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科学で説明できなければダメ?

こんにちは。
いよいよ梅雨のある地域では、そろそろシーズン突入といったところでしょうか。

梅雨があったらあったで憂鬱だし、
なければ逆に困ったことになるし、
どっちに転んでもやっかいですね。

なんかそれを楽しめる妙案があったらいいんですけど。


今日も ”ましうー” に来て下さり、ありがとうございます。

久々に情けない自分のウサを吐いてみたいと思います。

ーーー

たまにではあるが、ソファーなんかの角に足の小指をぶつけてしまったときのことだけど、
これって、なんでこんなにも激痛が走るのだろう。

そして僅かな時間差を置いて、誰のせいにもできないもどかしさが、
へそのあたりからふつふつと湧き上がってきたりする。

そう、全く自分の不注意なのだ。

情けない・・・


歯磨き粉を乗せたばかりの歯ブラシを洗面台の角にひっかけて、
歯磨き粉がはかなくも排水溝に消えていったときも。

たかが一回分、されど一回分。
何が残念かって、歯磨き粉の1回分なんてどうってことない。
それ以上に、無意識の中で自分に感覚の衰えが近くに来ていることに、けっこうなショックを受けたりする。

いつぞやは、写真を撮ろうとポケットから取り出した携帯が、
手元で安定を失い、空を舞いながら地面に落ちていった。

手から離れてからの動きが結構なスローモーションを演じているのに、
いくらあたふたしたところで悲惨な結果は避けられないものである。

モノって、なんでこんなに簡単に手から落ちるのだろう。

たまに空想が先走って、
小さな橋を渡っているときなど、
今ここでスマホが滑り落ちたら、そのまま川底まで消えていってしまうのか、
なんて一人勝手に背筋の寒い思いをしたりする。

家のカギだってそうだ。
うっかり下水溝に落とそうものなら、その晩は悲劇の主役を演じることは避けられない。

暑い日のソフトクリームなんかは
いくら神経を集中したって、落ちるときは落ちてしまう。
地面であらわな姿となったアイスを見て、
決して元の状態に戻すことのできない現実に落胆してしまう。


ほんと、落としてはいけないと分かっていても、
落ちてほしくないのに落ちてしまうのだ。

ーーー

なぜ、身の周りにあるものはみんな、地面に落ちてしまうのだろう。

重力というものが働いて、あらゆるものは地球という地面に引き寄せられるからだ、とでも答えるのが正当なんだろうか。

でもこんな理屈を知らなくても、
学校でこれを習う前から、もっと言ってしまえば太古の昔の人だって、
全てのあらゆるものは地面に落ちていくことを知っていた。

それまで生きてきた中で、こんな現象を当たり前に見てきているのだから
理屈なんかではない。

落ちるものは落ちる。
これが自然の摂理なのだ。


何か体に変調をきたしたとき、大方のことは医学の説明でまとまるものである。
医療機器を使って原因を究明することも進んでいるし、
治療に適した薬も処方できる。

衣類の汚れが落ちる仕組みにしても、
天気が移り行く流れにしても、
海中の魚群の把握にしても、
人類を現代までの長いスパンで見てみると、
いろんなことが科学技術の力によって説明ができるようになった。

人間の社会は進歩とか発展とかいって
色々な学問を通して理屈が成り立つようになってきたのである。

そして、いつしかほとんどのものは科学的に立証できるのが当たり前となり、
科学的に根拠のないものは信用できない、というまでになった。

ーーー

だけど思うのである。

もともとリンゴが地面に落ちることに何も疑問がなかったのに、
万有引力がどうだとかすごい人が発表したことで、
”引力が働くから落ちるんだ” と理屈が結びつくようになった。

よく解らないけれど体の調子が悪くなって死んでしまった、
原因は病膏肓(こうこう)に入ったからと中国の人も言っていたかもしれないことも、
今では肝臓が機能しなくなったことが原因ですと言えたりする。

でも
大昔は何も説明ができないところから、
少しずつ科学が進歩してきて、
それがたいていのことを説明できるようになったかもしれないけれど、

決して万物全てを網羅したわけではなく、
今もこの先も色々なものの解明が続いている最中であるのは明らかだ。

科学技術は何でも説明ができる、
科学技術で立証できないものは事実として認められない、
というのは、人間の傲慢さがでているのではないか、
と思うのであります。

UFOって、元来は ”未確認” であるもの、
つまり科学では説明できないものの総称であったはずなのに、
それが固有名詞みたいになって、
”UFOは存在するのか” なんてはき違えられたりしていないだろうか。

そして、信じることはできない理由が、
”科学では証明できないから”
というのがほとんどを占めているような気がしてならない。

幽霊にしてもそう。
信じる信じないは人それぞれだから結構だけど、
”科学的根拠” を理由にするのは、
ちょっと違うのではないか、と思うのである。

地球、さらには宇宙規模でみると、
人間なんてほんとにちっぽけなもの。

究明できないことが当たり前、と思った方が良いのかもしれない。


実際に宇宙旅行に行くことができたら、
きっといろんなことが変わるんだろうな。


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