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泳ぐのが苦手でも潜れる場所

2時間ほどでなぜか目が覚めてしまい、2回抽出して薄くなった薄い麦茶をコップに注いで飲む。ぬるい。冷蔵庫に入れないまま眠ってしまった。

麦茶の新しいパックを棚から出し、古いものと入れ替えてたっぷり水を注ぎ、冷蔵庫で冷やす。1時間もしないうちにおいしく飲めるようになるだろう。朝起きて(深夜だけど)さあ今日は何を書こうかとSlackのアイディアリストをながめる。

わたしは泳ぐのが苦手だった。

体はちゃんと浮くし、ただバタ足をする頃までは楽しかったのだけど、息継ぎを教わるあたりでどうしてもうまくできなかった。クロールで「顔を横に持ち上げて一瞬で息を吸って」とか、体育の先生にたくさんコツを教わったけど、高校生の時に補習で何とか25m泳げたくらいだった。

もしかしたら、息継ぎはどんなに上手い人でも苦しいものなのかもしれない。

そういえば、オリンピック選手が泳いでいる映像を見たりすると、ゴールにタッチして顔をあげ、タイムを確認しながら息が上がっていた。水の中で全身を激しく動かしているのだから、きっとその分の呼吸を補うなんてできないんじゃないか。

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最近、書くのが苦しかった。

毎日書いていて今日でたぶん29日連続なのだけど、その通知にも見慣れてきてしまった。所属しているライティングコミュニティsentenceで毎回フィードバックをもらってなんども直しながら一生懸命に書いていたことが遠い過去のように思える。あの頃のほうが手法うんぬんではなく頑張っていたのではないか、と思ったりもする。そんなことを言いながら、それでも書いている。

考えてみれば、イラストを描くのだって未だに苦しい。つくることは潜ることだと思う。泳ぐのが苦手なわたしは、つくることで唯一潜ることができる。水の中ではないけれど、心の中にどっぷりと潜れたとき、息継ぎをしようと水面に上がる。ゴールの壁を睨んで決意を固め、ぐっと再び潜って進む。

絵を描くことは、長くやっていて流石にこなれてきた。多分泳ぐスピードが上がってあまり苦しくはなくなった。それでもどうしても苦しいときもある。

文章なんて、そりゃ苦しいよな、と思う。水泳の授業では結局うまく息継ぎができなかった。わたしの文章もまだ、あのときのようにもがきながら泳いでいるのだと思う。

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そろそろ麦茶も出ているだろうか。

泳いだ後はたっぷり水分補給がしたい。荒い息を整えて、水から上がった重たい体が冷えないようにバスタオルのあるベンチまで向かう。少しザラザラとしたプールサイドに足の裏で触れた感覚を思い出す。

わたしは水泳では潜れなかった。だけど、つくることで、書くことで潜ることを、きっと心のどこかで求めているのだと思う。

なぜ書くのかよく分からなくなっていたけれど、わたしはたぶん潜りたいんだ。そんな風に決めてみてもいいかもしれないと、少し腑に落ちた。


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