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善意型巨乳差別〜でけえおっぱいでマジすまんけどすまんくない2〜


はじめに

このnoteは先日書いた、こちらの記事の続きです。

まずはそちらを、そしてその後古川さんからいただいたはてなブログのエントリも読んで(まじ長い)、それからこのnoteを読んでいただきたい。

ただし古川さんのブログがなんせ2万字あるので、私のこの文章もおそらく長くなることが予想されます。

なるべく読みやすく書くように心がけるけど、冗長だったらごめんなさい。先に謝っておきます。

また、時間をかけてブログを書いていただいた古川さんにこの場でお礼を申し上げます。ありがとうございました。

そして、ごめんなさい。マジで悲しくなりました。

まず……

ここからは議論の都合上「巨乳」というワードが頻出します。この単語自体、アダルト界隈が発祥のもので、女性や女性の身体に対する性的な揶揄を含むものだとは理解しております。
しかしながら、実際に胸の大きい女性とされる方がこの単語を先に使用していることや、僕も議論する上でお互いに同じ単語を使用することで整理しやすくすべきだと考えたことなどを理由に、敢えて使用する場合があります。

とのことですが、言葉は発祥や語源も重要ですが、一番重要なのは現代でどのような使われ方をし、自分がどのようなニュアンスを含んで使用するか、であると私は思います。

例えば、「失笑」なんかもそうですよね。

今広く使われている使い方は、もともとの使われ方とは違います。

巨乳という言葉も同じで、今ではほとんどの人が「胸が大きいこと」を表す際の表現として使います。私や私のフォロワーである実在巨乳女性が自らの特徴を表す際に、一番平易で一番簡潔だから使用しているのであって、性的な揶揄を含まないことは自明です。


釈明について

大親友さん→自分は、茜さやさんを始めとした「巨乳女性」に対する無根拠かつ無配慮な批判(例:「巨乳だからダメだ!」「ボーダーだから性的誇張だ!」)のみを否定している
古川→大親友さんは、茜さやさんを始め、胸の大きい女性を被写体として起用した広告に対しての批判行為そのものを否定している

まず、私は「巨乳女性」に対する無根拠かつ無配慮な批判のみを否定しているのではないです。

巨乳女性はもちろん、巨乳女性の表象に対しても、無根拠であったり、無配慮な批判、そして基準の曖昧な批判を否定しているし、もっと言えば身体的特徴への規制や差別を否定しています。

正直に打ち明けると、僕は大親友さんと話している最中、僕は茜さやさんの件の詳細についてはあまり詳しくありませんでした。
炎上していたことや、例に出されているような「巨乳がボーダーの服を着てるってことは、胸を強調する意図がある!」みたいな雑な批判があることは知っていたものの、茜さやさん自身に対しての批判や「手術できるのにどうしてしないんだ」といったあまりにも不適切な批判があったことは知りませんでした。
また、茜さやさんが広告のモデルとして起用された訳ではなく、茜さやさんの写ったフリー素材が使われたこともこれ以降知りました。
事情をよく知らずに首をつっこんだことに関しても深く反省しております。


諸々知らんかったんかい

いや、まぁ、そこも反省して欲しいけど、何よりよく知りもせず、見知らぬ人に間違った解釈で議論をふっかけて、「何言ってんだか」だとか、「『だからどうした』と仰るのなら、元のツイートが批判として不適当であることは認めますね?」とかいう大変失礼な物言いをし、私の貴重なおやすみの時間を割かせたことも反省して欲しい。マジおこ。


僕は表現者に対して「隙のない表現」を目指すべきだと訴えていますね。
隙のない表現とはつまり、間違ったメッセージを受け手に解釈されないよう十分に配慮・工夫された表現のことを指します。
では僕のツイートが一体どうだったかというと……、はい、正に隙だらけです。
僕が意図しないメッセージが解釈され得る表現をした結果、多くの人を傷つける差別的な発言になってしまいました。
あまりにも盛大なブーメランです。

このあと私は古川さんのブログに対して、隙をつついていくわけですが…
おそらくこんな文章を書くらいですし、古川さんは今日本で最も「隙の無い表現」を目指して文章を書いていらっしゃるんでしょう。
ですが(古川さんにとっては)間違ったメッセージをブログを読んだ多くの人が受け取っていますよ。
盛大なブーメランがもう一つ飛んできたようです。


