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大量のnoteと文章を、精神科医にドッサリ渡したある日のこと

「わたし、この先生にずっと診てもらってるのに、ここでも”いい子”を演じてるかもしれない」と思い、主治医に大量の書類を渡したことがある。

今のクリニックに通って4年ほど。あれこれ診察に思うことはあったものの、今のカウンセラーさんの治療を絶対に続けたかったので、正直「診察は受けなきゃいけないし」という気持ちで主治医に会っていた。近況の報告や相談、雑談を毎回繰り返す。主治医は丁寧に話を聞いてくれる。

不眠が何ヶ月も続いた時があり、わたしはかなりボロボロになって、仕事やお金の不安などを話していた時の主治医の言葉に思わず泣き叫んだことがあった。体の様子もかなり不安定で、わたしは「もっと寝ないと」「なんとか工夫をしなきゃ」とあれこれ試していたけれど、それに対して主治医が親身になってくれていないように感じていた。

泣き叫んで「もうこんな生きづらい人生はごめんだから閉鎖病棟にでもぶち込んでください」と言ったとき、「そんなことできないよ〜…」と言い、わたしが泣き止んだときに続けてゆっくりと話してくれた。

「あなたが僕の治療に不満を持ってることはずっとわかってる。それでもこんなに長くここに通い続けてくれてる。それだけでもすごいことなんだよ。ここに来る患者さんの中には急に来なくなっちゃう人だってたくさんいる。だからもし、セカンドオピニオンを受けたいとか、他のところに通いたいなら、必ず僕に言ってほしい。喜んで紹介状を書くから。詳しく僕の見解を書いてから転院する方が、絶対にこれから先のあなたの治療のためになる」

わたしは涙をハンカチでおさえながら、しっかりと主治医の言葉を噛み締めて、「はい、ありがとうございます。取り乱してすみません」と伝えた。

あとになってこの主治医の言葉に感謝の気持ちが強くなっていった。開業医の小さなクリニックだから、患者が減るのは痛いだろう。なのに、転院してもいいと言う。その時は手伝う、とまで言ってくれる。

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わたしは今までいくつもの精神科にお世話になった経験がある。人気すぎて本当に「3分診察」みたいなところもあったし、相談する度に薬が増えて大量になり、飲みきれないこともあった。長く診断が確定しなかったこともあって、どこの病院に通ってもどんな薬を飲んでも不調が改善されなかった。だからほとんど回復を諦めていたし、医者も薬も信用できなくなっていた。

今のクリニックのカウンセラーさんは今まで会ったどんなカウンセラーさんよりも相性がいい。この人の治療を必要な限り受けたい、と思っている。主治医も今まで出会った中で一番信頼できる先生だと思っているのだけど、どうしても自分のつらさを伝えきれていないと感じていたし、それだから主治医のアドバイスに不満も覚えることが多かった。

カウンセリングでは気持ちを話せることも増えていったけれど、主治医の診察では自分で勝手に「これはカウンセラーさんに話したほうがいいかな」と判断して話さないこともたくさんあった。今振り返るとそれは少しおかしいことだったかもしれない。話してみることで変わることだってきっとたくさんある。それを邪魔しているのはわたしの中にある「医者への不信感」だった。でも、根気強く向き合ってくれる主治医の思いになんとか応えたい。

そこで「診察でうまく話せなさそうだったらメモにまとめて読む(渡す)といい」という工夫を思い出して、これを1回徹底的にやってみようと思ったのが今年の8月のこと。


クリニックの受付で、「先生に渡して欲しいんです」と大量の紙を詰めたA4の茶封筒を渡した。毎週の通院が決まっている月曜日の朝。診察は夕方で時間もない。でも少しでも主治医に目を通してもらえればと思った。頑張って用意したけれどこの紙類に何の意味もないかもしれないと不安で、眠る時に抱きしめるぬいぐるみを一緒に持って行った。そんなこと初めてだ。

診察の時間に改めてクリニックに行き、主治医に会うと、その手元に茶封筒が置いてあった。「いや、びっくりしたよ。時間がなくて全部は見れてないんだけど、少し読んだだけでも、僕が知らないあなたがいた。」とかなり面食らっていた。かなり過酷な経験もしているはずの精神科医でもこんな顔をするんだなと、わたしもまた驚いた。

