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【日記的なもの】教育ってどうあるべき議論をファシリテートする難しさ。

この土日は小布施で過ごし、今日は久しぶりにゆっくりと家の片付けをしました。

1ヶ月ほど前に借り始めた、小布施のおうち。自分の荷物やらを運び入れたはいいものの、空き家だった場所をいただいたのでホコリが多かったり、寝る環境を整えられていなかったりで生活空間としては、使いにくいところが多く。

今日ようやく自分の部屋を「つくる」ことができました。

ブログを書く場所を Medium から引っ越し。

今まで、こちらの「Medium」に自分のブログを書いていました。

ブログの更新頻度はそんなに多い方の人間ではないんですが、前々から「note に浮気しようかな」と考えていて、今日ようやく note に引っ越しした感じです。

Medium 使っている人あまりいないし、なんか note も試してみたいし。

という浅はかなノリで、とりあえず実験的に note にお引越しです。

なので、今日は近況報告的なことを書きつつ、note お試し投稿です。

「教育ってどうあるべき」議論をファシリテートする難しさ。

昨日、ある町の総合戦略の教育ビジョンをつくるワークショップでコーディネーターをさせてもらいました。

(まあ、わざわざ「ある町」とにごす必要はないんですけど、なんとなく)

その町で子をもつ保護者、PTAにも所属したことのある親さん、保育や学校の現場の人、行政の関係者。様々な人が参加しながら意見を出し合う場になりました。

(なんとなくの個人特定回避のため、ぼかした言い方をあえてしています)

5年後、10年後にも通用するこの町の教育ビジョンってなんなんだ、という問いをほぼ丸一日で議論しあった一日でした。

自分にできるベストを出せたので、ある程度の達成感や手応えを持てているのは嬉しいのですが、ちょっと自分の中に生まれたモヤモヤについて、よかったら意見をもらえたり、自分の視野を広げたいと考えまして。

自分の「モヤモヤ」を公開します。

どうして教育の議論は錯綜するのか。

錯綜っていうと、ちょいとミスリードかもしれません。昨日出てきた話をそのまま公開するのは、ちょっと違うなと思うので、あえて昨日の話し合いの場に出てきたのとは別の話題で昨日僕の中に生まれたモヤモヤを共有できたらと思います。

「不登校」というテーマがありますよね。

ある子供が学校に通わなくなりました、と。学校に行きたくない、と。

もしあなたが自分の町、自分の知り合い、もしくは自分の子供が「不登校」になったらどう反応しますか?

ある人はどうしたらその子が楽しんで行きたいと思える学校になるか、と「学校のこと」を考える。

ある人は親に、家庭に何か原因があるんじゃないか、と「親・家庭のこと」を考える。

いやいや、そもそも学校に行かないといけないのかい?と考え出す人もいる。在宅だっていいじゃないか、今はインターネットさえあればという高校があるんだから、と。

この議論をどうファシリテートするか、さあ困ったというのがあなたの立場だ。(とする)

誰かが悪者なのか?

教育の問題、子供に起きていること、子供の周囲の「あるべき何か」を考えるとき、その関係者・立場は非常に多い。

子供(本人)、親・保護者、教員・保育士・現場の従事者、教育行政の担当者。その社会に暮らす他の人々。

ある一人の子供が不登校になるのは、この中の誰かの責任なんだろうか。

ファシリテートする僕は考える。どうして教育のことを語るとき「共通見解なるもの」がないのか、と。それがあればもう少し話し合いやすくなるんじゃないか、と。

子供はどう育つべき?

それならば周囲の大人はどう変わるべき?

教育者は子供が育つ環境をどのように設計するべき?

こういったことに関して、なかなか「関係するすべての人々」の意見が合わない。それはその人それぞれが育ってきた社会や経緯、経験が違うから。

子供はどう育つのか、どう育つべきなのか。きっと正解がないであろう問い。

とはいえ、何も「ヒントっぽいもの」がないわけではない。教育心理学、発達心理学という人が生まれてから成長するまでの心理的な成長過程を研究する学問もある。

先行研究を抑えつつ、かつ関わる人々の本音を引き出しながら、議論をうまくファシリテートする。そうして、その地域に成熟した教育文化(その町らしい教育はこうあるべきという考え方、慣習)を育てることに繋がれば、きっと「錯綜っぽい」ことにはならないのかもしれない。

とはいえ、「うーん、学校に子供を預けた後のことを真剣に考えてる親は少ないかもしれないよ」というある人の素朴な意見も、とても示唆的だった。

物言う人と、物言わぬ人。

物言う人はいつも少数派(かもしれない)。けどだからといって無視できない意見だし、少数派だから意見を退けていいことにはならない。

とはいえ、大多数が物言わぬ人ということも無視していいことではない気がする。

学校・地域が「学習する社会・組織」になるためには、どんなことが必要なんだろうか。大人というものが、教育や子育てにどう向き合うべきなのか。何ができるのか。

・・・。ということを家の掃除をしながら考えた土日でした。

少しでしゃばりかもしれないけれど、「あるべき教育の姿とは何なのかを話し合う文化」をつくることに貢献できたらいいな。

どなたか、こういうモヤモヤを抱えた間瀬におすすめの一冊やおすすめの人物がいましたら、ぜひ紹介頂けると嬉しいです。


それでは、これにて。

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