議論を再開するのはいいんだけどヨォ


①大親友さんのツイートは本当に適切だったのか

A . 適切です

で終わらせてしまいたい気持ちが強いですが、しっかり反論していきましょう。

巨乳を「いやらしいもの」にしているのは、ボーダーの服を着て広告に出る人でも、それを採用する人でも、それを良しとしている人でもなく、「巨乳がボーダーの服を着てるってことは、胸を強調する意図がある!」「性的誇張だ!」という人ですよ。
私たち巨乳女性じゃなくあんたらだよあんたら。迷惑。


このツイートに対し、

ボーダーの服を着て広告に出る人=広告に使われた写真の被写体orキャラクター
それを採用する人=写真・イラストを広告に利用した企業・広告制作者
それを良しとしている人=広告の表現を容認する消費者
「巨乳がボーダーの服を着てるってことは、胸を強調する意図がある!」「性的誇張だ!」という人=広告に「性的強調がある」と批判意見を述べる全ての人
といった置き換えが可能でした。

とおっしゃっているけど、いやそんな置き換えはできんよ!?

わざわざ、

「ボーダーの服を着て広告に出る人」

「『巨乳がボーダーの服を着てるってことは、胸を強調する意図がある!』『性的誇張だ!』という人」

とまで限定しているのにも関わらず、自分が思い込みで対象を広げたことを正当化しないで欲しい。それは誤読以外の何者でも無い。

自らの誤読の責任を私の表現に押し付けられても、それは責任転嫁でしかないし、全員が同じ解釈になる文章は存在しない。

誤解を恐れずにいうならば、言葉は、表現は無能だから。

というよりも、言葉は、表現は万能では無い。

言葉が万能なのであれば、感情を明確に言語化することができるが、実際はそうではない。

感情を明確に言語化できないからこそ、俳句の世界では季語に思いを託す。
季語が持つ季感に想いを仮託する。

だからこそ俳句とか表現って面白いんですよね。

それはあくまで僕の単なる読み間違いや誤解に過ぎないのでしょうか。

A . はいそうです。

実際に僕と同じような解釈で読み取り、当該のツイートにリプライを送っていると思わしき方も何人かいらっしゃいました。

他のコメントと比較すると、その解釈をされたのはかなり少数でほとんどが的外れでしかありませんでした。

そもそも、私の主張は、先ほども書いたように、万人が同じ解釈ができる表現など存在しないので、それを目指すつもりも義務も生じません。

安心してください、自分の他にも誤読した人間が少数でもいたからといって、古川さんの誤読が無くなったりはしません。

⒈僕の解釈はざっくり言うと、茜さやさんの広告写真の炎上騒動だけではなく、同じく「性的誇張」を指摘された全ての広告・公共表現について述べていると解釈した
⒉「巨乳がボーダーの服を着てるってことは、胸を強調する意図がある!」などのような基準の曖昧な批判、あるいは茜さやさん本人に寄せられた不適切な批判だけではなく、広告写真に批判する行為そのものについて述べていると解釈した
という二つに分けることが出来ます。
仮に1の解釈をせず、つまり大親友さんの意図通りに「あ、これは、茜さやさんの炎上の件のみに言及したものだな」と僕が解釈したとしましょう。 
だとしても、
「巨乳がボーダーの服を着てるってことは、胸を強調する意図がある!」「性的誇張だ!」という人ですよ。  
という文によって、例え大親友さんが「巨乳がボーダーの服を着てるってことは、胸を強調する意図がある!」等の不当な批判についてのみに言及していたとしても、茜さやさんの広告写真に寄せられた性的誇張についての批判全てに対して否定的な意見、あるいは、性的誇張を指摘した人が「巨乳=いやらしいもの」という価値観を勝手に生み出しているかのような言いがかりに見えます。
よって、「『巨乳がボーダー(後略)』といった不当な批判もそうだし、そもそも茜さやさんという胸が大きい女性の写真に対して性的誇張だのなんだのいちゃもんをつけるのが間違い」という批判として読むことが出来る=2の解釈が出来るんですよね。

