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手紙はいくつあったのか

小学生くらいの自分が、クラスメイトの中で手紙を延々と読み上げる夢を見た。紙はボロボロだった気がするし、封筒はやたら鮮やかな青だった気がする。見たことのない消印。詳細は覚えていないけど、あちこちの戦地で書いただかもらっただかした手紙だったような、淡い実感だけが残った。

信じられないくらいに「誰か」の日常を見る「日常」から離れていて、もう戻らなそうな気がしている。どんなに仲良くしていた人の生活も覗いてすらいない。時々SNSを開くけど、自分の書きたいことだけ書いて、タイムラインを上へ下へスクロールすることはまずない。

「何かあれば連絡してくれるだろう」と思ってみた通り、実際わたしのような生活をしていれば「何か」すらそうそうないわけで、これを静寂と呼ぶのが近いかもしれないと初めて思った。

子どもの頃から「人にどう見られるか」を過剰に気にしていたので、自分の考えや感情をでっかいジャム瓶に押し込んで押し込んで、しっかりアルミの蓋までして持ち歩いていた。今朝見た夢の手紙は、この中から出てきたような気もするし、小さな頃に欲しくて憧れた「鍵付き日記帳」に挟んでいたのかもしれない。

小さな頃のわたしには、鍵付き日記帳の硬い表紙の感じとか、南京錠がついていて化粧箱に入っているところがなんだか大人っぽくてドキドキした。当時、おばあちゃんの家の近くの文房具屋さんに通い詰めて検討した覚えはあるけど、小さなわたしには高かったはずだ。実際に買えたのかどうかをなぜか覚えていない。そんなに重大な秘密なんて持っていなかったはずなのに、「本当に見られないか」だけをじっと鍵を見ながら考えていたことだけは覚えている。

秘密なんて多かれ少なかれ誰にでもあるもの。

今日食べた美味しかったプリンを内緒にしたいとか、友達から言われた言葉を大切にしまっておきたいとか、美しい写真を見かけたとか。

日々の些細に思えることも秘密だと思って改めて掌にすくってみると、ビー玉みたいに光を通してキレイかもしれない。大したことなんてなくていい。ただそれが面白ければ、それもいいと思う。ただそれだけのこと。


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