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自分に価値がないと思ってる方へ。
自分なんて生きている価値がないんじゃないか。
そう感じたことはないだろうか。
私は何度もある。
何度もだ。
***
社会に出てから成功を夢見て働いた。
若くして大金をつかむこと。
それが自分の達成したい人生だと思い込んでいた。
だけど正確に言えば、他人に認められる人生を歩むことだった。
大金をつかまなくても、他人からすごいと呼ばれる人生なら何でもよかったのだ。
それは認めたくない真実で、
今もなお、頭ではわかっていても、腹に落とすことはできていない。
それを認めてしまうと、必死で働いたあの頃の時間が、無駄な時間に思えてしまうからだ。
自分が夢見ていたことが、実は夢を見せられていただけだった。
という絶望感は今でも忘れられない。
自分の見ている夢が、本当に自分が見たい夢なのか信じられなくなるときもある。
***
他人から認められる人生。
彼女がいること。
昇進すること。
結婚すること。
家庭を持つこと。
これらを手に入れられない自分は、
いつまでたっても半人前で価値がないと思っていた。
どれだけ仕事で成果を出しても、
独身は信用できない。
と言われた時は、存在を否定されたような気分だった。
ポジティブで、
堂々としてて、
明るくて、
陽気なキャラ。
それは出世するために必要な器で、
私は無理をしながら、それを演じていた。
***
そんなことは長続きせず、
仕事を失い、
ひきこもりになり、
社会から孤立して気づいた。
人生には超えるべきボーダーラインがあって、そこに辿り着けないことは、劣等性なのだと感じてしまう。
まるでテストの赤点のように。
そのボーダーラインを超えられない私は人生の赤点を取っている気がしてならなかった。
私は生きている価値があるのか。
私の生きる意味は何だろうか。
そう考えるに至った原因は、
決まって劣等感からくるものだった。
***
少しづつ多様な生き方を選べるようになった現代。
だけどまだまだ生きる価値を感じられない人はいる。
もし私と同じように、
人生にはボーダーラインがあって、それを超えられない自分に価値を感じられないなら、これから話すことをすこしだけ考えてみてほしい。
自分を見失った時や人生の意味を改めて知りたくなった時、私はこれらを自分に問うようにしている。
***
仮にもし、人生のボーダーラインがあったとする。
それを超えられない人生に価値がないと判断しているとしたら、
あなたは…
●事件に巻き込まれてこの世を去った人たちの人生を、価値がないと判断するだろうか?
●災害や事故で亡くなった人たちの人生を、価値がないと判断するだろうか?
●生まれてすぐ病気で亡くなった赤子の人生を、価値がないと判断するだろうか?
●苦しさに耐えられず自ら命を絶った人の人生を、価値がないと判断するだろうか?
どうだろうか。
きっと彼ら彼女らの人生は、
何かを達成できなかった人生だったと思う。
そんな人生をあなたはどう判断しただろうか。
これらの問いでわかることは2つ。
1つめは、
本当に人生のボーダーラインがあったとしても、
それを超えるか超えないかで、
人生の価値や意味が決まるわけではないこと。
2つめは、
例えボーダーラインを超えられない人生でも、
その人生に生きる意味や価値がないなんて、
誰も言い切れないこと。
***
十人十色で多種多様な人生がこの世に存在する。
成功やお金を人生の指標にするのはとても狭い価値観である。
成功を求めることが間違ってるとは言わない。
ただ、それのみを指標にするのはあまりに単純化しすぎている。
人生を折線グラフのように上がり下がりの二次元で見るのではなく、もっと立体的なもので見てみてはどうだろうか。
世界地図は平べったいのでない。
本当は丸いのだ。
人生の意味や価値を決めるのは何なのか。
それは世界を丸く見てからでも遅くないと思う。
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