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会社を辞めることにした。

タイトルの通りである。
自分にとって挑戦の多い業務内容になっぞ。わくわく。
と、思ったのが2022年6月頃。半年で挫折した。
嘘をついた。正確には3カ月で挫折し、2カ月ひねくれ生活を送り、1カ月転職活動に費やした。

今後のライフプランのためにも、せっかくだし「何があったのか」思い出す限り残していきたいと思う。

入社1年目

はっきり言おう。正直入社当時から環境が肌に合わなかった。
日常的な言葉遣い・罵詈雑言、仕事の進め方、飲み会でのマナーetc
適応する努力をし続けた結果、体調管理が出来なくなるくらいだった。
開き直って適応することを諦めたらなんとか居続けることは出来た。
営業もとても向いているとは思えなかった。誰が見ても明らかだっただろう。結果、1年以内で部署移動となった。さてさて、ここから新たな試練が始まるとは思いもしなかったのだ。

入社2年目

経営企画室に異動になった。語感がかっこいいだろう。私もワクワクしたさ。しかし、仕事がなかった。上司が合わなかった。毎日毎日暇でしょうがなかった。
ルーティンワークが無く、上司から業務指示もない日々が続いた。私は(試されているのでは?)と感じた。理念は「仕事は自ら持ってくる」なのか?と思い、会社のウィークポイントを改善できるツールの提案をすること数回、心が折れた。
まず、私のプレゼン能力が低いことは否めない。しかし、「○○さんはそれをやりたいの?」「それをする意味がわからない」等個人的意見しか言わず、プレゼンの不足点・改善点等はもらえない日々が続いた。自ら仕事を持っていく姿勢・否定されても何度も提案する姿勢、共にぽっきり折れた。

入社3年目

大きなチャンスをつかんだと思った。なぜなら社長命令によって新たな業務を得られたからだ。しかしあまりにも難題すぎて何から手を付ければいいのかすらわからなくなった。参考文献も無いに等しかった。上司に頼るしかなかった。心が折れた。
分からない単語に関する答えは教えてくれるがそれだけである。siriちゃんみたいなことしか教えてくれなかった。自分が何につまずいているのか・どうしてほしいのかを赤裸々に話した。死ぬほど恥ずかしかったが、これ以外の方法が思いつかなかったのだ。結果、何も変化は無かった上に仕事を取り上げられた。心が完全に折れた。

ざっくりとした心が折れたエピソードは以上である。かなり割愛しており主観だがなかなかにひどい環境である。このエピソードからの内省も記してみよう。

愚痴が言える人がいるってとっても大事

ゴーイングマイウェイを選んだ結果、愚痴が話せる相手が一人もいなかった。事務所の在住人数が5~6人なのもあって、ウマが合う人が一人もいなかった。従業員数が少ない方が自分には合っていると前職時代に感じたが、こんなデメリットがあることは経験しないと気づかなかった。そういう意味でも従業員数は重要である。

共感力の高い人ってとっても大事

上司に最も求めていた点である。業務を判断するためには必要とは思わないが、人間関係を築くために敬意と共感は非常に重要だと感じた。上司にはどちらもなかった。本当につらかった。

マネジメント経験無上司+フルリモート

=死(あくまで個人の意見です。)
上司ガチャ運が悪いことに定評のある私でも今回は本当にきつかった。その理由の一つがこれ+共感力の無さである。
加えて仕事もない。仕事しかしてこなかった私にとっては存在否定に等しかった。

他にもいろいろあるが、大局的な視点だとこれくらいだろうか。
余談だが退職が決まってから、3袋分シュレッダーをかけたときは死ぬほど気持ちよかった。

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