もう何から指摘したらいいのか分からなくなってきましたが、コツコツ頑張りましょう。読んでるみなさんもついてきてくださいね。

>>例え大親友さんが「巨乳がボーダーの服を着てるってことは、胸を強調する意図がある!」等の不当な批判についてのみに言及していたとしても、茜さやさんの広告写真に寄せられた性的誇張についての批判全てに対して否定的な意見

あのぉ、すみません、古川さんもはじめの方で

少なくとも、件の写真に対する「性的強調の根拠」を示す意見は、調べた限りほとんど的外れだと思いました。
そしてもちろん、被写体である茜さやさん本人に対する批判は以ての外です。

こうおっしゃっていた様に、私が当時から現在にいたるまで件の写真に関して色々なご意見を拝見しましたが、性的強調の根拠や性的誇張の根拠があるご意見は拝見できなかったんですよ。(宇崎ちゃんの時は、批判の中にも理解できるものがあった。煽った様な文言についてとかね。)

なので、茜さやさんの広告写真に寄せられた性的誇張についての批判全てに対して否定的な意見というのは、先ほど私が書いた、

巨乳女性はもちろん、巨乳女性の表象に対しても、無根拠であったり、無配慮な批判、そして基準の曖昧な批判

に該当するため、現状茜さやさんの広告写真に寄せられた性的誇張についての批判全てに対して否定的な意見を持っています。

>>性的誇張を指摘した人が「巨乳=いやらしいもの」という価値観を勝手に生み出しているかのような言いがかりに見えます。

私には古川さんのご意見が言いがかりに見えるんですが、


Aをいやらしいものにしているのは、BでもCでもDでもなく、EとFですよ


という文章は、EとFがいやらしさという価値観を生み出した、と言っているわけでも、GやHの存在が無いと言っているわけでもありません。


〇〇を××にする、というのは国語の授業の様ですが、〇〇を××扱いする、や〇〇を××な存在として広める、といった意味合いで使われます。

仮に元の文章が、Aをいやらしいものにしているのは、BでもCでもDでもなく、ほかでも無いEとFですよ

などといっていれば、少しはおっしゃる「巨乳=いやらしいもの」という価値観を勝手に生み出しているというご指摘もわかります。GやHの存在(AVや性的な加害を行う人など)もないですからね。



サクサク行こう、次は古川さんが私のツイートに対して思ったこと。

確かに広告を始めとした公共表現に対する批判の中には問題ある批判も存在するだろう。
だが、そういった問題ある批判そうではない良識的な批判を一緒くたにして、批判行為そのものを否定するのは、表現の送り手の問題を、受け手の問題にすり替えることになり大変危険だ。
この方は『私たち巨乳女性』と記述していることからも、批判された女性と同じ属性をもつ方なのだろう。恐らくは実際にご自身の胸を「いやらしい」と揶揄されたり、性被害に遭われた経験もあると考えられる。広告に集まった批判に触れて傷つけられたと感じるのも理解できる。
しかしながら、批判行為全てを否定するのはあまりにも暴論が過ぎる。  
仮に、問題ある批判のみを否定したかっただけで、批判行為そのものを否定する意図がなかったとしても、この文章ではかなり言葉選びがまずいのではないか。

特に最後の一文は、ため息をつかずにはいられないほど傲慢さがにじみ出ている文章なのですが、おそらく古川さんはそんなこと意図していないと思うので、指摘しても意味がないかもしれません。

