知らない車窓から

交通系ICカードというものを持っていない。

各公共交通機関の利用にはもちろんのこと、財布代わりに支払いが出来たりポイントを各所で貯めたりすることが出来る、現代社会に当たり前に馴染んだものを持ったことがない。

まず、交通系ICカードに対応している駅がほとんどない。県境の一部と新幹線の改札ぐらいで、他はそれ以外ないですけどというすました顔で、切符を差し込むのみの形となっている。
そして普段の生活をしていて公共交通機関を使うことがない。
30分待って次のが来るんだったらいい方だなと思える時刻表が、平然と並んでいる。電車やバスはそんなものだと物心ついたときから思っていた。
地元では高校卒業と同時に自動車運転免許を取得するのが主な習慣であった。それからそのまま近場で就職すれば自動車通勤が普通となる。求人票の備考欄には「必要資格 運転免許(通勤用)」と書いてあるものが大抵である。
数年前、学生の頃からの友人たちと旅行へ行った。電車を乗り継いでの隣県への小さな旅であったが、全員目的地に辿り着いても切符を買っていた。
「1秒タッチ」という文言を改札で見かける機会は増えた自分だが、その光景にああ、これだよねと微かに安堵したのをよく覚えている。

通学のために公共交通機関を利用する人はもちろんいるが、自転車と徒歩で事足りる中で楽に暮らしてきた自分は、電車の乗り方がしばらくの間だいぶ怪しかった。
かろうじて1年ほど通学に使ったのでバスの乗り方は身に付いたが、電車は稀にしか乗ることがなかった。遠出をしない家庭で育ったので、それも少なからず影響しているかと思う。
初めてひとりでちゃんと乗ったのは、就職活動の時であった。リクルートスーツをまとった希望の会社の面接に向かう自分は、電車で失敗しないかという不安が大部分を占めていた。
本当にこのホームで合っているのだろうか、上りではなく下りに立っているのではなかろうか。そうやって看板を見つつ挙動不審を繰り返すばかりであった。
2時間ほど揺られている中で、もう間違いなく乗ってしまえば今日の課題の大半は済ませてしまったとなり、コンビニで買ったおにぎりを食べ鞄に入れていた小説を読み、しまいには軽く居眠りをしていた。
どうにか面接と軽い実技試験が終わり、また電車に揺られバスへの乗り換えの際に確認した時刻表は、乗りたい路線のものは確か今から1時間後というのであった。
近くのコンビニでカルボナーラを買って、バス停のベンチで食べながらもうだいぶ日が暮れた薄暗い中で、ぼんやりと待っていたのをよく覚えている。

そんな風であったが、現在気づけば公共交通機関よ、どんと来いの状態になっていた。
ふとしたきっかけから観劇に嵌まり、西へ東へと場所を気にすることなく移動する日々となっている。バス、電車、地下鉄、路面電車、新幹線、飛行機…スマートフォンを主とした便利な電子機器の手助けを借りつつ、複雑に入り乱れた各路線に立ち向かっている。
初めて品川駅に降り立った時、カラフルな線が縦横無尽に広がっていた路線図を見て卒倒しそうになった自分はどこへいったのか。県内には存在しない地下鉄や路面電車に恐れを抱いて縮こまっていた体は、もう当たり前のように改札を通ったりしているのだった。
とはいってもそうやって離れたところに行くのは月一程度なので、変わらず公共交通機関を使う際は「ちょっと特別な時間」のままである。

2ヶ月ほど前、久しぶりに用があって近所から電車に乗った。窓から見える町並みは田と畑ばかりであったが、不思議と心は高鳴り愛しかった。


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