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XJapanと心の傷の親和性

ちょうどこの時期だったかと思う。

わたしは鬱状態が一番ひどい状態で、味覚も聴覚も、痛覚も鈍ってしまってよくボンヤリネットサーフィンしたり海外ドラマを見ていた。

他にやることなかったとも言えるのだが。

パワハラからの適応障害、年齢的にも再就職することや一人で生きていくとを絶望するにはちょうど良かった。

まあ理由はつけたがるのが人間だ。

私は傷付き、自分は無価値で、そして夢も希望も無意味なのだと悟ってもう死んでしまいたかった。

ここで死ねるのは強い人間だと思う。死を選ぶという決断をくだせるのだから。

死ななかったのは、私はまだ夢に未練があったからだ。

そんな折に、XJapanのドキュメンタリー映画の話を見つけた。

私の同級生が彼らの大ファンで、彼らの劇的な歴史を知っていたから、再結成が素直に凄いと思った。そして、何気なく彼らの歌を聞いた。

その頃は涙も出なくなっていた私は、その美しい声とメロディに何かを許された気がした。

幼稚で劇的な歌詞だと思っていたそれらの意味が、幼い頃父親を失った少年の華美に虚飾し人に伝わらないようにした心に触れた気がした。

別に、心が壊れてしまう時もあるし、それでも良いんじゃないというような気持ちにさせてくれる、メロディと歌詞と、天上に届くような歌声だった。

海外の人の評価に、傷ついた心にそっと寄り添ってくれるという言葉があったが、そんな印象を抱いた。

想いは、伝わるのだとあの時知った。

それだけの才能と運命なんてものを教えてくれた彼らに今でも感謝する。

いつか、彼らの生の演奏を聴ける日が来れば人生はもっと豊かになるかなとなんとなく思う。

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