茶封筒の中身は、わたしが今まで書いてきたnoteの記事(HSP/HSS、マルチポテンシャライトなど)、メディアで共感を覚えた記事、身近な人達とのLINEなどでのやりとりのスクリーンショット、専門学校の時のノート丸ごと、切り取った日記などなど。とにかく自分が考えていることを吐き出しているものをひたすら家でプリントアウトした。どんどん紙の束は分厚くなり、プリンタのインクがなくなってしまったのでコンビニプリントも使った。茶封筒の厚さは、わたしのつらさの量を表しているみたいに思えた。

事件の証拠を集める検察官みたいだな、なんて最初は少し面白さすら感じていて、記事はクリップでまとめたり、ふせんに概要を書いて貼ったりしていた。でも「あ、あれも渡そう」と思うものがどんどん増えていき、さすがに疲れて後半はただ紙を突っ込むだけになってしまった。

それでも主治医は「この熱量にびっくりした。あなたがクリエイターなのはもちろん知ってたけど、本当にクリエイターなんだねえ」なんて言ってくれて、医者にそんなことを言われるのってなかなか珍しいかもしれない。

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それから何週かかけて、主治医は時間をかけてわたしの書類を全て読んでくれた。カウンセラーさんにも読んでもらった。その上で、主治医は「もっと心理に強い精神科医」にセカンドオピニオンを受けることを提案してくれた。

「精神科医にも強み弱みがあって、僕は正直あまり心理に強くない。でも心理に強い精神科医の診察を受けたらまた違う見解がもらえるかもしれない。その上でそこに通って、うちのカウンセラーとの治療を続けてもいいよ」

思わぬ話にびっくりした。このクリニックでないと今のカウンセラーさんの治療が受けられないと思い込んでいたし、心理…?と少し興味も湧いた。でも、その話を聞いて、もうすぐ11月になろうとする今も、セカンドオピニオンは受けていない。それは主治医が「今すぐに決めなくていいし、必要な時に言ってくれればいいから」と言ってくれたのもある。でも、わたしはずっと根気強くわたしに向き合ってくれている主治医に「もっと自分のことを伝えたい」と思って分厚い書類を渡したし、読んでくれてぐっと楽になった。だからこの人に引き続き診てもらいたいと思ったのだ。わたしの書類を渡す行為は、日常の人間関係で言うなら、何かしらの告白みたいなものに近かったかもしれない。

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その「書類騒動」を経てから、主治医に自分の思いを口にして伝えることが楽になった。伝えてもいいんだと思えるようになったし、いい患者になろうとしなくていいんだと肩の力が抜けたと思う。症状を抑えるためにいつも自分の状態を気にしていたけれど、気にしすぎてストレスになっていたとも思ったので、今はほどほどにしている。双極性障害の自己管理としてはあまり優秀ではないと思うけれど、主治医もあまり口酸っぱくアドバイスすることがなくなった。あんなに悩んでいた不眠も、ほとんど起きなくなってきている。

「あなたは言葉の人だからねえ」

直近の診察で主治医にそんなことを言われた。今月はクリニックの都合でカウンセリングの間隔がかなり空いてしまい、耐えられるか不安だった。いつでも話しに来ていいよと言われているので、しんどいときは臨時で駆け込むのだけど、今回は上手くやり過ごせた。「つらいときはまた先生に聞いてもらおうと思ってたんですけど、つらいなとか思ったことがあったらすぐにメモして吐き出すようにしてたんです」と言ったら、とてもいいね、僕も他の患者さんに勧めることもあるよ、と伝えてくれた。

自分の生きづらさや苦しさと密接に関係している「創作(言葉)」を主治医が認めてくれて嬉しかった。幼い頃から寂しい気持ちを紛らわすために文章を書いたり絵を描いたり歌を歌ったり、たくさんのことをしてきた。わたしの逃げ場で遊び場なのはいつも創作している時間だ。

自分のつらさの証拠を集めて書類にして渡す精神患者なんて、あまりいないかもしれない。それでも自分にとってはすごく大きな意味をもつ行動だった。つらくてどうしようもない時は身悶えることもあるし、まだまだ時間はかかるのだろうけど、いつかもう少し楽しく生きれるようになれれば。だから今日もわたしはつくるのだろう。

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