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悩みの出口をつくる考え方。

生きる意味とか、役に立たなくちゃいけないとか、考えてしまうことが多い人間でした。

その悩みを解決するために、人生についてとか、人間とは何かといった哲学的なところまで潜っていきましたが、この悩みに関して哲学まで学ぶ必要はなかったと思っています。

それは哲学がどうのこうのというよりも、そんな深い問題でもなかったからです。


今回は生きる意味や価値を見いだせずに悩んでいる方に向けて書いています。

いつもより長めになってしまいましたがお付き合いいただけると嬉しいです。


それではいってみましょう。



その悩みはあなたの悩みじゃない。

いきなり、核心にせまります。

いまいちピンとこない方もいるかと思いますので順番にお伝えします。


すこし昔の話をさせてください。

当時の私は、生きることに意味や価値を見いだせず悩んでいました。

なぜかというと、仕事が続かず人間関係はうまくいかない。
生活はどんどん苦しくなり、その日暮らしの生活をする状況になりました。
そこで思ったわけです。
「私は何のために生きてんだろう」って。

だけど、生きるためにはお金が必要で、どこかで就職しても職場のノリについていけない。
なぜか私と他人の常識にズレがあって、たいてい貧乏くじを引かれさる役回り。
誰かに真剣に相談しても「そんなものだ」一言で片づけられてしまう。
お金のために、白いものを黒といい、クソ面白くない会話に愛想笑いをしながら、やっぱりこう思うわけです。
「私は何のために生きてんだろう」って。

どちらの選択肢を選んでも結果が同じで「クソみたいな世界」に絶望したわけです。
もうこんな世界に未練なんてない!と自暴自棄になりましたが、たまたまアニメのつづきが気になり踏みとどまったこともあります。

たかがアニメのつづきぐらいでって当時は思いましたが、のちに重要なことを教えてくれることになります。


で、ここからが本題です。


当時の私は頑張って、努力して、
どうやったら人生の価値を見いだせるのだろうか。
どうやったら生きる意味を見いだせるのだろうか。

って考えたわけです。

要するに、方法論を探しはじめたんですね。

だけど残念ながらこれがドツボにはまります。


なぜなら、
”どうやったら意味や価値を見いだせるか”という問いの裏には、
 ↓
”人生には意味や価値が必要不可欠である”が前提があり、
 ↓
”それがない人生は生きるに値しない”といった絶望へ進むことになります。


ここがキーポイントになります。

ここから長年背負ってきた重い荷物の正体を明かします。



意味や価値の正体

なぜここまで意味や価値にこだわるのか考えてみました。

するとたくさんの思い込みが次から次へと湧きでてきます。

・立派な人間になりなさい。
・みんなと仲良くしなさい。
・他人に迷惑をかけないようにしなさい。
・親孝行しなさい。
・結婚して家庭を持ちなさい。
・みんなから尊敬される人間になりなさい。
・高い目標を目指しなさい。
・みんなに誇れるような偉業を成し遂げなさい。
・売上を上げなさない。
・老後のために貯金しなさい。
・お金の切れ目が縁の切れ目、それは孤立死だと思いなさい。
…など。

おそらく私たちは、これらの教えをすべてクリアしなければいけないと思いこんでいます。

国や親や学校、偉い人や影響力のある人から授かったそれは
「素晴らしい人生を生きるための宿題」といえます。

私たちは、この宿題で100点をとるために努力し、誰よりも早く達成するために策を練るようになりました。

もちろん思い通りにいくわけなく、クリアできないたびにペケを付けられて自分の価値が無くなっていくように感じます。

このような思考ルートでが出来てしまうとなかなか抜け出せなくなり、
そこからさらに行動すればするほど、さらに骨太の環状線が出来上がってしまいます。


さて、ここでひとつだけ知っておいてもらいたいことは、
この宿題はあなたが作ったものじゃなくて、国の教育や影響力のある人によって手渡されたものです。あなたにはこうなってほしいといった一方的な要望です。


だから、あなたが悩まなくていいし、解決しなくてもいいんです。



社会はあなたをコントロールしたがっている。

宿題の中身をもう一度みてください。

・立派な人間になりなさい。
・みんなと仲良くしなさい。
・他人に迷惑をかけないようにしなさい。
・親孝行しなさい。
・結婚して家庭を持ちなさい。
・みんなから尊敬される人間になりなさい。
・高い目標を目指しなさい。
・みんなに誇れるような偉業を成し遂げなさい。
・売上を上げなさない。
・老後のために貯金しなさい。
・お金の切れ目が縁の切れ目、それは孤立死だと思いなさい。
・行動しなさい。
…など。