そもそも何度でも言いますが、今回の茜さやさんに宛てた批判でそうでは無い良識的な批判とやらは存在しなかった。

セクハラを放置していた企業宛の批判ならば、一定数理解可能なものももちろんあったし、それは今回の話には含まれていないことは皆さんお分かりでしょう。

>>問題ある批判のみを否定したかっただけで、批判行為そのものを否定する意図がなかったとしても、この文章ではかなり言葉選びがまずいのではないか。

A.  それあなたのお気持ちですよね。

というか、私のツイートで、私の意見を呟く際の言葉選びは、私が決めるし、それが法に反していたり、公序良俗に反さない限り、自由でしかない。

極少数の人が勘違いするから「まずい」と私は思わないし、余計なお世話です。


大親友さんはこれまで「巨乳差別」の被害に遭われてきたことからも、日頃からこういった問題ある批判、不適切な批判に対して声を上げているはずです。そのため、大親友さんのツイートを日頃からご覧になっている方や、同じように「巨乳批判」に声を上げるツイートを読んだり呟かれたりしている方がこれを読んだとき、あくまでそのような不適切な批判のみを否定したものだと理解できるでしょう。
しかしながら、そのような読み方が必ずしも世間一般で行われる訳ではないことはご理解いただきたいです。 
元のツイートは、解釈が一つに定まらない以上、問題があります。大親友さんの意図に反してしまう、「性的誇張だと批判する側が悪い!」「『巨乳=いやらしいもの』という価値観を作り上げてきたのは批判するような人々だ!」という読み方が可能なツイートなのです。
そして、それは間違って解釈する人々の感覚や読解力の問題ではありません。大親友さんのツイートもまた、隙があったということなのです。

>>そのような読み方が必ずしも世間一般で行われる訳ではないことはご理解いただきたいです。 

わざわざ、

「ボーダーの服を着て広告に出る人」

「『巨乳がボーダーの服を着てるってことは、胸を強調する意図がある!』『性的誇張だ!』という人」

とまで限定しているツイートの対象を、思い込みで拡大する読み方は、必ずしも世間一般で行われる訳ではありませんよ。

>>元のツイートは、解釈が一つに定まらない以上、問題があります。大親友さんの意図に反してしまう、「性的誇張だと批判する側が悪い!」「『巨乳=いやらしいもの』という価値観を作り上げてきたのは批判するような人々だ!」という読み方が可能なツイートなのです。そして、それは間違って解釈する人々の感覚や読解力の問題ではありません。大親友さんのツイートもまた、隙があったということなのです

デジャブかな?というくらい同じことを言いますが、解釈が一つに定まる必要はないと私は思っているので(そもそも無理)、隙があっても構いません。

間違って解釈する人々の感覚や読解力の問題は、彼ら自身の問題であって、私の問題でないことは確かです。

この時点で6000字を超えているので、皆様には大変申し訳ない気持ちでいっぱいですが、お茶でも飲みながら読んでくださいね。



②広告表現に「巨乳」が選ばれないことは必ずしも差別なのだろうか

そもそもこの見出しからして、私の主張が通じていないことがお分かりいただけるかなと思います。

私は「巨乳」が選ばれないことは差別なのだ なんて問題提起をしていません。

いいですか、普通のサイズの乳房を持った女性が普通に広告に出るのを許されるように、特大サイズの乳房を持った巨乳女性もまた「普通に」広告に出るのが許されているんですよ。
巨乳だからボーダーの服はダメだとか、ピチッとした服や胸元レースの服はダメだとか、それど直球の巨乳差別ですからね。


巨乳を「いやらしいもの」にしている人がいるなかで巨乳であることを理由に男性から加害されている人がいるからといって、巨乳であることを理由に服装や仕事内容に制約が出るのは巨乳差別に他なりません。
差別の再生産を肯定するのやめてもろて。


この私のツイートに対し、古川さんは

しかし、僕はそうではないと考えています。表現者において「巨乳であることを理由に服装や仕事内容に制約が出る」ことは必ずしも「巨乳差別」や「差別の再生産」とは言えないと考えます。

こう書いていらっしゃいます。このあと、そう思った理由が続きますが、まずは一言言わせてください。

それ、巨乳を別のものに置き換えてみてくれ。と。

ひとまず先に進みましょう。

単刀直入に申し上げると、大親友さんは「実在の女性」と「表現における女性表象」を正確に区別できておりません。

大変単刀直入ですが、大変短絡的なご意見だと私は思いました。

そもそも、今回の件を例に出していうと、茜さやさんは実在の女性でもあり、実在の女性表象でもあります。宇崎ちゃんは、非実在の女性表象ですね。

両方の属性を持つ本人に、「『巨乳がボーダーの服を着てるってことは、胸を強調する意図がある!』という批判」をする事の意味が本当にお分かりにならないのでしょうか。

また古川さんは以下に貼り付けるツイート等を例に出して、

あくまで広告表現や、そのような表現を選んだ企業・制作者を批判しているが、胸が大きいこと、胸の大きい女性そのものを批判している訳ではない、という一貫した主張が行われています。

