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8年後の夏、乾杯しよう〜優しさに包まれて

多分、そろそろこの時期ですよ、
と彼女は優しく教えてくれたんだと思う。

あっという間にあれから2年が経ってしまった。

あの、最初の宴から。


今年の夏は3年ぶりに多くの花火大会やお祭りなど、
さまざまなイベントが開催されたようだ。

それを毎朝のテレビで知る。

私は実際にそれらに訪れることはなく、
私の夏は私にそれを感じさせぬまま、
あっという間に過ぎ去っていった。


最後に投稿したのは去年の12月。

そこから色んなことが変わっていった。


私はパーソナルスタイリストとしての道を早々に諦めた。私自身には向いていないと、それこそ結構早めに勘づいた。

ひとりで何かするのは、忍耐と根性が必要だ。

私はチームの中で力を発揮したいタイプだったんだと、活動し始めてから思い返した。

そういえば、そうだったんだ。

チームで目標に向かって駆けることやそれを果たすこと、チームやメンバーを支えることが好きなんだ。

パーソナルスタイリストとしてアップしていたnoteやInstagramは閉鎖した。

閉鎖したら、心が落ち着いた。

後半無理してやっていたのは分かっていたから、
それをもうどうする必要もなくなった時、
解放されたように感じた。


4月頃までは、
引き続きハンドメイドジュエリーの接客販売のアルバイトをしていた。

その少し前に、事態は動き出していた。
半ば強制的に。


3月末、旦那の勤めていた会社(私も働いていたアパレル)が、7月末をもって日本撤退を決めた。

それと同時に、
旦那は人生で初めて無職になることが決まった。

旦那は年齢的にも一気に焦っていたけれど、
私は[旦那が無職になる]という状況に対して、
一切悲観的にならなかった。

むしろ私にとっては、
やっと堂々と行動できるチャンス。

私はずっと正社員で再出発したかった。

5月に入り、すぐに転職活動をスタート。
未経験の営業も考えたがやはり接客販売が好きなので、またアパレルに戻ろうと決断してからは早かった。

1ヶ月の間に4社受け、4社合格。

年齢や7年ほど正社員として勤務していないというブランクもあるから不利になると思っていたが、
私はまだまだここからやれるんだ、必要としてもらえる場があるんだとグッと喜びを噛み締めた。

そして6月15日に、ある素敵なブランドに入社。

私はまたあの百貨店の中で日々を駆け抜けながら働いている。


近況をざっくり書いてみたけど、今日はあの日。 

彼女はそれを分かって、昨晩勇気を出して連絡をしてくれていたのかもしれない。

ここを離れていた私に
改めて乾杯したいと言ってくれた。
そんな嬉しい言葉と彼女の優しさに触れ、
私は今久しぶりにnoteを書き終える。


thanx for ...


私をサポート?!素直にありがとうございます。あなたのサポートは、真っ赤で、真っ黒で、時に真っ青なましろが真っ白になれるよう、note内で活かされ続けます。