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空き家と商店街と祖父母の思い出と

ご多分に洩れない空き家問題

「空き家問題」で検索すれば、わんさか出てくる空き家問題。

ご多分に洩れず自分と親の間でもここ数年、父の実家をどうするかが話題に上がる。更地にしてマンションでも建てて不労所得でも確保出来れば苦労は無いが、現在空き家になっているその家は隣家と1つの壁を共有する連棟で、処分しようにもそのお隣さん及びその家の前を塞ぐように建っている一軒家の住人の意向次第という縛りがあるのだった。地元の不動産屋さんにも相談してみたが、ここがクリアにならなければ話の進めようがないらしい。

お隣さんが住まわれていないのは自分達でも確認済み。前の家はどうされているか分からないので、四国出張の仕事があった翌日、現地を歩いて自分でも見聞きしてみることにした。

不動産会社でコピーを取らせてもらった住宅地図とGoogleマップを手に小一時間歩き回ってみたものの、把握しているお隣はもちろん、前の家も人の住んでいる気配は無さそうである。父から事前にその辺りの地主さんと聞いていたお宅も訪ねてみたがお留守にしておられるようで、期待した成果は得られそうに無かった。こればかりは仕方がない。

記憶をたどって商店街を歩く

この日は諦めて、祖父母が店を出していた辺りを歩いてから引き上げようと駅に向かう商店街に足を向けた。ご多分に洩れずシャッター通り化およびアーケードの撤去が進んだ商店街は人通りはまばらだ。その中にあって店を開けている青果店の前を通りがかった時、そういえば以前この辺りのストリートビューを妹と見ていたら、この店は覚えていると言っていたことを思い出した。(自分は全然記憶に無かった)

少し躊躇して遠巻きに見ているとお店の方と目が合ったので、意を決してお店の方に声を掛けてみた。

「すいません。この通りで昔、○○という食堂があったのをご存知ありませんか?」

『さぁ・・・?』

ものすごく怪訝な表情をされてしまった。無理もない。意を決して急に近づいて来る中年男性は警戒すべきが令和の作法であろう。こちらも構えて話さず、もう少し自分の素性を話してみる。

「私はメオと言いまして、店の者の孫にあたるんですけど・・」

『えっ?』

今度は店の奥におられたご年配の女性が立ち上がって話しかけて来られた。

商店街で生前の祖母を憶えている人に出会う

今度はご婦人の方から近づいて来られ、

『メオさん?あそこのおばさんに私はすごい世話になったんよ。』

店を始める時に祖母が相談に乗ってくれたこと(祖父母は若い頃八百屋をしていた)
家族で何度も祖父母の食堂で食事をされたこと

先方も様々思い出されたようで気付けば30分くらいお話を伺っていた。

最後に祖父母が100歳近くまで長生き出来たことに大往生やったんやの、聞けて良かったと満足そうに言って下さり、空き家の近隣の方の消息や詳しくはその地域のどなたに聞けば良いか、なども教えて頂けた。

状況としてはまだ糸口が掴めたくらいではあるものの、情報の迷子になっていた自分が当時の祖母の行いに巡り巡って助けられたような、何とも言えない感覚に包まれてお話し頂けたお礼を言い、その店を後にした。

助けられた記憶はずっとその人の中に残るんやなぁ

文字にしてしまうと平凡な事実でしかないが、思いがけず祖母の思い出に触れて心の中にズシン、とそういう感慨が残った。普段、人とのつながりだとかコミュニティだとかもっともらしいことを言ったりするが、頭で考えず助け合って生きてゆけばいいんよ、と教えられたような気がする。

その後も近くの親戚の家に顔を出すなど普段より沢山歩いた一日ではあったが、残った疲労感が却って心地よかった。

歩いた後に食べる讃岐うどんは間違いなく美味しい

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