とおっしゃっています。

>>意図と関係ない広告に巨乳の描写を持ち込んだりTPOに合わない巨乳広告を選んだ「企業や企画責任者」が問題なだけなんだけど。巨乳の女じゃなくて巨乳の女を意図的に選ぶ精神が批判されてるんだよ。

私服を着てパソコンをいじりながら電話をかけている写真は、これほどなく転職サイトというコンテンツに相応しい表現だと私は思いますが、果たして本当にTPOに合わない巨乳広告だったのでしょうか。

誰がTPOに合わないということを、そしてその基準を、誰が判断するんでしょうか。

仮にあの写真がTPOに合わないのだとしたら、それは巨乳であるからだと、巨乳がボーダーの服を着ているからだというのでしょう。

巨乳女性が広告に出るならば、グラマー用のブラジャーや豊胸、アダルティックなものでないと「TPOに合わない」と、巨乳である茜さやさんの画像は転職サイトには相応しくない、と。

これが巨乳差別でなくてなんなのか。

巨乳差別という言葉は、辞書や条文に乗っている訳ではないので明確な定義がありません。

ですから、別の「差別」に当てはめて考えていきましょう。

女性差別撤廃条約では1条で「女性差別」は、以下のように定義しています。

「性に基づく区別、排除又は制限であつて、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない。)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するものをいう」

女性差別ですから、入りは『性』です。ここに巨乳を当てはめて、なるべく平易な文章で巨乳差別を定義すると

巨乳差別とは
(分野や未婚既婚は問わず)
乳房の大きさに基づく区別、又は制限のことで
乳房の大きさに関係なく持つ人権や、基本的自由を
認識したり権利を公使するのを妨げたり
権利を奪い取ろうとすること

となります。

さて、少し戻って古川さんの発言を確認しましょう。

表現者において「巨乳であることを理由に服装や仕事内容に制約が出る」ことは必ずしも「巨乳差別」や「差別の再生産」とは言えないと考えます。

>>「巨乳であることを理由に服装や仕事内容に制約が出る」こと

は先ほどの女性差別から派生した、巨乳差別の定義に当てはめると

乳房の大きさに基づく区別、又は制限に抵触しますね。

やっぱりど直球の巨乳差別でした。

当たり前ですよね、目立たないサイズならば好きな服着ていいけど、大きければボーダー服はダメだなんて。

さて、古川さんのブログに戻りましょう。

女性表象は実在女性と区別されるべき対象です。

先ほども書いた様に、この二つは今回の件では特に表裏一体です。


僕が表現者の責務だと言った「隙のない表現を目指す」とは、正に「絶対におかずにされないように撮る」と仰った塚原さんの姿勢そのものです。
野木亜紀子さんが仰る通り、「エロとして見えてしまうと、訴えたいことと真逆の効果を生んでしまう」からこそ、受け手に配慮し表現に工夫を凝らさねばなりません。

刑事物ドラマである『MIU404』で、女子高生が拉致されるシーンは性犯罪を取り扱っているものと同義でしょうし、それを肯定的に放送するわけにはいきませんから、「絶対におかずにされないように撮る」のは、正しいでしょう。「訴えたいことと真逆の効果を生んでしまう」からですね。

それでも絶対おかずにされないかはわかりませんが。

特殊な性癖を持った人は溢れんばかりにいますし、スタバのカップにストローが刺さっている写真ですら性表現のメタファーであるという人はいますから。

逆に「絶対におかずにされないように撮る」といった心構えがない限り、例え作者が女性であろうと、無意識にも女性表象を差別的な意味合いで描いてしまう可能性があります。なぜなら、これまで一般的で問題ないとされてきた差別的な価値観(例:「巨乳はいやらしい」「女性は性的に消費してもいい」「女性は仕事をせず家事をすべき」等)に常に触れてきたからこそ、無意識のレベルで影響されているからです。

翻って、巨乳広告で「絶対におかずにされないように撮る」には

僕は、胸の大きい女性モデルが「私は自身の身体を表現するにあたって、私の意図に反した形で、私の身体が性的に強調されることを許しません」と宣言し、実際にそれを目指すことを求めています。女性を撮影するカメラマンや広告の制作関係者にもまた「私は女性の身体を性的に強調したり、男性の欲求不満を満たすモノのように描写したりすることは決してしません」と常に心掛けて頂きたいと考えています。                 よって、それを遂行するにあたり、撮影時の服装や仕事内容に制限が課せられてしまうのは仕方がないことだと思います。なぜならそれを守らない限り、「女性を性的に客体化した」「女性に対する差別的な価値観を助長してしまった」といった「加害者」にいつでもなり得るからです。