これらはすべて、外部があなたへ一方的に求めているものです。
他人があなたに、あれもしてほしい。これもしてほしい。
と頼んでるだけなんです。

ただの依頼ですから、あなたが人生の中で手伝ってあげようかなって思うなら手伝えばいいし、手伝いたくないならべつに手伝わなくていいのです。



ここですこしテストをしてしましょう。

次の意見を聞いて、あなたは今後どうするか考えてみてください。

①この先エンジニアが足りなくなる。だからプログラミングの勉強が必要だ。
②この先プログラミングはロボットが作るようになる。だから人間にしかできないことを勉強することが必要だ。

ある未来予想から今の必要なものを考えています。

さて、どう考えるでしょうか。

おそらく、どちらが正しそう信じられそうかと考えてしまいます。

では、戦争になったら?
日本が世界の経済圏から外されたら?
他の予測もあるかもしれません。

そんなことはありえない。
と言うなら、情報の正当性を調べているつもりで、発信者の影響力や肩書きによって決めているだけにすぎません。

人は肩書きに弱いってことを知っておくべきで、人生に意味や価値が必要だと思ってしまうのも、誰かの肩書きによってそう思わされているって考えられます。


小さいころから立派な人にならなくてはいけないと思っていました。
なぜならそれが必要なことだと思っていたし、私の目標だったからです。

だけど、立派な国民が欲しいのは国の要望で、それを教育によって私にそう思わせてただけです。
もし私も多くの国民が立派になることを夢見るならそのまま目指せばいいのです。国の要望とあなたの要望が一致しているからです。

だけど、他の人も立派になってほしいと思ってないなら、立派になりたいと思っているのは洗脳されていると言えます。

なので、立派になれなかったとしても国のシステムの問題で、あなたの問題ではないのです。

こういうと自己責任論に批判されますが、立派な国民が欲しいのは国なので、やっぱり改善するべきは国のほうなのです。

「しなければならない」と考えているときは誰かの「こうしてほしい」を叶えようとしています。

だけどそれが当たり前になっていくととても危険です。
「しなければならない」が自分事になってしまって、
いつのまにか「しなければならないこと」と「したいこと」の境界がわからなくなってしまうんです。

するとどうなるかというと、
「したいこと」がわからない。
「しなければならないこと」ができなくてごめんなさい。
「しなければならないこと」もできない役立たずでごめんなさい。
「しなければならないこと」をしたくないのですが甘えですか。
生きててごめんなさい。


そんな時はこう自問してみてください。

「そうなってほしいのは誰か」

きっとあなたではないはずです。


まとめ

ここまで人生の意味や生きる価値についてお話しました。

意味や価値が欲しくなるのは、他者があなたをそう思うように教育・洗脳しているからです。
しかし社会システム上、やはり優秀な人は必要で理想の人材は必要になるわけです。

なので、生きている限りをコントロールしてくる勢力と関わらなければいけません。
そんなときは、肩書きに飲まれず自分はするかしないかを選べるようにしましょう。
「しなければならないこと」となったときは、「そうしてほしいのは誰か」と原点に戻って荷物をリセットしてみてはいかがでしょうか。

さいごまで読んでいただきありがとうございました。


追伸

こんなこと言うと反感を買うかもしれませんが、夢や目標を追いかけるより、虫を追いかけていたほうが将来の豊かさに繋がるんじゃないかって本気で思い始めています。

それはなぜかっていうと理由は2つあって、

1つは、こんな不安が蔓延する社会で一体どんな夢を描けるのかと疑問に思うのと、
もう1つは、今の夢や目標って私はこうなりたいってより、みんなからこう見られたいってものが多い気がするんです。

承認欲求を掻き立てられる社会であり、国民全員競争の中で不安を煽られ続けて、嘘と欺瞞だらけの狂った社会の中にある豊かさなんて長続きしないだろうって考えるわけです。

だから、今の社会で良しとされている生きる意味や価値は追わなくてよくて、来週のアニメが気になるから生きるでもいいと思うんですよ。

少なくとも少数派の豊かさなので未来はあるかなって。

もしこんなことしてていいのかなぁって焦りを感じるなら、国民全競争の社会がそうさせているのであって、そこそこに付き合うことにして、次の社会に適応してけばいいんじゃないかって思います。

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