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アイボリーに包まれて死す。[ 1 ]
薄い、優しい色、例えば今日ならアイボリーだとかベージュだとかを身に纏っていたい気分。たまにそんな時がある。
普段は赤や青や黒など、濃い、主張のある色を好む私でも、そんな時がある。
大体それは、どこかネガティブになっていたり、答えも正解も不正解もないことを考えていたり、とにかく身体は元気でも、心はどこか疲れている時だ。
私が今なにに思考を巡らせ、落ち込み、疲弊しているのか。
大きく分けて2つある、と現時点では思っている。
私が生きることに、意味はあるのか。
脳梗塞を繰り返し、いつどうなるか分からないと言われているらしい祖母を見舞うべきか。
生と死。
いや、これは死と死なのだろうか。
それとも死と生なのか。
後者に関して、「そんなの決まってる!行くべきだろ!」と言うのも言われるのも簡単だ。世間一般からしたら、家族を大事にして、今すぐにでも見舞うべきというのが、よい答え。
でも、私はいくつかの言い訳を抱えている。
だから、私にとってはずっと答えがなく、見舞うことすら億劫であり、世間一般からしたら冷たく、この場合は祖母不孝者なんだろう。
億劫と思う反面、私はこうして祖母のことをずっと考え、体調そのものに関してはすごく心配をし、悪くならないでほしいと願い、一日でも長生きしてくれたらいいと思っている。
それはエゴなのかもしれない。
が、これは一度見舞ってしまったら続かない感情かもしれない。見舞ったらハイおしまい、というわけではないのに、見舞うことに満足してしまって、私はもう祖母を思わないかもしれない。
いつかやってくるであろう黒い日に、あの時見舞っておいてよかった、と満足気に思うくらいだろう。今の私はきっと後悔するのだろうけれど。
それでもその後悔と共にまた祖母を思い出すのかもしれない。見舞った満足と共に祖母をそのまま成仏させてスンと生きるより、もしかしたら良いのかもしれない云々かんぬん。
あのウイルスが蔓延した期間、会うべき人には早く会っておけ、とあんなに思っていたけれど、それがとっくに解禁されているのに、それすらも結局思ったままにして行動できていない。
今回もそのいい例だ。
だが、祖母は悪くない。
孫の私を大事にしてくれていたと思う。きっと、味方だったんだと思う。
従姉妹と名前を間違えられた記憶をずっとネチネチと抱えている私は、酷い孫なんだろう。
祖母は今、一体幾つなんだろう。
祖母の夫は戦争で亡くなり、妹は被爆者だった。祖母はたまたまその時遠方にいただとか、そんな感じで生き延びた。祖母は働き者で、残る写真の中の彼女はいつも綺麗な身なりをしていた。当時の、昭和のバリキャリだったんだと思う。1人で子ども3人を育て、上2人の兄を医大に通わせ、末娘(である私の母)を東京の私立大に送り出している。すごい人だったんだと思う。
私が小学校低学年の時には、アメリカやシンガポールなど海外旅行にも一緒に来てくれた。疲れた様子はあまり記憶になく、むしろ小さな機体の機内食で出た大きなハンバーガーとチップスすら残さず食べ、体力は溢れていたように思う。
まあそれももう約30年くらい経とうとしている、それくらい前の曖昧な記憶なのだが。
つまり、そう。
言いたかったのは、祖母は悪くないのだ。
私の身体と思考に重くのしかかるのは、
いつだって家族…両親なのである。
祖母は母方の祖母。
私は親である母に、遭遇したくないのだ。
(いつかに続く)
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