散りばめられた言葉たち(近況)

新しい部屋

地方に引っ越した。ワンルームから1LDKになったのに、家賃が下がった。最初こそ、あまりの広さにどうしていいかわからなくなるだろうかとも思ったけど、でもなんだかんだ慣れるもの。部屋の中を歩き回る、ということがとても有意義にできる空間ができた。対して大きな意味はないけど、なんだか気が楽なのだ。この部屋が自分の世界で、部屋の中でも自分の好きな場所にいていいんだ、とも思う。寝室と机が別の部屋になったこともきっと効果があるのかも。(実際はスライドドアで仕切るだけだから空間としては開けっ放しで繋がってる。)
あえて言うなら、満足してる。静かで、木々や生き物の息遣いが聞こえる。とても穏やかな空間になった。

考え事と音楽

私が一番集中できる環境、状態とはどんなものか。改めて考えると、一人でいる時だったら音楽を聞いている時。歌詞があろうがなかろうが、お気に入りの音楽でその時の気分に合うものを聞くこと。子どもの頃、「音楽を聞きながら勉強するんじゃない」と叱られたことがあった。リビングで録画したBUMPのMV特集を流しながら勉強していた。今思えば、マルチタスクかどうかもきっと関わってくるのかもしれない。(割と適当に言ってる。) それでも音楽は私を一人にしてくれる。これが、一番深くまで潜る方法。自分と話すための必須アイテム。魔法の道具だ。家族がいる家で、誰にも邪魔されない方法だった。深い深い夜の静けさに、自分の息遣いが部屋に響くくらい。その空気を揺らす音楽は、私と一体になるように寄り添ってきた。音楽は私の体をも震わせる、大切な一部だ。

泣き虫

引っ越す前、驚くくらい泣き虫だった。本当に何に対しても敏感で、つらいわけじゃないのに涙が出てきて、安心感を保つために泣いていたとさえ思う。自分が信じたいもの・選びたいものを、本当に手にしていいのか迷っていた。未だにはっきりとした答えはないけど、でもいいスタートが出来たはず。あの泣き虫な私とはしばらく手を振って心の角に仕舞っておきたい。

私の中の普遍的ループ

何が起こるかがわからないのが人生だ。本当に。どこに正解があるかなんてわからない。みんな私を褒めてくれるけど、社会的には大した存在ではない。むしろ縮こまっていたい。他人から見た私の人生なんてちっぽけでいい。私が豊かにしたいのは、社会的地位ではなくて、私という人間だ。それだけしか、私には切れるカードがない。だから、私は考え続けて、言葉を紡いで、届くかもわからない願いを口にして、私の世界の単位でしあわせになるだけだ。

いつも最後に言いたいことは同じ事になってしまう。私は、私という人間から生まれた、在り来たりで変哲もない言葉を、文字に置き換えることを続ける。意味があろうとなかろうと、少なくとも私の生きた証になるだろう。

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