この様におっしゃっています。ちょっと絶句しました。

なんだかまるで、名誉男性という言葉の説明を聞いているのかとおもってしまいます。

>>実際にそれを目指すことを求めています。

まず何様でいらっしゃるんでしょうか。

性的に強調の定義も曖昧で、いくらでも根拠のない論難を浴びせられる可能性がある中で、さらに言えば絶対におかずにされない根拠などないのにも関わらずそれを宣言し目指せと。そうでなければ、加害者になりうるぞと脅していらっしゃる。

それ、他の身体的特徴をもつ人間にも言いますか?

手足が欠損した対象に激しい性的興奮を覚える人もいますが、彼ら彼女らに「私は自身の身体を表現するにあたって、私の意図に反した形で、私の身体が性的に強調されることを許しません」と宣言させますか?

目が大きくて、可愛らしいモデルに「私は自身の身体を表現するにあたって、私の意図に反した形で、私の身体が性的に強調されることを許しません」と言わせますか?

性的に強調って結局なんですか?

>>それを遂行するにあたり、撮影時の服装や仕事内容に制限が課せられてしまうのは仕方がないことだと思います。

別の女性を守るために、同じ女性である巨乳に差別を受け入れろとおっしゃるのめちゃくちゃ差別的で、本当にありえないです。全然仕方がなくないです。

>>「女性を性的に客体化した」「女性に対する差別的な価値観を助長してしまった」といった「加害者」にいつでもなり得るからです。

「女性を性的に客体化する」というのは、

「主体性を奪われて、別の主体によって使用され所有される『客体』にされること」(ポルノグラフィと性差別より)

というマッキノンが述べた客体化に性的な要素を加えたものであると認識しています。

他人がどの様に表現を認識し、どの様な感情を抱くかの全てはわかりません。幸せな家族の団欒のシーンで深く傷つく人がいる様に、様々な体型の人が着ているボーダーのTシャツでも、巨乳が着れば性的強調されていると感じる人はいます。

それでもなおあの宣言をし、それを遂行するために自らの身体的特徴を隠す服装をし、仕事内容を選ばなければ「主体性を奪われて、別の主体によって使用され所有される『客体』にされること」を容認しているのだから加害者になるなどという理屈が全くわかりません。

本当に心から善意で差別をしてくださっているのが伝わります。差別であることを全く自覚していない分タチが悪いです。

だからこそ、誰かを傷つける可能性を考え、表現に配慮をすることは、決して受け手に抑圧された結果ではなく、自身が安全に表現をし続けるための自己防衛手段なのです。

誰も傷つかない表現がない以上、それが法や公序良俗に反さない限り配慮の義務はありませんし、配慮を求めるのは規制に他なりません。

受け手が歪んだ認知で表現を燃やせば、それは抑圧でしかありません。

表現し続けるために自己防衛手段を取るならば、私は根本から戦いたいので、今行っている様に巨乳差別と闘います。受け入れません。



このあとブログでは茜さやさんの実際の写真を引用して、古川さんのお気持ちを述べていらっしゃいますが、お気持ちなので基本的にはスルーします。

ただ、過去の例に則って考えると

白いニットの写真は

下乳に影があって、カバンを斜めがけしている(パイスラ)から広告に相応しくない

浴衣の写真は

胸を張って巨乳を誇示し、お股を抑えているから性的で広告に相応しくない

と批判されるでしょう。(ちなみにこれは今まで私が目にした事のある批判という名の難癖です)


僕のように性的なニュアンスを感じ取る人は世間にも一定数いますし、特に男性からの性被害に遭われた方においては顕著なのではないでしょうか。 
ならば批判が生じることも想定した上で、「絶対に性的なアイキャッチとして使用されない、あるいはそのように解釈されないように撮影しよう」と撮影に臨んだり、サイトに載せる情報を工夫することも出来たはずです。
また、それが社会における表現者の責任にも繋がります。

