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大学生活5年目に突入したけど①


こんにちは。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。


私は現在、大学生活5年目男してます。
マツモトです。

大学は通常4年で卒業するのですが、私は5年です。
深い事情があるのですが、追々説明します。

私はnoteでは、主に海外サッカー事情のニッチなものを発信していますが、明らかに疲れるので一旦中断します。
気が向いたら、書きますね。

今回はなんだかんだ自分でも整理していなかった自分の大学生活について
書いていきたいと思います。


2020年というのは、世界的な危機でもありました。
グローバリゼーションが進んでいた反面、
その弊害が上手く表出した印象です。

コロナウイルスが蔓延し、世界でも感染者が急増、
巨大な都市でもロックダウンが行われ、あの煩わしいほどの人ごみも
世界の巨大都市から消えてしまいました。

私は神戸出身だったので、あまり煽りは受けておりませんでしたが、
大学入学年でもあったので、ほとんどがリモート授業となり、
京都の同志社大学というところに通うこともほとんどなかったのです。
夏休みまでは、大学のキャンパスに足を運ぶこともありませんでした。

バイトも、需要減によって減少すると言われていましたが、
出前館のバイトに従事するようになり、
朝から晩まで神戸の街を走り回っていました。

生まれて初めてのバイトがこれほど充実したのは
とても良かったのだと思えました。

私は幼少期より、サッカーをしていたので、
大学でももちろんサッカーをやろうと考えていました。

しかし、パンデミックの波は私をサッカーから遠ざけていったのです。

サッカー部に入部できたのは7月ころで、しかも私は事情があり、
京都府立大学(以下、府立大)のサッカー部に入部しました。
大学の体育会なのに、外部からの入部なんて可能なのかとよく聞かれます。
府立大の場合は、社会人サッカーリーグに属していたため、
制限はなく、他大学の学生も入部可能でした。
実際、私の他に立命館、京産、龍谷、摂南からも来ていました。

私の大学サッカー生活は少し歪な形でスタートしたのです。

府立大の先輩たちはとても上手で、ついていくのに必死でした。
私は元来より、サッカーはそれほど上手くなく、
中学時代に植え付けられたトラウマもあり、
プレー自体にも苦悩することが多かったのです。

なぜ苦しんでまでサッカーをやっていたかというと、
私の居場所を作るためだったかもしれません。

合理性に欠けますが、それだけが自分の取柄だと思っていたのでしょう。

8月の上洛を機に、高校の同級生の家に転がり込みました。
いわゆる居候というやつです。
その高校の同級生とは、とても仲が良く、高校時代には
文化祭で漫才など一緒にする仲でした。
受験期にも、ともに励ましあうこともありました。

どれだけ仲が良くても、
ずっと一緒にいれば上手くいかないことが多くあります。

同居なんてそう長くは耐えられなかったのです。
私たちの当時の関係性は、私の主観から言っても殺伐としていました。
もしかしたら、それは私の過大な評価かもしれませんが、
10月に新居が決まり、同居を解消するまで、
少なくとも私は居心地を悪くしていました。

居候側の私に落ち度はある思いますが、
どちらが悪いということはありません。

それが同居というものだと思います。

私の感覚機敏的な精神性は、ただ単なる現象であっても、
ネガティブに考えてしまう傾向にありました。

言葉さえいらない阿吽の呼吸というのはよく言ったもので、
言わなくてもわかるだろうという雰囲気が、
2人の間に漂っていたのかもしれません。

また、友人だからといって、24時間をともに過ごしたとしても
その関係性への関心は逓減していくことがよくわかります。
つまり、連続的に時間を共にしても、テンションやメンタルが合わず、
ディスコミュニケーションに発展するということです。

その証拠に、同居を解消したとたんに、よく話すようになりました。
彼は今では社会人ですが、私は大学生です。
大学1年生の夏を私は忘れません。

夏が過ぎると、私の関心はサッカーになく起業とか、
ビジネスとかそういった「大学生あるある」に向かっていくのでした。

サッカーが下手だった私は練習には行きましたが、
どうせ出られない試合には行きませんでした。

サッカー部に行かない日は、
頻繁に大阪に行って学生交流会に行ったり、
起業家の支援をしている方に会いに行ったりしていました。

特段楽しかった訳ではなかったですが、
何もしないよりかはマシだろうと思い、
休日は大阪で過ごすことになりました。

大学生活の方も、不安定でしたが、何も感じていませんでした。
喜劇研究会というお笑いサークルを11月で辞め、
友達もいないまま秋が終ろうとしていました。

京都の冬は寒いとよく聞いていましたが、
本当にその通りでした。

②へ続く



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