内にあるもの、記憶と痛み

記憶とは厄介なものだ。
忘れたくないことほど零れ落ち、忘れたいことほどこびり付いて離れない。
時間が経てば薄れるはずのことも、なぜか体の中が痛むほどまでに。

たった今、私の目の前にいてくれる人が、直接耳の鼓膜を震わせ言葉を伝えているというのに。勝手に記憶から呼び起こされた過去の誰かの言葉が、私の脳内を駆け巡りキレイに掻き消してしまうのだ。

そのうち気にならなくなるよ。
自信がつけばどうってことない。
経験を積んで過去からどんどん遠く離れてしまおう。
そうやってやり過ごしてきたけど。

頭の中の記憶は薄れ、言葉を放った人の顔すらもう覚えていないというのに。その言葉の意味に含まれた自分のことを理解した心の揺さぶりと、身体中を走った緊張はなぜか覚えているまま。これはどうしたらいいのか。拒絶をするだけでは解決しなくて、受け入れることも大切だ。その受け入れというのは、どれのことを指すのだろう。
対峙したその人?言われた言葉?浴びた視線?当時の自分自身?過去は変えられないのだから、という言葉は諦めになる?それとも未来への希望?

これが「傷」なのか。他のものと感触が違うこと。思うと気が遠くなるような感覚を覚える。時間を巻き戻されるような、過去が呑み込んでくるような。もっともっと遠くへやらねばならないのか。

もっと生きねばならないのか、この痛みを感じなくなるくらいに。

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