーソライズされている印象があった。いったい誰がどんな過程で選考しているのか、あえて知ろうともしてはいなかったのだけれど、この本では知ることができます。




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