前回のnoteでも書きましたが、性被害にあって認知が歪んでしまった人が巨乳広告を見て傷つくのであれば、まずはカウンセリングをうけてください。

カウンセリングは恥ずかしいことではないし、被害にあったのはあなたの責任ではないけれど、これからの人生を生きやすくするためにもお願いします。私も受けました。

その上で、人間が人間である以上、性的なニュアンスを消し去ることはできません。

そしてそれを敏感に嗅ぎ取る人を否定もしません。

ですが、性的であることは必ずしも女性差別を助長することにはなりません。

むしろ、「巨乳はいやらしいものである」という価値観の強化をしてしまう、無根拠な配慮ほど実在巨乳女性を背中から撃ち抜く行為はそうそうありません。

>>「絶対に性的なアイキャッチとして使用されない、あるいはそのように解釈されないように撮影しよう」と撮影に臨んだり、サイトに載せる情報を工夫することも出来た

かもしれませんが、それは『すべき事』ではなく、しても良い事です。そんな義務は、表現の自由がある以上存在しえないでしょう。

古川さんが古川さんの作品でそう目指せば良い話であって、全体に適用する論理ではありません。


最後に

僕は当初、大親友さんにはツイートを削除、あるいは内容を訂正するような形で補足のツイートをしていただこうと考えていました。

特定のツイートに対して批判するということは普通、そういうことではないのですか。あなたも誰かのツイートに対して批判する際には、それが問題ない形になるまで指摘するのではないでしょうか。
別に削除・訂正に絶対に応じさせるような権限は誰しも持ってませんが、それを求めるのは普通です。

デマや間違いを含む(と感じられる)ツイートが流れてきた場合、ただつっかかるだけでは意味がないと思いますよ。「謝罪するか訂正しろ」という思いは必ずあるはずです。

仮に普通はそうじゃないのかもしれないけど、削除や訂正を求めたって別に構わないんじゃないかな…。無理やり削除したり奪ったりしてる訳じゃないんだから…。

私であれば、緊急避妊薬やピル、HPVVのデマについては『科学的根拠があり、デマが流れる事で不利益を被る女性がいる』ので、見かけた場合にはリプや引用リツイートで訂正したり、対話ができた場合には再ツイートをお願いすることはあります。

ですが、今回の私のツイートの様な、それぞれ持つ主義主張や意見に関しては反対意見はお伝えすれど、デマではないしその人の正義も大事なので、削除やましては謝罪など求めません。

実際、私は古川さんにTwitterで難癖をつけられた際に
>> あなたのお気持ちも私のお気持ちもどちらも大切なので、交わらないように生きていきましょうね。

と伝えています。

(私宛の誹謗中傷は訂正はしますが、むしろ歴史に残したいので削除されては困ります。)

確かに、無理やり削除したり奪ったりしてる訳ではないので、特に問題はないかもしれませんが、6,000字かけて自分の知識不足と誤解を元にした表現について謝罪した後にこれを書いてしまうのは、言ってしまえば隙だらけだなぁと思います。
おそらく日本で最も隙のない表現を目指している人のうちの一人である古川さんともあろう人がです。

私は隙の無い表現は面白みもなさそうなので求めませんが…。



無自覚な差別というのは、誰しもが行うことです。

私も今までたくさんの差別をしてきたし、たくさんの差別をされてきました。

差別は差別でございと顔に出して近寄るのではありません。

そのほとんどが、善意の顔をして近寄ってきたり、無知によって引き起こされるものであろうと思います。

だからこそ、私は古川さんの2万字のご意見を拝読して、残念に思いました。

あぁ伝わらなかったな、と。

私の言葉は無力だったな、と。

表現者として強い理念をお持ちなのも、当事者意識が強いのも尊敬していますが、
冷静にあの文章を読み返していただいて、ご自身のちりばめられた差別に気がついていただければなぁと思います。

ここまで読んでくださった皆さん、そして古川さんありがとうございました。

ちなみに大体13,000字です。

STOP!巨乳差別!

でけえおっぱいでマジすまんなwwwって気持ちで戦うけど、本当はでけえおっぱいであることで謝らざるを得ない世界なんかクソ喰らえって思ってるよ。

みんな負けないで生きていこうね。

愛と敬意を込めて

大親友


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